大愚|AI vs. 知徳体
Chat GPT開発を一時的に中断すべきとまで言われていたAIの倫理課題。
薬にもなれば毒にもなる
どちらに出来るかは、人間の理性が拠り所となるのではないでしょうか?
知的労働は、AIがとって変わるものが増えるでしょうが、「徳」は如何でしょうか? そして、「知」と「徳」を繋げるのが「体」になると捉えています。AIには体はなく、人間が持つもの。
先日、何十年振りかに障子の張替えしました。最初は要領も悪く下手でしたが、障子の枠が2枚、3枚と進むにつれて要領が良くなっていく。「体」が「知」を呼び戻すと同時に「知」が「体」の動きをスムーズにする。
駅や電車の中などの公共の場でも皆スマホ片手に、周囲を気にする人々が皆無に近い異常な昨今の生活風景。スマホを離し、周囲の人々や風景に目をやることから新たな知や徳も得られるはず。
人がAIと違うのは、「徳」と「体」を持ち合わせて、そのバランスと相互作用で「知」の発達を促すところではないでしょうか。
AIが日常的に活用されていくこれからの時代においては、偏差値学歴の「知」だけに偏らず、「体」育を使った「徳」育が見直される時代が始まっていると思います。
実は先日ある方からもっと馬鹿になりなさい。愚の大切さを肝に銘じて。そうでないと人はついて来ないとも。
小賢しいプライドを捨てて「愚」である事を言い聞かせたいと思うこの頃です。と言いながらこんなコメント記事書いている事自体がダメなのかも。
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