短編小説「千に散る夏夜の花」
「綺麗だね」
夜空を明るく、色鮮やかに照らす大小の花火。彼女が住んでいる場所からは、近隣の川から打ち上げられるほぼすべての花火を見ることができる。
新しいとは言えない家だけど、その古さもまた夏の風情に混ざって、雰囲気を助長する役割をしていた。少しさびた鉄の柵も、塗装のはがれた壁も、ボロボロになったエアコンの排水管も。全部、ノスタルジックで情緒的な今この時間に溶け込んでいた。
彼女の澄んだ瞳は、夜空に咲く花を一つも逃すまいと鮮やかに花火を映す。
同時に、彼女の顔も赤く、黄色く、青く、花火に合わせて色を変えていた。
彼女は夜空に咲く大輪を眺めながら、涙を流す。澄んだ瞳から流れる涙はとても大きく、その雫は花火の光を吸っていた。その涙が落ちて飛び散った時でさえ、花火のように見えるほどに。
最後の花火が夜空に上がった。
風に揺らめくような軌跡を残しながら、雲を一つ二つと突き抜けて、上を目指す。そして光が消えて、静寂が訪れた。
夜空が元の夜の色に覆われて、一気に深い青に染まる。
そして、花が咲いた。今年の夏最後の、夜に咲く花が、空に咲いた。
目が痛くなるほどのきらびやかな花火、そして建物を揺らすほどの轟音。カメラのフラッシュのように一瞬で過ぎ去ったその時間の何倍も長く、余韻が続く。
彼女はその余韻に声を載せた。
「次、花火を見るときは、上からだね」
その時、彼女が見せた精一杯の笑顔は、変わらない明るさで、私の中で永遠に咲き続けた。
彼女はその冬、年を越す前に死んでしまった。
私は今年も、彼女の家から花火を見る。彼女が残してくれた、花火大会の一等地。
今年はどんな花が咲くだろう。
きっと彼女も見ているだろう。
今日の夜は、晴れだ。
ほら、千散、花火が上がったよ。
第23作 短編小説「千に散る夏夜の花」 了
あとがき
こんにちは。遠海春です。
夏の風物詩、花火を題材にして、小説を書いてみました。あの人混みも、あの煙の香りも、あの疲れ方も、花火大会だけでしか得られないものだと思います。
わざわざ早くに家を出て、夜の十数分の花火のためだけに、私たちは多くの時間を使います。告白のチャンスをうかがう人、隣の人の手を握るチャンスをうかがう人、情緒的な文章をつむごうとする人、友達を誘おうかどうか迷っている人、これを機に謝ろうとしている人。もちろん、それ以外にも多くの人が花火大会のために、あるいは花火大会を利用して、何か行動をしようとして、時間を使っているはずです。
仮に人生百年生きれるとして、夏は約百回来るわけです。百回しか来ないわけです。
少なく感じませんか?
これだけ長く生きているのに、春夏秋冬、百回ずつだけなんです。
人間は一年で大きく変わります。学生であろうと、学生でなかろうと。
花火の感じ方も、その時によって変わるはずです。
花火の見え方も、その時によって変わるはずです。
煙の香り方も。
光の見え方も。
音の聞こえ方も。
全部全部、変わるはずです。もちろん、隣にいる人も。
それを踏まえて、あなたはあと一回しか花火大会が見られない。これが最後の花火大会だ。
そうなったとき、あなたはどうしますか?
涙ながらに花火を見るでしょうか。笑い泣きしながら花火を見るでしょうか。無言で花火を見るでしょうか。
私は、一年、そして一回の季節を大切にしてほしい。
その時にしかない物を、その時にしか感じられないものを、あなたは手にしている。
今日この時、もう見ることのできないものを、もう感じることのできないものを、あなたは手にしているかもしれないから。
千に散ると書いて「千散(ちさ)」。花火は、一つの玉から、いろいろな方向に光が散ってゆきます。それを表現した名前にしました。
散りゆく姿は、寂しいかもしれません。しかし、同時に誰かに、何かを与えているのです。
花火がそうであるように。
花火は、打ち上げて、爆発して、散ってゆきます。しかし、何も与えられないことはありません。儚いという気持ちや、心を動かされるその力を与えているのです。
小説の中にいた彼女もきっと、人に多くを与えて、散ったのでしょう。
千散、ありがとう。
2024年7月27日 遠海 春