内省 無気力 後悔
いったい私は何をしているのだろうか、なぜ息をしているのだろうか。
思考回路は遮断されたまま、呆然と立ち尽くしている。
液晶もれしたノートパソコンも、綺麗に揃えた靴先も、ぬるくなったホットコーヒーも、楽しそうに談笑するタレントたちも。
私が私自身に科している、過度な期待を知る由もなく、ただそこに呆然と立ち尽くしている。
そして、私の横で突っ立っているそれらは無自覚にだけれども、確実に私の脆弱な精神を蝕んでいく。
一歩踏み出すことが、とても恐ろしい。もし失敗してしまったら……
--また自信を失くしてしまうのではないか。
--不特定多数の顔も知らない誰かに嘲笑われてしまうのではないか。
そういった触ることが出来ない不安が、私の精神世界を支配する。
その不安はふわふわしたやわらかいものであったり、指先をとかしてしまうかのようなぬるぬるとしたものであったり、時にはかたくてごつごつしたものであったりする。
幸福を実感するよりも、不安はすぐに触れることが出来る。
それはいったいいつから? この世に生を受けてから? つめたいフローリングを歩いた時から? 真っ赤なランドセルを背負った時から? 「成人」という身に染みることのない称号を得た時から?
過去に遡ってみても、思い出せない。
無自覚に「自分を攻撃」することで、「身を守ってきた」のかもしれない。先に自分を攻撃することで、他者から批難されたとき、「だってしょうがないじゃないか」と逃げ場所に籠ることができるからだ。
私の逃げ場所は、いつも心の中にある。
ーー私に出来ることはなにひとつない
ーー無理だとわかったら投げ出すしかない
ーー魅力なんてひとつもない
挙げることさえおそろしくなる逃げ場所。
自信がないくせに、ないからこそ、他者よりも自分が下位である状況が納得がいかない。他者よりも優秀であれば褒められる、自分に価値が見出せる気がする。気がする、気がするだけ。
失敗することがきらい、私の価値を勝手に決める人がきらい、私を否定する人も肯定する人も信じることが出来ない。きっとあの人は私のことを嫌いだ、陰口を言っている。泣きたいけれど、泣いたら負けだ。
私を嫌いとだれが決めた?
失敗したら、泣いたら負けって、だれが決めた?
私自身が決めたルールに乗っていっても、行き着く先はすべて無。
悲しいだけで、自分をすり減らすだけで、何も残らないのに。
自分を攻撃することが私自身の精神安定剤である。抜け出すことのない負の連鎖から、だれが助けてくれるのだろう。
もう、大人なのにね。きっとその言葉が私を縛り付けているのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?