乃木坂46はオワコンなのか③
Against
〜センターというポジション〜
センター
以心伝心ゲームというものがある。
飲み会や合コンなどで行われる鉄板ゲームなのだが、例えばこんな具合である。
お題=コンビニといえば=
全員「いっせーーーーの」
A「セブン」B「セブン」C「ファミマ」D「セブン」E「セブン」
この場合、Cの負けで宴会であれば一気飲みをしたりする(ちなみにこのお題で「おにぎり」などと答える人はサイコパスの素質があるので注意して下さい)
お題=乃木坂といえば=
A「白石麻衣」B「生駒里奈」C「西野七瀬」D「中田花奈」E「白石麻衣」F「桜井玲香」
このお題であれば答えはばらけるであろうし、なるほど全員の主張に一理ある気がする。
ではこうなるとどうか
お題=乃木坂のセンターといえば=
A「白石麻衣」B「生駒里奈」C「生駒里奈」D「白石麻衣」E「生駒里奈」
こうなるともう二択だろう。白石麻衣か生駒里奈(西野七瀬という答えも別に否定はしない)一昔前であれば生駒里奈一択であったに違いない。
そう、乃木坂のセンターといえば生駒里奈である
歴史
乃木坂46の歴史を振り返って考えてみた時グループの大きな転機となるような出来事が幾つかある。プリンシパル、1st幕張、2nd横アリ、代々木ファイナル、新メンバー加入、神宮、紅白、レコード大賞etc.etc.
しかし、シングルを基準に時期を区切るのが一番分かりやすいであろう。
現在乃木坂は25枚のシングルを発売しているが大きく歴史を分けたら次のようになるのではないか
① 1st〜5th 黎明期
② 6th〜10th 激動期
③ 11th〜16th 隆盛期
④ 17th〜 安定期
神宮や紅白、レコード大賞、卒業なども勿論時代の大きな区切りとなるがとりあえず今回は簡潔にシングルを基準に考えていきたい。
黎明期の乃木坂で5作連続でセンターの重責を背負い乃木坂の礎を築いたのが生駒里奈である。今でこそ様々なメンバーが個人仕事をこなし、メディア出演も多数あるためセンターの役割は少なくなったが、当時はセンター即ちグループの象徴という時代でありセンターの重要性は現在と比較にならない程大きかった。一般人が知っているメンバーと言えば生駒のみであっただろう。率先してグループを牽引し、当然批判の矢面にも立ってきた。初期の乃木坂は生駒里奈ありきのグループである。
そのため6thシングル選抜発表の与えた影響は大きい。乃木どこの選抜発表の様子からもメンバーたち自身が一番混乱している様子が窺える。
生駒里奈から白石麻衣へ
ここで乃木坂の歴史が大きく動いたのは言うまでもない。
6th以降は白石麻衣、堀未央奈、西野七瀬、生田絵梨花とシングル毎にセンターが代わり2期生の加入やAKBとの交換留学など乃木坂史に残る出来事が多数起こる激動の時代である。選抜発表は毎回毎回、画面越しでも伝わる緊張感が漂っていた。
11th以降はセンターの持つ重要性は先程述べた理由から減少したように思える。ライブをする度に箱は大きくなり、個握の完売速度は速くなり、全握の人数も目に見えて増加し、メディア露出も爆増して行った。全てにおいて右肩上がりの時代である。結成から坂を駆け登ってきた乃木坂が遂に頂に到達した時期と言える。
16th「サヨナラの意味」で初期から全シングルで福神をつとめた橋本奈々未が卒業し、17thで3期生が加入した、さいたまスーパーアリーナで行われた5thバスラは橋本奈々未の卒業と3期生の登場という歴史の大きな分岐点だったに違いない。
17th以降はトップをとった乃木坂がそれを維持し続ける期間と言える。
シングルを基準にして乃木坂の歴史を辿ると大体このような感じになるだろう。
時代の終焉
ところで、最近twitterなどで「一つの時代が終わった」「第○章の終焉」「時代の節目」などという言葉をよく目にする。
橋本奈々未が卒業すれば一つの時代が終わったと言い、生駒里奈が卒業すれば第一章の終幕と言い、Againstを節目だと言い、西野七瀬の卒業で乃木坂の終わりと言う、そして白石麻衣の卒業でいつものように一つの時代の終わりと言う。
いやいやいやいやいやいやいやいや、どんだけ時代終わらせるんだよ。簡単に時代終わらせんなよ。
という訳で、先程はシングルを基準に乃木坂の歴史を区切ったが、今度は完全に主観で時代の区切りというものを考えたい。
乃木坂46の一つの時代の終わり、第一章の終焉は太陽ノック、もしくは紅白初出場(全部ひっくるめて2015年と言っても良い)である!
名作と呼ばれるような漫画やアニメ、小説などによくある演出として始まりと終わりを揃えるというものがある。1話と最終話のタイトルが同じ、非日常体験をした主人公が元の日常生活に戻ってくる、プロローグとエピローグがリンクしている、などなど。
アイドルはファンに自身の苦楽を曝け出し、ファンはその成長する姿を見守る。アイドルには一種の物語性がある。
1stシングル「ぐるぐるカーテン」でセンターという重責を背負った生駒は12thシングル「太陽ノック」で再びセンターに立ち伝説の神宮ライブを魅せ、同じ年、自身のセンター曲「君の名は希望」で悲願であった紅白歌合戦初出場を果たす。ここに一つの物語が完結をみせた。
卒業シングルである20th、生駒は自らの意志でセンターに立たなかった。生駒は自覚していたのではないか、新しい坂を登り始めたグループのセンターに自分は立つべきではないと、自分の役割は卒業を決意したあの神宮で終わったのだと。太陽ノックで生駒がセンターに返り咲いた時、一つの時代が幕を閉じたのである。
乃木坂46にヒロインは沢山いるが主人公は生駒しかいない
という使い古された言葉、まさにその通りだ。
乃木坂46第1章は生駒里奈に始まり生駒里奈に終わる
ここに乃木坂46の美しい物語性が垣間見えるのではないか。