サンタクロース
「ねえ、こんな手紙が届いたんだけど、どう思う?」
***** 拝啓、ツヨシ殿
貴殿の注文されたプレゼントを届けたく候。つきましては十二月二十四日のクリスマスイヴの夜には、必ずご在宅願いますよう、強く所望いたす次第であります。尚、貴殿がご不在の場合には、プレゼントは授与致しかねますので、その旨予めご了承願います。
「なにこれ?」
「え、サンタからの返事さ。」
「なんでサンタからの返事があなたに届くの?サンタに手紙でも出したの?」
「うん。」
「なんでいい大人がサンタに手紙出したのよ?」
「いや、昔からの習慣でさ。僕は年賀状は出さない代わりに、サンタには毎年手紙を出してるんだよ。」
「どんな理屈よそれ。それで、何かプレゼントをお願いしたの?」
「うん。」
「なんて?」
「え、それは言えないよ。」
「なんで言えないのよ?」
「だって、そういうのって、他人には言っちゃいけないって決まってるでしょう。」
「そんな理屈聞いたことないわよ。」
「とにかくそういうものなんだよ。だから内容は言えないよ。それにしても、プレゼントが届くって本当かな?」
「知らないわよそんなこと。ちなみにどこに出したのよ?」
「え、サンタ宛て。」
「だから、場所はどこなの?ほら、フィンランドとかカナダとか、サンタがい そうな相場ってあるでしょう?」
「いや、歌舞伎町だよ。」
「なんで歌舞伎町なのよ?」
「だって昔からそうしてきたんだよ。外国なんて遠すぎるだろう。それに切手 代も高いしさ。だから小さいときに近所のおじさんに聞いたんだ。日本でサンタがいそうなところはどこかってさ。そうしたら歌舞伎町だって言うんだ。歌舞伎町には沢山いるんだってさ。サンタが。おじさんは一回だけ行ったことがあるんだって。クリスマスの歌舞伎町に。随分にやにやしながら懐かしそうに何か思い出していたけど。とにかく僕はそれからずっと歌舞伎町に出してるんだ。」
「あなたって本当にバカね。それで、歌舞伎町のどこ?」
「え?」
「歌舞伎町だって広いでしょう?歌舞伎町の誰宛てに送ったのよ?」
「だからサンタ宛てだよ。宛先は『東京都新宿区歌舞伎町』で、宛名は『サンタクロース様』だよ。」
「はぁ、、、、、。」
「さっきからそうやって言ってたじゃないか。」
「ここまでバカだとは思わなかったわ。とにかく、その手紙かして。」
彼女は彼の手から手紙を取ると仔細に確認してみた。茶色の味気ない封筒で、中の手紙は無造作に切り取ったのが一目でわかる、片側がぎざぎざに破れてしまったノートの切れ端だった。青色の罫線に沿って、汚い文字が並んでいた。まるで小学生が書いたような字だった。彼女は封筒を裏返して送り主を確認した。そこには住所の記載はなく、ただ『貴殿のサンタクロースより』とだけ記載があった。
「何が『貴殿のサンタクロース』よ。腹が立つ書き方ね。きっとなにかのいたずらに違いないわよ。それになんでこんな言葉遣いなのよ?サンタのくせに。」
彼は彼女の手から手紙を取り返すと大事そうに抱えて言った。
「そりゃ、書き言葉と話し言葉は違うもんでしょう。」
「私が言いたいのはそういうことじゃなくて。サンタクロースって真っ白い髭を蓄えた、太った外人のおじさんでしょう?なのにどうしてこんなかたっ苦しい日本語を知ってるのかってことよ。」
「そりゃ、サンタは世界中にプレゼントを届けているからね。世界中の言葉を知っているんだろうよ。頭がいいんだ。サンタってのは。」
「はあ、そうかもしれないわ。少なくともあなたよりはね。」
彼はそれに対しては何も答えなかった。
「それじゃあ仕事に行くわね。このままあなたと話し続けてたら、頭が変になりそうだし。」
「いってらっしゃい。気をつけて。」
十二月二十四日の夜、彼は家でサンタクロースが来るのをじっと待っていた。彼女はその日も仕事だったので、彼は一人だった。しかし、夜の十一時になってから、クリスマスケーキを買い忘れていたことに気が付いた。彼は急いでコートを羽織ると、財布をポケットに入れて、玄関の扉を開けた。するとそこには、ずんぐりと背の高い、大きな袋をかついだ男が立っていて、呼び鈴へと手を伸ばしていた。
「あいや、失礼。ちょうど鐘を鳴らせてお呼び立てつかまつるところでして。いや、あたしは怪しいものではございません。ひとつお尋ね申し上げますが、ここにツヨシというお子はおられるだろうか。」
「僕がツヨシですが。」
「おたくが?」
「ええ。」
訪問者は目をしばしばと瞬き、手元の紙で住所を確かめ、もう一度相手の顔を見た。
「もしかしてサンタクロース?」
「あ、ええ。あたし、サンタクロースです。」
「待ってましたよ。さあ、どうぞ。」
家の主は扉を大きく開けて、客へ中に入るように勧めた。相手は言われるがまま、とりあえず狭い玄関へと入っていった。
二人は六畳一間の真ん中に置かれたテーブルを囲んで、向かい合って座っていた。サンタクロースの脇には白い大きな袋が無造作に置かれていた。青年は向かいに座っている男の風貌をじっと眺めた。顎には山羊のような長い髭が伸び、頭にはボンボンのついた赤と白の帽子、よれよれの灰色の背広からは折れ曲がった襟が覗いている。背が高く、痩せてひょろりとした体つきで、まるで針金でも入れているかのように、異様なほど真っ直ぐに背筋が伸びていた。一方、客のほうは何かを探すかのように、あたりをきょろきょろと見回していた。
「あの、おたくは、一人住まいで?」
「いえ。」
「お子がいる?」
「お子?」
「あいや、子供が。」
「いや、いません。彼女はいますが。」
「そうですか。いや、奇怪ですな。あたしは確かにここにプレゼントを渡しにゆくよう仰せつかったんですがな。」
「多分それ、僕のことです。」
「えっ!あーたが?」
「ええ。僕がプレゼントをお願いしたんです。サンタクロースに。それで来たんでしょう?」
「左様でしたか。いやはや、あたしはてっきり子供だとばかり思い込んでいたものですから。して、あーたのおなごは、どこで夜の蝶として?」
「え?」
「いや、夜の蝶としてお勤めしてらっしゃるんでしょう、歌舞伎町で?」
「夜の蝶?」
「ホステスさんでしょう?」
「いや、普通に広告代理店に勤務してますよ。」
「あいやっ⁉それはますます奇怪ですな。」
「どうして?」
「どうしてって、あたしは店のオーナーから仰せつかって、こうしてプレゼントを届けてるわけですから。」
「え、おじさんはサンタじゃないんですか?」
「あたし?あたしはサンタなんかじゃあありませんよ。あたしはただのバイト。」
「バイト⁉」
「ええ、バイトです。歌舞伎町の、ある店のオーナーに雇われておりましてな。ホステスさんたちゃ、クリスマスも関係なく働きますでしょう?その中にはお子を持つ方もいらっしゃる。しかし、クリスマスの夜に母親がいないなんてかあいそうじゃあないですか。しからば、店のオーナーが気をきかせ、そんな小僧たちにプレゼントを配ってやろうじゃないかって、そういった寸法です。そのサンタ役としてあたしに白羽の矢が立ち、こうして一軒一軒回ってプレゼントを配ってるって次第です。」
「そうでしたか。それなら、どうしてうちにも?」
「はて。その点はあたしにも見当がつきませんな。もしかして、おたく、手紙かなんか出しました?」
「ええ、歌舞伎町のサンタクロース宛に。」
「歌舞伎町のサンタクロース宛?あーたも奇妙なお人だ。しかしそれで合点がゆきました。うちの店でも、小僧たちに自分の欲しいものを書いた手紙を、店宛てに送ってもらうようにしてましてな。何かの手違いで、あーたが書いた手紙がその中に紛れ込んじまったんでしょう。」
「そうでしたか。でも、おじさんはどうしてサンタのバイトなんかやってるんですか?」
「あーた、それきく?」
「いけませんか?」
「いやはや、あたしだってこの年になって好きこのんでこんなことやってんじゃあありませんよ。これにはいろいろと成り行きがございましてな。
ところであーた、このうちにゃあビールなんぞは置いてないの?」
「え、ええ。ありますよ。ちょっと待っててください。」
家主は腰を上げると部屋の奥に行き、冷蔵庫の扉を開くと缶ビールを取り出した。
「コップいります?」
「いや結構!」
ビールを手渡すと、サンタクロースは缶のふたを開け、出てきた泡をこぼさないようにおちょぼ口をつけて、ごくごくと勢いよく喉に流し込んだ。口端からつーっと滴が垂れて、顎髭へとつたった。それを彼は、手の甲で拭った。
「いやあ、天国天国!ところで、何のお話しで。ああ、そうそう、あたしがなんでこんな仕儀と相成ったかということでしたな。あーた、こんな話し本当にききたい?」
「ええ、まあ。」
「あたしはね、やくざにひとつ借りがありましてな。やくざってのは、その店のオーナーのことですが。まあ、完結に申し上げますと、ゼニの話しですな。ゼニの。あたしは借金してるんです。その旦那に。あい。」
「そうですか。」
「ええ、いきさつはそんなところです。まあ、いろいろとございましょう、生きていれば。どうしてゼニを借りたのかってことだけは、是非きかないでいただきたい。初対面の御仁に語るような色気のあるもんじゃあございませんから。そんな具合であたしは、ときおりこうしてその旦那の使いっ走りのようなことをさせられている次第なんです。」
「それは大変ですね。ちなみに、おじさんもやくざなんですか?」
「なにを、馬鹿な!あたしは堅気ですよ。それに、きちんとした本職もありますよ。」
「本職って?」
「文士です。」
「文士?」
「ええ、作家ってやつで。」
「へえ、すごいですね。」
「いやあ、そんな大層なもんじゃあございませんよ。」
「で、どんな?」
「え?」
「どんな本を書いてるんですか?」
「あい。ええ、まあ。いろいろと。」
「例えば?」
「そうですな。あえて一つ申し上げると、時代小説ですな。あーた、時代小説はお読みなる?」
「いえ、読んだことはありません。」
「あたしは昔から時代小説なるものが好物でして。『鞍馬天狗』、『丹下左膳』、それからやっぱり『鬼平犯科帳』。そしてテレビを見るならなんと言っても時代劇。兎にも角にもこれに尽きます。あたしがこんなものを好むようになったのは、もっぱら祖父の影響によりますな。やがてその悪癖がこうじて、私なんぞも時代小説を書いてみたい、という欲求に駆られまして、数年前から書き始めたのです。壮大な絵巻物となる予定ですから、まあ、そうですな、原稿用紙五千枚では足らんかもしれませんな。」
「それはすごいですね⁉」
「いやいや、そんなたいしたことじゃあありませんよ。」
「それで、今はどれくらいできているんですか?」
「え?今⁇ なにが?」
「いや、その小説です。」
「ああ。まあ、、今は、、、二十枚程度ですな。」
「二十枚。そうですか。まだ、先は長いですね。」
「ええ、まあ。」
それからサンタクロースはぐいっとビールを飲み干すと、空の缶をテーブルの上に置いた。アルミの乾いた高音が「コンッ」と部屋に響いた。
「いや、それにしてもしかし、やっぱり一番は『鬼平犯科帳』でしょう。え?そうそう、時代小説とくれば。あれは何度繰り返し読んでも痺れますなあ。え、読んだことない?それはあーた、人生を損してますぞ。ほら、この通り、あたしくらいになると肌身離さずいつも持ち歩いとります。」
男はポケットから文庫本を取り出して机の上に置いた。家主はそれを手に取って、珍しそうにじっと眺めた。
「そうそう、ところで、おたくはどうしてサンタクロースなんぞに手紙を?」
「え、いけませんか?」
「いや、もちろん悪いなんて言ってるんじゃあありませんよ。しかし、いい大人がサンタクロースに手紙を出すなんぞ、ちょっと、その、なんと申しますか、変わってるじゃあないですか。」
「やっぱり、そうですかね。じつは、彼女にもそう言われました。」
「そりゃあ、そうでしょう?」
「でも、昔からそうしてきたんです。なんというか、習慣なんです。」
「習慣とな?」
サンタクロースは長い顎鬚へと手をやり下へ動かすと、まるでこよりを作るように先端をつまみだした。青年は一瞬テーブルの上に目を移してからこう答えた。
「ええ。僕は、誰かに手紙を書くことが好きなんです。だけど、遠くに住んでいるような知り合いが幼い頃からいなかったものだから、手紙を書きたくても書けなくて。だけどその点、サンタクロースならきちんとした目的があるでしょう?手紙を書くっていう。」
「ええ、まあ、、、、、一応そうなりますな。」
「だから、毎年手紙を出しているんです。返事が返ってきたことは今まで一度もありません。しかし、それでもよかったんです。僕にとっては、誰かに手紙を送るっていうことが大事だったので。だけど今回、あなたから手紙を受け取って、僕はすごく嬉しかったんです。本当に。」
「まあ、そう仰っていただけるは有り難いですな。しかし、おたくは本物のサンタクロースだと思って手紙を書いていたわけなんでしょう?それがあーた、突然あたしのようなどこぞの馬の骨ともわからない輩が現れたんだから、さぞ落胆したことでしょう?」
「いや、落胆なんかはしてませんよ。さっきも言ったように、僕は誰かにただ手紙を書きたかっただけなんですから。それに、おじさん、実は僕は、恥ずかしながら自分に宛てて手紙を出したこともあるんですよ。」
「はて。それはどういったご事情で?」
「数年前に、海外旅行に行ったときに、僕は無性に誰かに手紙を出したくなりました。しかし、僕には手紙を出す相手なんかいなかったんです。だから仕方なく、日本の自分の住所宛てに送ることにしました。旅行先で見たことや、感じたことを、他人に伝えるつもりで書いたんです。そのときは、後で自分が読むことなんてこれっぽっちも考えていなくて、ただ自分の欲求を満たすためだけに書きました。そこはブルガリアの片田舎でしたので、郵便局は町はずれにあって、僕が泊まっているホテルからは随分と歩きました。そして切手を貼って、ハンコを押してもらい、いざそれを相手に渡してしまうと、今度は果たしてその手紙が、きちんと日本に届くものかどうか不安に思いました。」
「あーたも随分と変わった趣味をお持ちですなあ。」
「ええ、まあ、そうですね。ある種、趣味みたいなものなんです。やがて帰国してから一か月以上経ち、もうその手紙のことなんてすっかり忘れた頃になって、ようやくそれは届きました。もちろん自分に宛てたものですから、僕は封筒を開けて、中身を読んでみたんです。すると、とても妙な気持ちになってしまって。いや、まあ、もちろん自分の手紙を読むこと自体、既にくすぐったいような気持ちではあるんですが、それとは違った、なんだか奇妙な感覚なんです。僕はその当時の自分であると同時に、そこで手紙を読んでいる自分でもあって。また、僕自身は電車や飛行機に乗って、一足先に日本へ戻ってきて元の生活をしていたわけなのに、その間もその手紙は様々な手段で、僕の住所に向かってわずかながらも移動していたわけで、、、、、。
すみません、ちょっと、うまく説明できないんですが、なんというか、僕にはなんだか、時間がねじれてしまっているように感じたんです。だって、手紙を書いた僕は、そのときの自分に宛てて書いたわけなのに、未来になってそれを読むと、なんだかそのときの僕が置き去りにされているような感じがして。
僕の言いたいこと、わかりますか?」
「ええ、、、。微細ながら。」
「そして同時にこうも思ったんです。僕がもしその帰国の途中で、事故かなんかで死んでしまっていたら、その手紙はいったいその後どうなっていたんだろうかって。想像してみてください。誰にも届かないその手紙のことを。そのままひっそりと、ずっとポストに入ったまま忘れられて。そして、僕の人生としてはその手紙が最後の更新となるわけです。しかし、それは誰にも知られることなんてないんです。まるで、すっかり忘れられ去られた森の奥の遺跡みたいに。だが、実際には、現にこうして生きている自分がいて、その手紙を読んでいるわけで、、、」
「あいや、もう結構!あーたの話しを聞いていると、頭痛がしてきましたよ。」
「そ、そうですか、、、、、。なんだか、すみません。」
「いや、謝るこたないんですがね。それにしてもあーた、もっと楽しいことでも考えたらどうです。死ぬだのなんだのって。それよりも、もっと痛快なことをお考えなさい。例えば、富くじが当たって、死ぬほど酒を浴びたり女郎買いすることだとか、あるいは豪華客船で世界をぐるりすることだとか。それに、なによりあーた。暗いよ。」
「、、、、、、、そうですか。すみません。きっと、おじさんの言う通りなんでしょうね。」
「あーた、またそうして謝る。」
男はそう言うと、ふと時計のほうへと目を向けた。
「あいや!いけない、もうこんな時刻で。あたしはそろそろおいとまいたしますよ。まだ小僧たちへの配達がたんと残っているもんで。」
そう言って膝に手を打ち、サンタクロースは立ち上がった。傍にある大きな袋を慌てて担ぐと、そそくさと玄関のほうへ向かった。
「おじさん、下まで送りますよ。」
サンタクロースの後を追うようにして、家主も玄関の扉から外へと出て行った。二人がエレベーターに乗り込んだところで、下からやってきた隣のエレベーターの扉が開き、女が一人降りてきた。ようやく仕事を終えて、彼女が帰ってきたのだった。彼女はひとつ溜息をつくと、疲れた足取りで家の前までやってきて、バッグから鍵を取り出して鍵穴へ入れたが、手ごたえはなかった。一つ首をかしげると、扉を開けて中へ入っていった。
「ただいま。また鍵かかってないじゃないの。、、、、、あれ、いないの?」
部屋に入った彼女の目に飛び込んだのは、テーブルの上のビールの空き缶と、『鬼平犯科帳』の文庫本だった。その本をおもむろに手に取った彼女は、ぽつりとこうつぶやいた。
「なによ、これ。」