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進まないストーリー、嵩む文字数
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215ページ 20万4155単語(20万4803字)
私が今書いている小説の文字数とページ数です。
文庫本の見開き1ページをA4用紙1枚になるようにレイアウトを組んでいるので、実際に製本すると430ページになります。
長すぎると思うんです。私の小説。
最近、忙しくて小説にはあまり手を付けていませんでした。
久しぶりに執筆する小説はやはり楽しいです。そこだけは変わっていません。ですが、思うように文章が出てこなかったりするうちに、私の考えは少しずつ変わってきました。
「無理やり引き延ばしているだけではないか」
「意味のないストーリーではないか」
「中だるみではないか」
と。
中だるみが怖いんです。
読んでいてつまらない。ストーリーが進展しない。意味を持たない。
中だるみ。
それが一つ存在するだけで読者は読む気をなくして、離れていきます。その先にどれだけ素晴らしいエンディングがあったとしても、離れてしまいます。
一応プロットに書いてあることを書いているので、まったくストーリーに関係ないというわけではないのですが、それでも中だるみしてるなぁと思うことが多々あります。
中だるみしているから、次の展開が見えてこないんじゃないか。
中だるみして脱線しているから、次の展開につながらないんじゃないか。
この考えが執筆にものすごいブレーキをかけています。
そうして中だるみを怖がる反面、それを肯定する存在もいます。
それが「作風」です。
創作者なら誰もが持っている、誰とも共通しない作風。その人の持ち味。
私が単純にこういう風に書くのが好きで、中だるみだと思っているこの文章たちも、作風なんじゃないかとも思ったりしています。
作風の存在が、中だるみの不安を1%軽減してくれる。それでも不安は99%残る。それが今の私の状況です。
どれが私の作風で、どれが中だるみなのか。その区別がつけられるようになれば、きっと私の小説に対する心持ちは変わるのでしょう。
ですがそんなことは到底無理です。明確に線引きをするなんて創作活動においてはできません。
どれが作風で、どれが中だるみなのか。
ずっとわかりません。
不安の中進まざるを得ない私。
何が正しいのかわからない私。
とてもつらいです。
「中だるみと作風の間に揺れる気持ち」を知ってほしくて、この記事を書きました。
タイトルのつけ方も、書いた内容も、全部間違っている気がします。
少なくとも今の私は、間違っていると思う。
小説は書きたいです。
でも、行く手を阻むものも多いです。
それでも、私は作品に対する責任を果たしたい。
ここでまた決意を新たにして、頑張りたいと思います。
著者としての遠海 春でした。