心の中の境界線「遠慮のデッドライン」
こんにちは。
遠海春です。
皆さん、遠慮ってすると思います。
「いやいやそんな~」
「いえそんなことは……!」
みたいな。
日本人なら誰でもするであろう、「遠慮」今回はそんなお話です。
先日、友達から「言いたいことはハッキリ言え」というニュアンスのことを言われました。
私は、人から見れば遠慮しまくっている人間であると自覚しています。
遠慮しまくっても、一定のラインを超えればメリットは減ってきて、自分の言いたいことが言えないというデメリットが増加します。
でも、遠慮をしまくっているという自覚はあんまりないんですよね。
人から見ればそういう人であるというのは自覚していますが、私の視点からすれば、そういう人であるということを自覚していません。
遠慮は、「発言や行動を控えめにすること」という意味があります。
言い換えれば、言葉の強さを下げる、行動の強さを下げる、ということになります。
今回私が指すデッドラインはこのラインです。言葉の強さ、行動の強さのデッドラインです。
負の方向に超過すれば、弱すぎて、正の方向に超過すれば、強すぎる。
そしてその間に存在するのが、どちらでもない適正なゾーンです。
本題に戻ります。
私が、先述したような指摘を受けたということは
私が遠慮しすぎて私の意図が不透明で、それを読み取れないことをよく思わなかった人がいた。
ということです。
今までそのようなことはなかったのですがね。
逆に、そのような人がいるということを考慮しなかった私が悪いのですが。
彼からすれば、言葉の強さ、行動の強さのデッドラインを負の方向に下回っていたということになりますね。
私の言動、行動が弱すぎるのです。
友人からすれば「言いたいことはなんとなくわかるけど……!」
という状態だったのでしょう。
友人の気持ちも十分に理解できます。
有耶無耶にして濁されたりするとイラッとするときさえあります。
しかし、ここで邪魔をするのが私個人のデッドラインです。
私のデッドラインは2つとも友人よりも下に位置している。
私が適正だと思っていても、相手からすれば濁しているように見えて、よくは思わない。
私は人にお願いをしたり、命令をしたくない人間です。
お願いをしたり、命令をするのにも罪悪感があります。
なので、どうしても言動、行動が弱くなるのです。
無意識的に、そうなってしまったのだと思います。
今回、私は初めてこのような事例を体験しました。
こんなことを言われたのは、初めてです。
もちろん、このことを私に伝えてくれた友人には感謝しています。
新たな観点から、私の特性を知るきっかけになりました。
見えない自分は、どこにでもいるものですね。
教えてくれてありがとう。
また一つ、成長できたような気がします。
それでは。
2024年11月1日
遠海 春