短編小説「思い出せ、七夕の日」
短編小説「思い出せ、七夕の日」
著者:遠海 春
注意事項
・構成が安定しなかったり、見るに堪えない文章もあることかと存じますが、理由はあとがきにあります。
・やや過激な表現があります(間接的な表現かつ、それほど過激でもありませんので全年齢対象です。)
是非、目を通していただければ幸いです。
「あっち行こう!」
「こっち行こう!」
「あれ食べたい!」
「旅行も行きたいなー」
今の私には、すべてが懐かしく感じる。彼がこの世を去ってから数年。神様はどうして私からいろんなものを奪うんだろう。大好きなプリンも彼に取られた。大好きなところへ年に一度行く度に、何かしら不幸が訪れる。一回目は私が骨を折ったし、二回目は彼がインフルエンザになった。三回目に私が精神的な病を患い、五回目で彼が死んだ。
人生これからだというのに。
周りからもその年で結婚するのを羨ましがられたのに。
彼は、死んだ。
全部、全部私が無理を強いらなければ。
私は昔から、よく動き回って落ち着きのない子供だった。支離滅裂な言動も、行動も。すべてが私だった。
「付き合ってください」
私はその言葉を口にした。人生で何回目のことだろう。友達からは、「よくそんな勇気出るね」だとか。「恋愛依存症じゃないの」とか。よく言われていた。でも私は決して恋愛に依存してもないし、勇気があるわけでもない。
口にすれば、すべて終わる。
そのことを信じてずっと生きてきた。
断られたこともあった。というか断られたことが大半だった。
「いいよ」
そんな声を耳にした高校三年生。今から受験だというのに彼氏を作ってどうするのか。行く先は一つしかない。遊びまくった。ベッドの上で肌を重ねたことも、もちろんある。初めてのキスを寝ている間に奪われたことも、今なら笑えてしまう。
彼の名前は、何と言ったか。
「ねね、どこかの神社に短冊飾りに行こうよ!」
「どこに行く? この辺たくさんあるよ」
「そうだね。うーん。恋愛系の神社がいいな!」
「ほんとに恋愛のことしか考えないんだな」
彼は呆れた顔でそういう。私より十五センチも身長が高い彼は、よく私を見下ろしたり、抱きかかえたりしていい景色を見せてくれる。切れ長で二重の彼の横顔はいつ見てもアニメのように美しく、白い。笑った時には白い歯を、キスをした時には紅に染まった頬を、驚いた時には深い青の瞳を私に見せてくれた。笑みを浮かべるとこれだけで百万ドルの夜景を超える美しさがある。
「だって恋愛は人生の醍醐味だよ? キスやハグ、際どいことも経験せずにこの世を去るなんて御免!」
「前も同じこと言ってたよね」
「許してよ、そういう人なのって言ったでしょ」
「まぁそれはそうだがな」
本当に私はそういう人だ。高熱で魘されたり、精神的な病を患った時に記憶が抜け落ちたり。それからもたびたび再発することがある。その時にきっと、彼の名前も忘れてしまった。
彼といった場所も、彼と住んでいた場所も、行った先で彼とどんな行動をしたかも。
小さなかばんを肩から掛けて、彼と家を出た。車も持てる年収でもないので普通に歩いて駅に向かう。十数分に一本しか来ないいかにも郊外にある最寄り駅。
隣にいる彼はTシャツに長ズボンを身にまとって私の隣で手を握っている。ぼんやりと白い蛍光灯が光り、たまに点滅する。そんな薄暗い夏の夜。嫌いではない雰囲気をそばに、私はスマホで今から行く場所を調べた。
グーグルマップに掲載されている写真を彼に見せると、「いいね」と一言だけ帰ってきた。
抑揚のない声は、興味がない印象を抱かせ、それに次ぐ言葉がないのも、それを決定づけた。
やっぱり合わない。私は今の彼が苦手だ。珍しく向こうから告白してくれたのだけど、体目当てであることが最近分かった。一回二回と肌を重ねるうちに与えられる愛情は減っていき、今はすべてのやりとりが適当に交わされている。こうして外に出ることができたのも、ロマンティックさに助けられてのこと。何もなければ絶対拒否する。
我儘なのは我ながらわかっている。あれやこれやと文句をつけて、自分のテリトリーをひたすら広げてきた。でも、自分の守るべきものは守りたいし、一緒にいて苦労しないのが本当の愛せる人の条件だと思う。少なくとも私はそう思う。
一緒にいて幸せで、一緒に笑って、一緒に泣いて、一緒に喜んで。それが数十年続くのなら、この先の苦労はなんと小さいものだろう。
スマホを片手に階段を上る彼を見ながら、思った。私に興味がないんだ、体だけの関係なんだ、と。ひっそりと怪我をしても助けないということが頭に浮かんだが、人道に反するのでやめておく。
体を目的にされては楽しめない。別れ話を切り出そう。そう思った。別れるきっかけというのは、割と近くに落ちているらしい。世の中の男子には気を付けてほしい。私のきっかけはかすかな記憶の中にあった。
山登りを思わせるほどに長く急な階段を上っていく。夏ということもあってか、私の触れる手すりはほんのり昼間の暑さを思わせ、つかんですぐに手を離した。
「大丈夫?」
長い階段に息を切らす私の上からそんな声が降ってくる。もう、遅い。どれだけ気を配ろうとしても、どれほど優しくしても。私は決めたのだから。別れを告げるって。
「やっとついた」
「長かったね」
「そうだね」
そんな単調な会話を交わしてやってきたのは、山の上にある神社。ここは毎年秋口になると大都市のほうから観光客が集まり、花火大会が行われる。さらに、有名なのは花火の話だけではない。ここは星空がよく見える場所として知られており、この星空の下で、七夕に告白したカップルは生涯幸せになれるという言い伝えもあるそうだ。なぜか結婚するかどうかは別にされているけど。
適当に場所を選んで、グーグルマップの刺すピンに向かって導かれるように歩いてきた。
最初は彼と一緒に何か願い事でも書こうかと思っていたけど、書くようなことは今さっきなくなってしまった。
私は嗅いだことのある空気を肺にたっぷり吸い込んで、何もないことを装って彼の隣を歩く。海辺から吹き上がる夜風が気持ちいい。それに揺られて聞こえる梢も、階段を上って火照った私の体を冷やした。
「はい、これ」
「ありがとう」
「どういたしまして」
彼から自由に使える短冊を一枚もらう。私は手にした短冊を丁寧に折りたたみ、彼の瞳を見つめた。もう、終わらせよう。欲望にまみれた薄汚い関係を。
一言声をかけると、彼はこちらに意識を向ける。目の奥に欲望が見え隠れしたその瞳を私は鋭く目を細めて見つめ返し、口を開いた。
「別れよう」
「……え? ちょっ……」
私は彼が言い訳をクドクドと口からこぼす前に、持ち前の言葉で畳み掛ける。
「私と夜に遊ぶのが楽しかったんでしょ。それ以外には目もくれず」
「さぞ気持ちよかったことでしょうね」
「私はあなたに負わされた首の傷を一生背負わなきゃいけないんだよ。あれは私も悪かったかもしれないけど」
私の細い首に浮かぶ赤みを帯びた傷。欲望を搔き立てないように少しだけ服をずらして、首の付け根あたりを指さす。彼が力を込めて私の肩をつかんだが故にできた傷。私が思わず振り払ったときに、彼の鋭利な伸びた爪が私の首を切った。
「これからさ、人生何十年って生きていかなきゃいけないのに、どうして」
「落ち着けよ」
わなわなと震える握りこぶしが、可愛らしい。この傷も、この想いも、全部あなたが作ったんだよ。あなたが私を想わせたの。
私は反撃するすき間をあえて与え、彼の言葉を待った。
「俺はずっとお前のことが好きだった。だから告白したんだ。それでなぜかいいよって言ってもらえて、それで調子に乗ってた部分はあると思う。もしも嫌な思いをしてるなら言ってほしい」
「何度目よ、その言葉。首に傷もつけて、私の意見を無視して、結婚も見据えたいんだったらもうちょっとフェアに取り合ったら? 少なくとも私はもういい。十分」
ついに、私はその言葉を口にした。彼は顔をしかめて心底いやそうな顔をする。
そう。これでいい。
「さようなら。ここから出てって」
「……お前の顔はもう二度と見たくない」
「それでいい。私だって見たくない。ほら早く、出てって」
彼は口だけで、「くそっ!」と形を作って、短冊をその場に投げ捨てた。しわくちゃになった短冊は、森の中の湿気で少しだけ濡れている。ところどころ黒く染まった赤い短冊を拾い上げて、書きかけの中身を覗き込んだ。
『自分に』
その言葉だけが書かれたその短冊。最後のやさしさとして書きかけではあるものの、私は笹の木に飾り付けた。しわのよって泥のついた小さな短冊。その単語の先に何を書き語ったのかは知らない。
けど、その三文字は私の心をざわつかせた。
嫌いだったはずなのに。
ダメな男だったはずなのに。
そんな無駄な思いが私の頭の中を駆け巡る。考えちゃだめだ。自分にそう言い聞かせて、その短冊が目につかないように私は海の見える展望台に向かって歩き出した。
こんな夜に神社に来ているのは私しかいない。
木々の隙間から黒く青い海が顔をのぞかせる。彼に対し思い残したことはない。そのはずなのに、なぜか梢が私の心の中にしみこんで、何かを思い出させようとしてくる。
しばらく歩いて見える限りの海を目にした。山の下には道路が一本通っているだけで、めったに車も通らない。熱を帯びているはずの鉄の柵は、いやに冷たい。
私に、何かを思い出させようとしている。
この暗い海が。
この深い空が。
この遠い梢が。
この冷たい柵が。
この、星空が。
「そういえば、今日は七夕だっけ。だからここに来たんだもんね。そうだそうだ」
至極当然なことを私は携帯で確認する。携帯の待ち受けには、七月七日の文字。その下にある時刻を表す数字は、二十一時十七分を示していた。
織姫と彦星が、年に一度だけ出会うとされる今日。
いったい何人の人が出会って、何人の人が分かれているんだろう。クリスマスではないからそこまで多くないかもしれないけど、日本であればロマンティックなことだ。
やけに引っかかる。彦星という言葉。
ざわざわする胸をぎゅっと抑えながら、原因不明の動悸を抑える。
私は息を吸おうと、海から空に目線を移した。
天一面を埋め尽くす、輝かしい星々。
その星一つ一つが、私に語り掛けてくるように不定期に輝く。その星の示す意思を、彫り込まれた細い溝をたどるようにして、私は一人目の彼氏の記憶をなぞりながら思い出していった。
そう、彼の名は。
彼の家でくつろいでいるとき。
「輝彦君! あそぼー」
「何して遊ぶ?」
「近くのアイスクリーム屋さんに行きたい!」
家でいちゃついているとき。
「輝彦君! 大好き!」
「僕も」
「好き! 好きっ!」
「そこまで言われると困るなぁ」
お化け屋敷に半ば強引に連れ込むとき。
「輝彦君! あそこ行ってみよう!」
「怖いって」
「怖くないよ! 私と一緒なら大丈夫なんだよね? どんな困難でも乗り越えられるんだよね? それを試すの!」
輝彦君。輝彦君だ。
彼の名は、海原輝彦(うみはらてるひこ)君。
私にとって初めての。最初で最後の、私の理解者。
なぜか彼とだけは、口にするまでもなくいろいろ意思疎通ができた。私の突発的な行動も理解してくれたし、忘れていたら丁寧に説明してくれる。どういうきっかけでこうなって、今何をしようとしているのかを。一から百まで。
頭にぽっかり空いた小さな穴からあふれ出す記憶は、私の頭をいっぱいにした。それに押し出されるようにして溢れた涙は、手をかけている柵に一滴、また一滴と落ちていく。落ちた涙は、別の記憶を呼び起こすように、空にある星々を映している。
「輝彦君……輝彦君………帰ってきてよ。私、また変なことやったかもしれない……っ」
その時、頭に衝撃が走るようにして、一つの思い出が私の頭の中で咲いた。懐かしいと思っていた理由。来たことがあった。七夕ではない日に、この場所へ。
この場所では過去のの短冊も集められており、それを懐かしみに来る人も多々いる。七夕ではなかったけど、確かあの時もペンと紙は置かれていた。
気がつけば、私は彼が生きていた最後の年の短冊をあさっていた。基本的には名前が書かれているため、彼の名前を思い出した今ならきっと見つけられるはず。
「あった……」
見つけた。彼の短冊。じつは、彼の短冊は少しだけほかのものより大きい。
「いつもたくさん書くよね!」
「そりゃ、願い事たくさんあるからな! 君は来年までにいくつ覚えてられる?」
「一個!」
「あちゃー。一番最後が大事なお願いなんだけどなー」
裏面なんて初めて聞いた。私の覚えている限りでは裏面には何も書かずに飾り付けたはずだ。いつか一人で抜け出して裏面にも記入したのだろうか。私が抱き着いて寝ている間はそう簡単に抜け出せないはずだが。
私は破壊されかけた涙腺を少しだけ修復して裏面の来るメッセージに身構えた。目の奥が厚くなるのを感じながら、私は短冊を裏返した。
短冊が、濡れていく。私の涙で、濡れていく。言ってくれたらよかったのに。もはや輝彦君の名前ですら忘れかけていたのに。ずるいよ。泣かせるなんて。
女の子を泣かせて、そして輝彦君は天の川から私を見つめて。輝彦君は悪い子だ。
私は短冊を握りしめたまま顔を上げて、天の川を見つめた。この星々のどこかに、輝彦君がいるのかな。私を、見ているんだろうか。
晴れた日の川の水面が光るように、今もいろいろな星が輝いている。いろんな場所できらきら。
彼は確かに、私を守る形で死んだ。交差点に突撃するというわけではなかったけど、無差別襲撃事件の被害者として計上された。
ねぇ。輝彦君。見てる?
私の泣き顔。
今すぐ見るのをやめなさい。恥ずかしい。私が泣いているときに限って、鈍感な君は私のひどい泣き顔をのぞき込んでくる。
でもその表情はまっすぐで、その黒い瞳が、いつも私の不安を吸い取ってくれた。
私も、育ったよ。障害とまで疑われた私の性格も、無意識のうちに少しずつ良くなった。
君が死んでくれたから、私は生きてる。
忘れててごめんね。
これからも忘れられると思う。君が死んだから生きていることを。
この気持ちも忘れると思う。君が好きだったことを。
責任感がなくて、突拍子もなく動いて、支離滅裂な言動を繰り返して、みんなを驚かせる私だけど。ちゃんと生きてるよ。君のおかげでね。
私ね、悪いことをした気がするの。
追い払った彼に。
どっちも悪い。そう思ってる。
輝彦君は体を目当てにすることはなかったよね。
君は最初で最後の、完璧で究極な彼氏だったんだね。
変なことをしながら生きる私を見ててくれたら、嬉しいな。
また来年、来るからさ。
忘れてなければね。
コツコツと音を鳴らして階段を下りる音。静かな風の音はもはや聞き取れない。遠くを走るトラックの重低音が一番よく聞こえる。ぼんやり薄暗い駅舎も、蛍光灯の光が際立ち、人と虫をおびき寄せている。
駅舎に置かれている読み取り機にカードをタッチして電車を待つ。
その時に見上げた星空は、あの時のようにきれいな天の川ではなかった。
たくさんの星が輝いていたはずの空は、消えていた。
その代わり、一つの星が、私を見つめていた。暗い空に白い絵の具で点を打ったような星が、私を見つめていた。
そのまっすぐな視線は、いつまでたっても変わらないんだね。
短編小説「思い出せ、七夕の日」完
著者:遠海 春
著者あとがき(ネタバレあり)
こんにちは。遠海春です。
11月ぐらいにこの小説が投稿されていると思いますが、この小説を書いたのは2023年の七夕の前後でした。ですので、今あとがきを書いている私が持つ技量とは大きく離れています。
noteは横書きのため、改行や、字下げなどの調整をしている間に軽く目を通しましたが、ちょっと恥ずかしいですね。
でも、4か月越しに感じる恥ずかしさが成長を感じさせてくれます。
実は、元々Wordのファイルに保存されていたものには、意味の分からないシーンが一つだけ挟まっていました。当時の私は何か意味を込めたのでしょうが、今の私には理解できなかったので、投稿するために改稿したこのバージョンでは、削除しています。
正直改稿したいところは無限にあります。
ただ、長編小説を執筆する片手間に編集するのは時間が許してくれないので、思うままに書き記したこの小説をそのまま上げようと思います。
もちろん、過去の私にしかない考えがあります。それを残したいと思うのも本当です。
さて、この小説は、忘れんぼなとある女性が、男性と出会う中で、記憶から薄れゆく彼氏のことを思い出すという小説です。
私がこの小説を書いたきっかけは、女性側が持つ男性に対する憎悪を表現しようと思っていました。
女性の方がこれを見てどう思うかは別として。
「私はこう考えている」っていうのを表現できた作品になったと思います。(解像度は低いですが)
認識違い等々あることかと思いますが、お許しください。
さて、ちょっと大変な時期なのでnoteの更新が滞っておりますが、皆さんにこの小説をお届けできることをうれしく思います。
次回作、過去作でお会いしましょう。
第五作「思い出せ、七夕の日」でした!
2023年11月11日 遠海 春
↑過去作です。
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