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ルッキズムにまつわる遍歴

私の母と妹は美人である。私はそうでもない。整形、歯列矯正、パーソナルカラー診断、骨格診断、メイクレッスン、運動などのそこそこの努力を経て現在は普通になったが、むしろ幼少期の頃は、周りの女児たちと比べて醜いといえる外見だったのではないかと思う。
目がとにかく細くおまけに出っ歯で口が旨く閉じられず、人見知りで愛想もない。勉強が出来き、大人のいうことをよく聞いたので学校の先生から誉められることはあっても、親含め大人から可愛がられることは無かったように思う。
それでも無邪気な幼稚園期を経て、
自分の外見的ハンデに自覚的になったのは小学校1年生のころだった。
後に私を苛めることになる女の子に、「◯◯ちゃん(私)より妹の方がかわいいよね~」といわれたのだ。
当時ショックを受け、母に話した。「そんなことないよ~◯◯もかわいいわよ」と言ってくれるのを期待したが、母は一言、「うーん」と言っただけだった。この様子から母も妹の方が可愛いと思っているのだな、と察した。
他にも、友達複数人と下校途中に「可愛いね~」と私以外の友達に話しかけ、私のを無視する大人の存在や、水泳教室で私に「ブス!」と言ってくる他校の男子学生、おまけに水泳のコーチからも、出っ歯で口許が出ている顔の物真似をされたりしていたので、自分が外見的にいけてないと気づくのに十分だったと思う。
しかし、当時の私は勉強を頑張ることで先生に誉められて目立つこと、細い目を目立たせないために前髪を目の上ギリギリのパッツンにする、目を大きく見せるため、できるだけ両目を見開いて日常を過ごすと言う涙ぐましい努力、そして、こればかりは親に感謝なのだが、歯列矯正を始めたことで口元もましになり、小学校高学年は馬鹿にされることも少なく、私を好きという男子もいたりして、そこそこ自信をもって過ごすことができたような気がする。

しかし、問題は中学生になってからだ。私と妹は2歳はなれているため、私が中学3年生になる頃には妹が中学1年生として入学してくることになる。
そして、姉妹間の地獄の比較が始まることになるのだった。
妹は彼女の所属する学年のなかでも、美人だと評判で、1年で同じ学年の男子20人に告白されたらしい。
妹の存在は私の学年でも一部話題になり、「妹と全然似てない」「妹の方がずっとかわいい」などと私に面と向かって言う人が何人も現れ、目の前が真っ暗になるような絶望感を感じた。(実際に目の前に黒い色が見える)また、妹と一緒に服の買い物に出かければ、店員さんが妹ばかり美少女!とちやほやした上、影で「ぜんぜん姉妹似てないよね~」と言われてるのを聞いてしまい、楽しいはずの買い物も全く楽しくなくなってしまった。こうして私はどんどん卑屈になっていった。
これでも家族仲がよければまだ救われただろう。
私は必死で自分の外見を良くしたいと、中学生ながらファッション雑誌を買ったり、髪型を研究したり、パックをしたり、当時は肌荒れもしていたので、肌に軽めのパウダーをつけてみたりしていたのだが、それを見るにつけ母親が怒ったり、馬鹿にしてきたりするようになったのだ。私が鏡を見て自分の顔を見ていると「鏡見るほどの顔じゃないのに」
髪型を変えていると「そんな努力したってクラスの可愛い子みたいにはなれない、無駄」雑誌を買うと、「そんなもの読んでないで勉強しろ」肌の手入れをしていると、肌の荒れていた私を揶揄し「肌が綺麗な子はなにもしなくても綺麗なのにねー」と妹と顔を見合わせ笑いながら言ってきた。
なのに妹が外見を整えることには肯定的で特に文句も言わず、不公平さに歯噛みした。
また、妹も私のことを馬鹿にするようになり「女は顔が結局良い方が勝ち」などと言ってきたり、下校中に変質者に遭遇した!と訴える私に「良かったね~(こんなあなたのことも女として見てくれる人がいてよかったねの意味)」と言ってきたりした。

このへんから、妹や親に対する怒りと憎しみ、自分の容姿に対する劣等感が肥大して真っ黒な感情に飲み込まれることが多くなった。外見さえよくなればこんな思いをしなくてすむのに!妹さえいなければ比較されて嫌な思いをすることもないのに!と毎日思っていたような気がする。

それでも勉強だけは真面目にやっていたので進学校の高校にすすみ、周りは東大京大国立医学部が第一志望の人たちだったので、他人の外見を揶揄する人もほぼおらず、3年間平和に過ごした。といいたいが、このへんから、持病の躁鬱の傾向が出始めていたのだと思う。
高校1、2年生の時は鬱状態で、ほぼ勉強に取り組むことができず、学校もサボりがちになり市立図書館に籠っていた。気分が常に沈んでおり、頭と身体が切り離されたようなぼんやりとした感覚があった。でも読書だけはできた。読書だけが逃げ場で心の支えだった。
学校に登校する日は夜も寝ずに徹夜で読書をして、日中は学校で寝ているという生活だった。親は発狂して、「頑張って育てたのに!!」とキレて泣いていたが、それを冷めた目で見ることしかできなかった。
うちの実家ではノックをせずに子どもの部屋に入ってくることが普通で、私が本を読んでいるときに、いきなり部屋に入ってきては「くだらない本読んで!」とキレられたり、大切な本をごみ袋に入れられて捨てられそうになったりした。
また、精神的に不安定な私を見て、「なにぼーっとしてるの!」「精神病院いくか?」などと怒ったりしてきた。(当時から精神科にいっていれば人生変わっていたと思う、本当に連れていって欲しかった)

さすがにこの家を早く出ることが最善なのでは?と薄々気づき始めた。そうなるともう一刻も早く実家を出て独り暮らしをしたくてたまらなくなった。親と離れたい。妹と離れたい。そうすればこんな惨めな日々ともおさらばだ。
それから高校3年生になった頃。今思うと躁になっていたと思うのだが、私は超難関国立大学を目指して猛勉強を始めた。平日でも7~8時間は勉強していたと思うが、全く苦ではなかった。
そして結果的に志望大学にはとどかなかったが、県外のそこそこ難関の国立大学に合格することができ、晴れて独り暮らしが始まった。

化粧も自由にして、髪も染めてパーマかけるぞ!と意気込んでいたが、如何せんこれまでおしゃれを禁止されて育っているのでセンスがない。おまけに性格も卑屈さと人見知りが相まって陰気な感じに仕上がっている。
おまけに、大学は本当に可愛くておしゃれな子が多かった。
そして再びルッキズム。
サークルの新歓にいっても明らかに可愛いこがちらほやされていて、誰も私には目もくれない。
そして、周囲がキャンパスライフを楽しむ中、鬱状態になり、家事や掃除もあまりできず、昼夜逆転し、コバエがわく汚い部屋に死体のように横たわっていた。
それでも、なんとかサークルに入ったり、サボらず授業を受けるうちに、学部内でも話す人ができたりと、大学2年生になるころには徐々に孤独ではなくなっていった。
キラキラした人がいない地味なサークルに入り、そこでであった大人しくもユーモアがある先輩と付き合うことになった。
これで、順風満帆と思いきや。
彼氏は、私のことを最初はかわいいかわいいタイプの顔だと、とても優しかった。しかし、私はずっと卑屈なままで、「私なんてかわいくない」というスタンスを変えることができなかった。
すると、彼氏は私のことを貶めても良い存在だと思ったのか、付き合って暫くたつと豹変し、私の顔を写真にとり、「唇がオバケのQ太郎みたい!唇が薄くなればかわいいのに!」と笑いながら言ってフォトショップで私の写真を理想の顔に加工して遊んだり、「俺は可愛いと思うけど世間的に見たらかわいくない」などと外見を貶める発言をよくしてくるようになった。
サークルのメンバーも最初は優しかったが、「顔が面白くて笑える」「顎がないよね」「かわいくないから結婚できない」などと私の外見を貶して笑いを取る謎のムーブメントが発生してしまった。今でこそ外見いじりはよくない、とされているが当時はまだテレビでも外見いじりが頻繁に行われており、それが面白いことだと認識されていたのだと思う。
最終的に酔っ払った彼氏にサークルの飲み会で殴られ、別れることになったが、それまでこのような扱いが続いていた。
興味深いのが、普段女性に相手にされていないような男達でも、自分が女の外見を一方的にジャッジしてもよい存在だと認識しているということだった。
男は女の外見を見て、一方的に評価する側に立っていると信じているのであろう。
また、この後の複数の場面でも同じことを感じた。

詳細は割愛するが、殴ってきた元彼氏と別れることができ、私にはまた好きな男性が出来た。しかし、その人も私のことを全く大事にせず、私の友達(Aちゃん)も含め皆で会っている時に、「◯◯(私)よりAちゃんの方が可愛いよなー」などと平気で言う始末だった。周りの皆は笑っていたし、私もへらへらしていたが、その時も、お前には存在する価値がない、と言われたようなショックで動悸がして目の前が真っ暗になった。

その頃、妹が、大学は別だが同じ地域の大学に進学することになった。
そして、私と妹は同じ部屋に住むことになった。妹が美人でモテるので、心配になった親が私と一緒に住まわせることにしたらしい。(妹談)
しかし、それに効果はなく、私をなめ腐った妹は、早速男性の家にとまりにいき、引っ越しの荷解きすら手伝わなかった。
その後も妹は、自分の彼氏を私と妹の住む部屋に何連泊もさせ、ほぼ3人で共同生活をしているような状況になり、私がその彼氏の食事も作ると言う、異常な状態に突入していった。
せめて、食事後の食器を洗ってほしい、と妹にいうと、妹の彼氏に「妹の手が荒れてかわいそうだから、お前(私)がやれ」といわれた。
妹の彼氏は妹の言いなりで、下手に出ているようだった。彼は、「妹は我が儘だが、顔がかわいいから、別れたらもうこんな可愛い子と付き合えないと思って別れられない」といっていた。
また、その頃akb48が流行っており、私が自宅でダンスをコピーして遊んでいた際に、それを見た妹の彼氏に「ぜんぜん(見た目が)違う!(嘲笑)妹がやったら可愛いけど!」と馬鹿にされたのも忘れられない。

美人はいるだけで価値がある。私は、美人でないなら面白いキャラになって価値を出さなきゃ!と必死で道化役を演じ、へらへら笑っては容姿いじりを受け入れてきた。それが定着してしまい、いじってもよい人認定され、学校で会う友人からも顔の欠点を言われては笑われるようになっていた。
でも結局、馬鹿にされるだけで誰からも大事にされない。美人じゃないから誰からも愛されない。愛されたい…。

私は泣きながら親に電話した。
他人からの扱い、自分の顔が嫌いなこと、整形したい、と泣きながら訴えた。
慰めてもらい、「そんなことない、あなたを馬鹿にしてくる人たちが悪いんだよ。あなたは可愛いよ」そういって欲しかったのだと思う。
地元を出て、親と離れて嬉しかった。でも私はまだ親に精神的に依存している状態だったのだと思う。
しかし、親は「うーん」みたいなことしか言わず、とりあえず私と妹の住む部屋にやってくることになった。
そして、親がやってきた日。
親は私を都会の整形のクリニックに連れていった。私は「整形したい」といったが、本気だった訳ではなく、親から同情心を引き出したいあまりに言った一言だったので、内心焦っていた。
しかし、親はすでにクリニックやプランについて調べ、お金もおろしており、ヤル気満々の様子であった。
私はとりあえず話だけ聞いて帰ろう、と思っていたが、気づくと
「目と顎を整形したら、お母さんみたいな美人になれるよ」という医師の言葉にのせられ、当日に二重の埋没と顎のヒアルロン酸の整形をすることになった。
自分の人生は顔のせいで不本意な目にあっているのだから、自分には整形をする権利がある、そういう思いが沸き上がってきた。
手術中、「もう生まれ変わって、いままでみたいな扱いを受けなくてすむよ」と医師はいっていた。

整形後。
実際可愛くなった、と沢山の人が言ってくれた。男子学生から好意を寄せられることも増えた。
就活で難易度の高い人気の大企業に内定することもできた。
でもやはり、自分の中の「愛されない」という気持ちや不安感憂鬱な感じはどうしても拭えないのだ。それに加え、整形で周りを欺いているという罪悪感からどうしても前向きになれなかった。
「美人なのに、自信無さそうだね」とバイト先の人に言われることもあった。

内定をとった大企業に入社した。これがきっかけで東京に上京した。
高学歴で英語を喋れる人が多いというのは納得だが、美男美女の多さにはビックリした。アナウンサーとかアイドル級の美女がごろごろいる。整形し、そこそこましな外見になったものの私とは全くレベルが違う感じであった。
しかし、会社の同期は明るくまっすぐ育った優しい人たちが多く、飲み会に行ったり、皆で出かけたり旅行に行ったり、クラブに踊りに行ったりするのは本当にたのしかった。
そのうちに、同期の中の一人と付き合った。一緒に平日も休日もよく飲みに行き、お互いの家で時間を過ごした。2年ほど付き合い、相手の実家にも行った。
しかし、ふと彼が酔った時に「同期の◯◯はお前よりレベルが高くて可愛い」といった時に、また目の前が真っ暗になった。その時は今までのようにへらへらごまかさず大声で泣いた。
彼はあやまってくれたが、別れることにした。今までの嫌だった出来事が一気にフラッシュバックし、またか、と思った。この会社では、上司や取引先や派遣社員の人から外見を美人な同期達と比較してあれこれ言われることがあったが、付き合って親にも紹介してくれた人に、またいつものように、外見を人と比較して貶められたのかと思うと、絶望感がすごかった。やはり美人でないと愛されないのか。
その後、また彼氏ができたが、結局同じような結末を迎え、別れてしまった。
また、彼らに関しても、女性にモテるタイプではなかったと思うが、一方的に人の容姿を評価できる立場になぜ立てるのが不思議であった。

そんな私が楽になったタイミングがある。地方転勤になり、そのタイミングでひとり旅に目覚めた私はバイクにはまった。誰もいない離島で化粧もせず素っぴんで、バイクに乗り風に吹かれるのはなんともいえない気持ちよさだった。初めて外見のことを気にせず、素で、楽しめる時間を手に入れた、と思った。
そこから屋久島でソロキャンプをしたり、北海道横断をしたりとアウトドアでかなり心が癒されたように思う。
自然は私をジャッジしてこない。バイクにのっているときに、雨に降られてずぶ濡れ状態になったりピンチも多かったがむき出しで生きている感じがして、それすら楽しかった。

あれから転職し、30代になり、結婚、妊娠出産を経て、外見をジャッジされる機会が減ってかなり楽になった。
外見をジャッジする対象である若い女枠から外れたからだろうな、と思う。
また、夫が男性には珍しく、人の外見(芸能人含)に一切言及しないタイプで、それもかなり楽であった。
若い頃は、結婚したら、夫になった人に「妹の方が可愛い、妹のほうがよかった!」と言われたらどうしようと思っていたが、それも杞憂に終わった。

私は平成1年生まれで当時はインスタグラム等のsnsは普及してなかったが、ずっとルッキズムに苦しんできた。
20代後半までの人生を自分の脳を外見に関するコンプレックスにリソースを割きすぎた。それは本当に無駄だった。その分、もっと勉強や仕事、趣味に集中していたら、成果を出せただろう。(高校の時の担任に、お前高1から普通に勉強していたら、東大いけたぞといわれた。さすがに無理だろと思ったが、身につまされた。)
ルッキズムの何がいけないか、私はどうすべきだったかが、今となってはわかる気がする。
当たり前だが、「人の外見を馬鹿にしてくる人」に問題がある。しかし、私は「外見を馬鹿にされる自分に問題がある、なんとか改善しなきゃ!」という自責の思考になっていた。当時、外見を馬鹿にされた主人公が、一念発起して外見を磨き、馬鹿にしてきた人たちを見返す、というタイプのマンガが流行っており、それに自分を重ね合わせたりもしていた。
当たり前だが、馬鹿にしてくる人が悪い。そこにしっかり境界線を引いて、「それ傷つくんだけど、辞めて」と言うべきなのだ。そう言うことで、自分の最低限の尊厳は守られる。へらへら笑って流すことで、自分で自分をまた傷つけてしまう。
また、こればかりは求めても得られないのだが、「親に可愛いと言ってもらいたかった」「妹と平等に愛して欲しかった」という思いがある。私の中で、「親が美人の妹ばかり可愛がって、自分は愛されなかった」という経験が、「自分は可愛くないから愛されないんだ」という思い込みに、さまざな傷つきを経て、いつしか刷り変わっていた。
今から親を変えるのは無理なので、自分にできるのは、「自分で自分を愛すこと」だと思うがこれは難しい。
しかし、バイクにのって気づいた、好きなことに没頭しているときの一瞬のきらめき、自分のコンプレックスや、自分の自我さえも忘れるような楽しさ、心からの没頭を追及していくことはできると思う。

そして、今、私はもうすぐ3歳になる娘の育児中だ。出産するまでは女の子が産まれるのが怖かった。私に顔が似たらどうしよう、こんな外見至上主義の世の中で私みたいに嫌な思いをして傷ついたらどうしよう、と不安で不安でしょうがなかったのだ。
それでどうだったか。娘は私に似ているが、可愛い。顔をみるとしみじみと可愛い顔だなぁと思う。
一瞬に自撮りすることも多いが、私と娘の顔は本当に良く似ている。
あれ、ということは私も可愛い…?
娘は、「◯◯(娘の名前)もママもパパも可愛いよー」と言ってくれる。
昔整形した埋没もとれてきてしまって、薄い顔だが、娘との自撮りを見て最近は私も可愛いんじゃないかな、と思うことが増えてきた。世間の美人の基準とは違うけれど、愛嬌がある良い顔なんじゃないかな?こんな風に自分のことを思えるようになったのだ。
そう思うと、何度も絶望していたけれど、ここまで生きてきて良かったなと思う。



















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