Dell Far East設立|デルジャパン前身
さて転職で飛び込んだのはいいけど、仕事前に会社登記からのスタートでした。
80年代後半の当時では、会社登記には5名が必要な時代でした。2名じゃ会社登記出来ない=銀行口座開設出来ない=オフィス不動産も借りれない😱
1人で1円でも会社登記が出来る時代になったのは、社会に活力をつけ、若い人々にもチャンスが広がるという事でも良い事だと思います。
さて司法書士に相談すると「私の名前も貸します。おふたりとも結婚されていますね。奥さんの名前を使いましょう。」となり、家内の実印を作っての登記。デル・ジャパンの前身となるデル・ファー・イーストの登記簿謄本には、夫婦で名前を連ねています。
しかし、バブル期の余韻が残る時代、不動産屋は強気でした。
パソコンのブランド名もPC‘s LimitedからDell Computerに変わったのもこの頃でしたが、日本では認知度ゼロの会社に賃貸してくれる物件あっても紹介すらなし。
そんな時でした。
当時のアスキーの西社長が、「だったらうちにおいでよ。」との助け船。最初に構えたオフィスが、六本木通り沿いにある島根インのオフィス棟にあるアスキー子会社「インターネット総合研究所」の一角に居候させて頂いての3名でのスタートでした。
住所も青山で、二子玉川から表参道とハイカラさんな街並みを青山学院を右手に見ながらの通勤でした。
次は銀行口座開設。
今でいうメガバンクの一行。青山支店長が自らオフィス訪問までは良かったのですが、あんな失礼なバンカーには会った事がありませんでした。オフィスに入るなり、許しも請わずある扉全てを開けて見る。最後は掃除道具が入っているところまで。何者?何様?自分の目の黒いうちにはこの銀行とは絶対取引しないと誓ったのを覚えています。
結局、口座開設したのは協和銀行でした。そして、買付けした製品を輸出するのに使うforwarder・乙仲さんは?と言えば、物流もまだまだ少なかったデルを相手にしてもらえる中堅の川崎航空などから始まりました。2年後には後日談があります。
初期沿革:
1989年1月 デルファーイースト株式会社を設立。
1992年9月 デルファーイースト株式会社からデルコンピュータ株式会社に商号変更。
1993年1月 日本での販売を開始
私が居たのは、95年までの7年間。
オフィスは、先ずは青山から五反田駅裏の地下へ。台風の季節には1階出口に土嚢を積んで帰るという青山時代から一挙に格下げになった雰囲気。しかし、社員も4名から6名へと増え会社を起こすという気概に燃えていた頃でした。
ここで地下と3階、4階へとフロア拡大していったのは、国内販売を三井物産デジタ社を代理店として始めた92年頃でした。社員も50名以上になり、物流倉庫を鷺沼に構えました。
そして、デル・コンピュータに社名を変更して自社で国内販売展開する93年には、恵比寿にあるエフ・ニッセイビルに移転し、社員も一挙に120以上になりました。
続く