私の原風景
私の障害と向き合う生活は今思うとずっとずっと昔
小学校の頃にありました。
同級生のやっちゃん(仮名)
小学校6年間 中学3年間 ずっと一緒にすごしました。
私にしたらそれが当たり前でした。
きっと、障害という言葉もわかってなかったと思います。
三男の就学までやっちゃんと一緒に過ごしたことが当たり前ではないことに気づいてなかったかもしれません。やっちゃんのお母さんはとても熱心なお母さんでした。今思うといろいろな思いで地域の学校に通っていたのでしょう。やっちゃんのお母さんともよくあいさつをしたりいろいろな活動をしました。
大学にはいり教育学を学び障害のあるお子様のグループなどのボランティアに参加したり当たり前に関わってきました。
やっちゃんとはけんかもしたし、一緒に遊んだり、勉強も、学校行事も一緒
思春期にはやっちゃんが好きな子にうまくアプローチできずやっちゃんと話し合ったり・・・・
私の思い出の中に当たり前にやっちゃんがいて
仲間でした。
高校になっても、みんなで集まるときにはやっちゃんも必ずいる
そもそも自分の中に障害とか垣根はないのかもと思います。
それが三男を連れて社会に入ると急に壁にぶつかることがある。
そのギャップに苦しんだのがここ1~2年だったなあと思います。
私の原風景にあるインクルーシブが さらにやっちゃんがもっと生きやすい環境のなかでインクルーシブされていったら
だれもがその子らしく地域で当たり前に学び暮らせる
そんな未来が素敵だなと思いました。
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