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秘密のレシピ -Cafe Pour Toi-

ううー、今夜は何だか冷えるなぁ、早く帰ろう…
あれ?こんな所にカフェなんてあったっけ?

その店は静かな郊外の一角に佇んでいた。
「へぇカフェプルトワかぁ」
小さいけれど、おとぎ話に出てきそうな可愛らしい外観で。
窓から柔らかなオレンジの灯りが漏れ、ほんのりと甘い香りが漂っている。

父のお見舞い帰り真っ直ぐ家に帰るつもりでいたけど。
何だかお店が気になったのと、体も冷えてしまっていたから、ケーキでも食べようとお店に入ってみることにした。

カラランと心地よいドアベルの音色と共に、暖かい空気とほろ苦いコーヒーの香りに包まれる。

「ようこそいらっしゃいませ、どうぞこちらの席へお座り下さい」
店主だろうか、優しい笑顔の男性に案内され私はカウンター席に座った。

「お客様の料理をご用意しますので暫くお待ちくださいませ」

「えっ?あのメニューは?」
注文も聞かずに店主は奥のキッチンへと行ってしまった。

メニューとかないのかな?
店内を見渡してみてもメニューらしきものは何も無い。
店内はお客さんで賑わっていて、皆それぞれ色んな物を食べたり飲んだりしている。
それにしても皆一人客ばかりだ。

あれ?あの男の人、泣きながらオムライスを食べてる…どうしたんだろ?
あっちの席の人は凄く嬉しそうにパンケーキを頬張っている。

「お待たせ致しました、お客様にはバニラアイスをお持ちしました」
店主は頼んでもいないアイスを持ってやって来た。

「えっ!こんな寒い日にアイスですか!?」

「店内は暖かいですから、大丈夫ですよ」
とにっこり笑顔で言ってくる。
そんな笑顔で大丈夫ですよなんて言われてもなぁ…。

「それではごゆっくりどうぞ」
そう言うと店主は別のお客さんの所へ行ってしまった。

スプーンですくったものの、冷たいアイスをなかなか口に運べないでいると。

「お嬢さんこの店へは初めていらしたのかね?」
恰幅のいい年配の男性が声をかけてきた。
さっき向こうの席で泣きながらオムライスを食べていた男性だ。

「あ、はい。初めてです」

「うんうん、そうだろうと思ったよ。この店は普通のカフェとは少し違っていてね、ここの名前の【プルトワ】とはあなたの為のって意味があってね。
来店した客に一番必要なメニューが出されるんだよ」

「どうゆうことですか?」

男性はゆっくりと話し始めた。
「私は最愛の妻を病気で亡くしてね、だが私は仕事仕事で、妻が息を引き取る瞬間、傍に居てやれなかったんだ。
私は妻の傍に居てやらなかった自分を責めたよ。だがどんなに悔いても時間を戻せるわけでも無いし、どうする事もできない。辛さのあまり私は生きる気力を失ってしまっていた。
そんな時このカフェを見つけてね、最期に何か美味いものでも食おうと思って店に入ってみたんだ。
そうしたら、店主は注文も聞かずにオムライスを出して来た。
最初は驚いたよ…出されたオムライスが妻の味そのものだったんだ」

「…奥様の事残念ですね」

「うむ。しかし、ここでオムライスを食べると、妻が傍に居てくれる気がして心が癒されるんだ。
それからは、どうしようも無く辛くなるとこの店にオムライスを食べに来るんだよ」

「そうなんですね…」

「だがね、この店はいつでもここにある訳では無く本当に必要な時にだけ現れるんだ。だから私も、キミも、他の客達も。
皆導かれてこの店にやって来て、その人に必要なメニューが出されているってわけだ」

「はぁ…それで私にはバニラアイスが必要だと?」

「うむ、そうゆう事だろうな。まぁ食べてみればわかるさ」
そう言うと男性は会計を済ませて店を出ていった。

私は目の前に置かれたバニラアイスを一口食べてみた。
『お父さん』不意に父の事が頭に浮かぶ。

父は癌で入院して3ヶ月になり、私は毎日お見舞いに通っていた。
癌は全身に転移し何処から始まったのかすら分からなくなっていて、お腹には腹水がたまり臨月の妊婦さんのようだった。
先日手術したものの、既に手の施しようが無く。結局腹水を抜くだけで何もしないまま手術を終えた。

父の命はもう長くは無い。

明日はお父さんにアイスを持って行こう。
そう思いながらカフェプルトワを後にした。

翌日バニラアイスを買って、父が待つ病室へ向かうと。
「痛いって言ってるだろ!!出ていけ」と怒鳴る父の声が聞こえてきて、「すみません」と言いながら看護師さんが病室を出ていった。
あぁ…病気になっても父はやっぱり変わらないんだなと思いながら部屋に入る。

「お父さん、こんばんは」
父はベッドに横になっていたが、私の顔を見るなり体を起こしてベッドの上に座った。
「バニラアイス持ってきたよ。」

「おお、ありがとう。」

父と私は決して仲のいい親子ではなかったし、愛情とゆうものを父から感じた事はなかった。

小さい頃の私は、病気で何年も入退院を繰り返し、手術も受けたが結局病気は治らないまま現在に至るのだけど。
長い入院生活の中で、父は一度もお見舞いには来てくれなかったし、よく理不尽な事で怒られた。
お酒を飲むと暴力もふるう。
父に髪を引っ張られて大きなハゲができた事もあった。

幼稚園の頃に父の似顔絵をプレゼントした時は、その場で破り捨てられ。
中学生の頃は外で働く母の代わりに、私がご飯を作っていたのだけれど。父は母の作るご飯以外は食べず、私が一生懸命作った料理は一口も食べなかった。

お金にルーズで仕事も長続きせず、何度も何度も転職を繰り返していたし。
ご飯の時間は箸や味噌汁が飛んでくる事もしばしばあって。そのせいで何度か火傷した。
テレビを見てても話をしてても、気に入らない事があればすぐに怒って暴れるし、母はいつも泣いていた。

私はいつも父の顔色を伺いながら過ごしていた。

私の学費は父の新車に代わり、高校にも行けず。私が働き出すと何度も何度もお金をせびられ。
結婚資金にと貯めていたお金もいつしか父の手に渡って行った。
父が怖くて憎くてたまらなかった。
消えればいい早く死んでしまえばいいと、ずっとずっと願い続けてきた。

でもそんな父は癌になった。

悪い意味で大きな存在だった父は、みるみる衰え小さくなっていく。

「バニラアイス一緒に食べよう」

「うん」

そう言って微笑む父の姿はあまりにも儚い。
私の中で恐怖と悪の塊だった父が、こんな風になるなんて思いもしなかった。
まぁでも、看護師さんを怒鳴る元気は残っているんだなと変な安心感もあって複雑だった。

「おいしい?食べれそう?」

「うんおいしいよ」

「そうよかった」

「あぁそうだお前の好きなカレーのレシピ、これに書いておいたから」

「えっお父さんのカレー?ずっと誰にも教えなかったのに?」

私はたまに作ってくれる父のカレーが好きだった。ステーキ用のお肉をサイコロ切りにしたのが入っていて。野菜は玉ねぎ、にんじんジャガイモと特別な物が入っているわけではないんだけど、作り方は絶対秘密らしく。この特別な【お父さんのカレー】は誰が作るよりも美味しかったのだ。

父のカレーが食卓に並ぶ日は、父も母も私も、皆笑顔で食事ができた。
皆で美味しいねって言い合って、父は少し得意げで。【一家団欒】ができる唯一の日だった。

「お母さんには内緒だからな」

「うん、ありがとう。これ見てお父さんのカレー作ってみるね」

父はアイスを半分食べて「ご馳走様」と言った。もうアイスですら一つ食べ切る事もできなくなっているんだ。
そう思うと涙が胸の奥からぐぐっと込み上げてくる。
食べ終わってしまうと話が続かない。父の顔を見ると泣きそうになってしまう。
いつもこうだ…。話したい事は山ほどあるのに、ことば達がわれ先にと喧嘩して、喉で詰まって出てこない。

気まずさに耐えきれなくなって、
「じゃぁまた来るね」と言って早々と病院を後にする。
このまま帰るのが寂しくて、又カフェプルトワに立ち寄った。

「いらっしゃいませ、お席へどうぞ」
柔らかな笑顔で店主が迎えてくれる。

「昨日のバニラアイスは、如何でしたか?」

「はい、とても美味しかったです。
父にも食べさせたくなって、今日一緒に食べてきました」

「そうですか、それは良かったですね。本日はメロンシャーベットにしましょう」

「あっ、はいありがとうございます」

またアイスかと思いながらも、店主が持ってきたメロンシャーベットを食べると、父が半分残したバニラアイスが浮かんでくる。
シャーベットなら、口当たりが良いし食べやすいかもしれない。
次はシャーベットをお見舞いに持っていこう。

だけど急に仕事が忙しくなって残業続きになってしまい、病院の面会時間に間に合わず。お見舞いに行けないまま3日も経ってしまった。
今日は何とか定時に仕事を終わらせ、メロンシャーベットを買って父の居る病室へ向かった。
部屋に入ると鼻を突く嫌な匂いに胸騒ぎがする。この匂いは死臭だ。
「お父さん、こんばんは」

「おお」
具合が良くないのか、父はベッドで横になったままだ。
「しんどい?」

「大丈夫だよ。ちょっとベッドを起こしてくれないか」
ボタン操作でベッドの上部を上げ、自力で起きれない父の体を無理矢理に起こす。
「メロンシャーベット持ってきたの一緒にたべない?」

「おお、シャーベットなら食べやすそうだな。」

父はスプーンを持つ手に力が入らないようで、上手くすくえないでいる。
たった3日でこんなにも弱ってしまうなんて…。

「私が食べさせてあげる。はい、どう?食べれそう?」

「うん」
ゆっくりとシャーベットを食べる父を見つめながら、私は何も話せないでいた。
黙々と父の口にシャーベットを運ぶ。何か話すと泣きそうで、こめかみがぎゅうっと締め付けられる。

「最後にお肉食べたかったなぁ」
父はお肉が大好きだった、お肉だけじゃない美味しいものならなんでも好きだった。
でも、もう食べれないんだ…。

「お前の作った一口豚カツおいしかったよなぁ…」
そうだ、私が作るご飯の中で父が食べてくれたのは、一口豚カツだけだった。父が美味しいと言ってくれたその日から一口豚カツは私の得意料理になったんだ。
「あれ、好きだったねお父さん」
「また食べたかったなぁ」

なんの返事も返せずに、父の口にシャーベットを運ぶ。
父の癌でこんなに自分が悲しむなんて、思ってもいなかった。
『お父さんなんて早く死ねばいいのに』
ずっとそう思い続けていたから、その願いが遂に叶ってしまったんだろうか…。
私のせいで父は癌になったのかもしれない。私のせいで…。
今にも消えてしまいそうな父を見ていると、そんな事ばかりが頭に浮かんでくる。

「これで最後の一口だよ」

「そうか、ごちそうさま」

「全部食べれたね」
メロンシャーベットは食べやすかった様で、父は完食してくれた。
食べ終わると、父は私の手を握ってきた。

「入院生活はしんどいな、お父さん入院なんて今までした事なかったからわからなかったよ。
検査に注射に点滴に薬に手術もした。お前はあんなに小さい頃からこんなに辛い事を毎日毎日、ずーっと我慢してきて今も耐え続けてるんだな」

「え?…あぁうん、そうだね」

「本当に偉いな。
お前には沢山嫌な思いをさせて来た。これまでの事本当にすまなかった。こうやって会いに来てくれてありがとう、今までごめんな」

こんな事を父から言われるなんて、思ってもみなかった。
だって父はずっと、ずーっと…。

「お父さん、お父さんは私の事愛してた?」

「もちろんだよ、でもちゃんと示せてなかった。
それどころか嫌な思いばかりさせてたよな。今更と思うかもしれないが、本当にすまんかった」

そう言って私の頭を撫でてくれた。
私は父に抱きつきながら大声で泣いた。
父と私の間にあった壁の全てが涙と共に流れ去っていく。

そうして翌日の明け方4時、私が自宅で寝ていると母から電話がきた。

父は息を引き取ったのだ。

私は一週間の有給休暇を職場に出し、
親戚への知らせに病院や葬儀の手続き、遺品整理にお墓の準備。
悲しむ間もなく慌ただしく、ただ淡々と日々が過ぎていった。

ようやく全てを終え自宅に帰り、ホットミルクティーにいつもは入れないお砂糖を入れて飲む。
「あぁ、美味しいなぁ」
お砂糖の甘さで、疲れが少し和らぐと。
ふと悲しみがじわりじわりと、にじり寄って来るのが見えた気がした。
逃げる間もなくあっとゆう間に捕まり飲み込まれていく。

「お父さん…」

父の痩せ細った顔が浮かぶ。
頭を撫でられた時の、手の重みを感じる。
父を抱きしめた時の、ガリガリに痩せ細って骨ばった体の感触が蘇る。
父にまとわりついていた死臭が、鼻の奥にこびり付いている。
父がくれたカレーのレシピの紙を見て、
胸がぎゅうっと締め付けられ上手く息ができない。
お父さん…お父さん!
一気に押し寄せてくる感情に為す術もなく溺れていく。

そうだこんな時は…
私は逃げ込むようにカフェプルトワへ向かった。

「いらっしゃいませ。おやおや、お待ちしていましたよ。どうぞこちらへ」
店主の暖かい笑顔に救われる。
いつものカウンター席に座ると、私が来るのをわかっていたのか、店主はすぐに料理を持ってきてくれた。

「どうぞ、本日はカレーライスです」

「あ…」

出されたカレーライスを一口食べると。
父の、あのカレーの味がした。
サイコロ切りにしたステーキ肉、にんじん、じゃがいもにたまねぎ。

たくさんの辛かった思い出と、最後の三ヶ月間の想い出が浮かんでは、一つ一つ整理されて心の中に仕舞われていくのを感じる。
泣きながらカレーライスを食べていると、店主が近付いてきた。

「お父さん、ずっとカレーのレシピは誰にも教えないって言ってたんです。
でも私にだけは最後に教えてくれました」

「そうですか、きっと愛する娘さんに美味しいと言って貰えたレシピを残したかったのでしょうね。お父さんのレシピ、しっかりと受け継いで下さいね」

「はい!」

カレーライスを食べ終わる頃には気持ちも落ち着き、涙はすっかり止まっていた。
「ありがとうございました」と店主にお礼を言って店を出る。

私にはもうあのお店は必要無くなったのだろう。
あの恰幅のいい男性が言っていたように、あの日以来カフェプルトワはその姿を消した。

それから数ヶ月が経ち
今日は久しぶりに母が家に来るから、手料理を作って【家族団欒】をするつもりだ。
メニューはもちろん父のカレー。
父がくれたレシピに沿って手順通りにカレーを作っていく。

「はい、お母さんお待たせ。カレーだよ」
「あら、この味はお父さんの…」
「ねぇっ同じ味でしょ?」
「ほんと、同じ味だわ!どうやって作ったの?」
「えへへ、内緒だよ!」

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