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朝のパルティータ


 
 

ちかごろ、クラスのみんなが、ヨシュアくんのことを「神童」なんて呼びはじめた。

 
まったく、あいつらはなんもわかっちゃいないんだ。
ほんとうの神童ってのは、しげおくんのことを言うんだ。
まるで次元が違うんだ。しげおくんは。

ヨシュアくんが、どれだけサッカーがうまくたって、どれだけ難しい数式を解いたって、それは、ぼくたちの中で、多少優秀なだけであって、しょせんは大勢の人たちのうちの、一人にすぎないんだ。
 
神童ってのは、そんなもんじゃない。
 
神童ってのは、圧倒的なんだ。圧倒的すぎて、まるで子供らしくないんだ。人間らしくないんだ。神さまに愛されているかのような。だから、神童っていうんだ。
 
ぼくは、そのことを、ユウスケくんに言ったんだ。ヨシュアくんなんか、神童じゃないって。そうしたら、ユウスケくんは、こう言ったんだ。「じゃあ、神様に愛されてるって、どうやってわかるんだ?」って。ばかなやつ。そんなもの、ひとめ見たらわかるじゃないか。神童なんて。まるで、他のひととは違うんだから。遠すぎるんだから。ぼくらじゃ不可能なことをやるんだから。ユウスケくんはまるで知らないのさ。自分ってものを。

 ぼくは、学校からの帰り道に、しげおくんが弾いた、メンデルスゾーンの、ヴァイオリン協奏曲の、第三楽章を口ずさんでいた。あの、めまぐるしく上下して、乱舞する音色を。すすきの穂先を、ふり回しながら。とってもいい気持ちで。そして、いつもこう思うんだ。なんて個性的なんだろう、なんて美しいんだろう、って。オークレールのそれも、とっても個性的だったけど、しげおくんのほうが、もっといいんだ。力強くて、そして、純粋なんだ。そりゃそうだよ。だって、しげおくんは、ぼくと同い年くらいの、子供だったんだもの。だけど、その技術や、曲の解釈は、まるで子供じゃないんだ。なにかの本で、偉い医者の先生がこう言っていた。それは、「天上的」な音色だって。ぼくもそう思う。まるで、考えることをやめてしまうんだ。しげおくんのヴァイオリンの音をきくと。オーロラが、ゆらゆらと、ゆらめいているみたいに。
 
家に帰ってからママに、ヨシュアくんが神童って呼ばれていることを話したら、ママはそれについて、べつに不満はないってさ。むしろ、おもしろがって、きいてたくらいだ。
ふんっ。きっとママも、本物の神童ってやつを、知らないのさ。
 
ぼくはそう思って、自分の部屋へとすっこんだ。それから、ランドセルをおろすと、机にひじをつきながら、しげおくんのことを考えた。
いや、ほんとうは、頭のすみっこで、ずっと考えてたんだ。四六時中。朝から晩まで。やめることができないんだ。まるで呪いのように。なんだか、こころの奥に、とげが刺さったままのように。しげおくん、しげおくんって。
なんでか、わからないけども。

 
しげおくんは、戦争が終わったあとに現れた、本当の神童だった。
だけど、今ではほとんど知られていない。ぼくは、みんなに聴いてもらいたい。しげおくんのヴァイオリンの音を。そうすればきっと、納得するだろうから。そして同時にこう思うはずだ。どうやったら、こんな音色が出せるんだって。
 
音楽は、好き嫌いがあるから、みんながそう思うかはわからない。
でも、しげおくんの弾くアヴェマリアをきいたら、きっと誰しも、息をのむはずだ。
その美しさに。はじめの弦の響きだけで。まるで、朝露のような、ピアニッシモ。黄金色に染まる、ビブラート。それは、だれよりも瞑想的で、感動的だ。あらゆる絶景と重なり合い、それを見たときと、同じため息をつかせる。その素晴らしさを、言葉であらわすのは、むずかしいけど、そのかわりにきっと、あなたの息づかいが、語ってくれるはずだ。音楽をきいているあいだに。
 
ぼくは、しげおくんの演奏がききたくなって、三階のパパの部屋へと向かった。
その部屋には、ぼうだいな数のクラシック音楽がある。レコード、CD、カセットテープ。器楽から室内楽、協奏曲、こうきょう曲。パパはそれらをみんな、天上まで届く、背の高い棚に、細かくぶんるいしている。指揮者ごとや、演奏家ごとに。あるいは、バロックや、ロマン派や、現代音楽なんかに。ぼくは、踏み台にのぼって、ヴァイオリニストのあたりに、目を走らせた。英語と日本語がならんでいる、細かい文字を順ぐりに追った。やがて、しげおくんのCDを見つけた。
 
それから踏み台をおりて、CDプレイヤーへとそれをのせて、再生した。部屋のすみにじんどっている、巨大なスピーカーがふるえて、メンデルスゾーンの、ヴァイオリン協奏曲の第三楽章が流れ始めた。しげおくんの独奏からだ。
 
ぼくは、パパの机の上から、羽根つきの万年筆をつまみあげると、目を閉じて、両手を動かし始めた。指揮者のように。きっと、ドン・キホーテも、こんな気持ちだったにちがいない。彼の場合は、騎士道物語だったけど。でも、巨人や、魔法使いが、見えていたことには変わりない。ぼくの場合は、オーケストラだ。音楽に合わせて。ありありと目の前に浮かんでくる。しげおくんの、ぴんと伸びた背すじと、あごに当てた、子供用のヴァイオリン。そこから、甲高く、力づよい音色が、放射状に広がってゆく。そのさいごの音をひきとって、ぼくはオーケストラに指揮棒をさす。この部分は、コミカルに、軽やかに。ソリストと、オーケストラの、軽妙なかけあいが続く。はにかみながら、ぼくは首と指揮棒を、左右にふる。それを見て、フルート奏者の口元が、わずかにゆるむ。観客席から、小さな咳ばらいがきこえる。ティンパニーが、バチをふりあげて、ぼくの合図を待っている。そろそろと、しのびあしで、クライマックスがせまってきていた。ソリストの、天をつくような行進だ。勢いよくかけのぼる、甲高いヴァイオリン。引き潮のように、はじめはおだやかに。やがて、津波をともなって。はためくマントのような、オーケストラの重低音が、後ろからおそいかかる。その中心で、小刻みに震える、しげおくんの弓。かたずをのんで、みまもる聴衆。ぼくの額から、つっと、汗が流れ落ちた。そして、最後の力をふりしぼり、指揮棒を目いっぱいふるった。
そのときだ。パパの万年筆が、ぼくの手から、ぽーんと、とびぬけていった。
しまった! と思ったけど、もうおそかった。それまでの、美しい重奏をうちやぶるように、万年筆は鋭い切っ先でもって、破滅的な音をたてながら、窓ガラスにつきささった。一瞬の間をおいて、ぱらぱらと、床のうえにこぼれ落ちる、ガラスの破片。とたんに、階下からきこえる、ママの叫び声。とんでもない結末だった。
 
 
 しげおくんが、ヴァイオリンをはじめたのは、四才だった。そして、はじめてリサイタルをひらいたのは、七才だった。
 リサイタルは、読売ホールで行われた。戦後の混乱期で、食事もままならない時代だった。だが、人々は音楽にも飢えていた。ホールは満員だった。
 その小さなぼうやは、ステージにさっそうといでたち、難曲のパガニーニをひきこなして、聴衆の度肝をぬいた。そして、そのうちの何人かは、しげおくんが神童であることを、そのときすでに、気がついていた。
 
ぼくは、ママにこっぴどくしかられた。そして、一か月間は、パパの部屋に立ち入ることを禁じられた。でもパパは、ぼくがやったことをなんとも思っていなかったし、ガラスに突き刺さった羽根をみて、むしろケラケラと笑っていたくらいだ。パパはすこし頭がおかしいんだ。ぼくに似て。でなきゃ、ガラスに突き刺さったその羽根を、そのあとマジックで、虹色に塗ったりなんかしない。「ほら、空に虹がかかったように、みえるだろ。」 なんて言いながらさ。
 
 しげおくんは、そのあとも毎年リサイタルを重ね、その評判は楽壇の話題となった。
 だけど、今みたいに、世間が騒ぎ立てることはなかった。それに、クラシック音楽は、ふつうの人たちにとっては、まだなじみがなかった。だから、その活躍は、ときおり新聞に載る程度だった。人々は自分の国で、ひっそりと神童が誕生していたことを、まだ知らなかった。
 でもしげおくんは、日陰に咲く大輪のひまわりのように、信じられない成長をみせた。
まるでその速度が、人とはちがった。あっという間につきぬけていった。
 
 彼のヴァイオリンをきくと、なんだか、からっぽの小さな体に、おとなでも抱えきれないほどの感情や経験が、うごめいているかのようだった。それは、きくものに奇妙な感情を抱かせた。まるで合ってないんだ。その、見た目と、奏でられる、音が。なにか、目の前の現実が、ずれているような、そんな錯覚を覚えさせた。だが、最終的には全てを受け入れざるをえなかった。目を閉じ、こうべを垂れるようにして。
 
 十才で、すでにオペラを作曲し、十一才には自作のヴァイオリン協奏曲を発表していた。
 その才能に、一流の音楽家が、次々と魅了されていった。
 シュタフォンハーゲンは、自らすすんでヴァイオリンの手ほどきをし、作曲の師である、プリングスハイムは、「驚異に近い天才」と称した。
 世界最高のヴァイオリニストと呼ばれている、ハイフェッツや、オイストラフも、その実力に目をみはった。江藤俊哉はひとめ見て、この子供は、まぎれもない天才だと感じた。
 十三才になると、しげおくんは、日本にある主なオーケストラと、ほぼすべて共演してしまっていた。
 
 
ぼくは、暗闇のなかでひざを抱え、ヘッドフォンから流れる、ブラームスのヴァイオリン協奏曲をきいていた。ソリストは、ジネット・ヌヴーだった。
夜中の一時だった。みんな、寝静まっていた。ぼくはママに内緒で、こっそりパパの部屋に忍びこみ、こうやって机のしたにかくれながら、ときおり音楽をきいていた。
闇の中で、オーディオの赤いランプだけが、目を光らせていた。でも、それでじゅうぶんだった。電灯も、ディスプレイも、必要なかった。目をとじるだけで。
ぼくは、小さく指揮棒をふった。四拍子で。ん、の字を書くみたいに。
ヌヴーも、不世出の、ヴァイオリニストだった。でも、飛行機事故で、三十才で死んでしまった。シトコヴェツキーは、三十二才。肺がんで。リパッティは、三十三才。
みんな、素晴らしい音楽家だった。世紀を代表するような。だけど、若くして、死んでしまった。きらめく演奏だけを残して。
「人生は、疾風のように現れ、きえていく」
これは、しげおくんが、小学四年生のときに書いた作文の、一部だ。
まさに、その通りだった。
 
 しげおくんは、はじめから神童だったわけではない。彼を神童たらしめたのは、お父さんの執念に近い、レッスンだった。
 お父さんは、きっすいの音楽人だった。お金や名声には、見向きもせず、ただひたすら、ヴァイオリン教育だけに、人生を捧げたひとだった。
 彼は、自分がヴァイオリンをはじめた年齢が遅すぎたことを、ずっと悔やんでいた。だから、その思いを次代へ託し、自らの手で、世界一のヴァイオリニストを育てることを、決意していた。
 そうして、四才になったしげおくんの手に、子供用のヴァイオリンが渡された。
だけど、はじめはてんでダメだった。楽譜の覚えが悪く、不器用で、毎回おんなじパートでつまずいた。まったく、才能がないように見えた。お父さんは落胆した。「この子は馬鹿なんじゃないか」とさえ思った。
 しかし、レッスンとなると過酷だった。手を抜けなかった。音楽には、妥協できなかった。うまくできないしげおくんに対して、お父さんは、何度もかんしゃくをおこした。ピアノの鍵盤を叩きつけたり、ときには、無理やり、ヴァイオリンを奪い取って、やめさせようともした。だけど、目に涙を浮かべたまま、しげおくんは決してヴァイオリンを離さなかった。親子で、ヴァイオリンを、ぎゅうぎゅうとひっぱり合った。やがて、父親のほうが折れた。ピアノの前に座り、息をととのえながら息子のほうを見ると、じっと立ちつくし、潤んだ瞳でこちらを見つめている。ひとつため息をつき、お父さんは、再びピアノに手をかける。それを見て、しげおくんも、ヴァイオリンを頬にあてる。その頬をつたって、涙がいくつもいくつも流れ落ち、ヴァイオリンの上にたまり、塗料がはげて、跡となった。その涙の糸を、勢いよく引かれた弓が、断ちきった。
 そうして、二人のレッスンは、くる日もくる日も続けられた。
 
 一日、八時間も練習していた。五才の子どもにとっては、地獄とも思える日々だった。
涙が、次から次へと溢れ出て、ヴァイオリンを濡らした。だけど、しげおくんは、決してあきらめなかった。父親の怒鳴り声と、楽器の音色が、朝から晩まで響きわたるその家で、果敢に耐え抜いていった。やがて小さな芽が、顔を出す。
 父親は、それをびんかんに察知した。彼は、ますます難しい曲を、しげおくんに要求した。だが、地面を割った芽は、空に向かって勢いよく伸びはじめていた。さらに、その速度は、どんどんと増してゆく。粘り強い努力が糧となり、しげおくんは、課題曲を、次々と自分のものにしていった。
 そんな息子が、あっという間に自分を追い越してゆくさまを、父親は愛情と驚嘆のまなざしでもって、見つめていた。
 
 
「ヨシュアくんは、サッカー遠征のために、本日はお休みです。」
次の日、朝のホームルームで、先生はそう言った。
「すげーなあ。」
後ろのほうの席で、誰かがそう言った。
「いいなあ。俺も学校休みたいな。」
「ばか、試合なんだから、休みじゃないんだよ。」
「どこでやってるの?」
「大阪まで行ってるみたいよ。」
「今度、応援に行ってみようかしら。」
「あたしも。」
先生は出席簿をパタンと閉じながら、「はい、みなさん静かに。」と言った。
「ジュニアユースの試合で、ヨシュアくんは、これからも度々学校を休むことになるかもしれません。だからみなさん、ノートを見せてあげたりして、できるだけヨシュアくんに、協力してあげましょう。いいですね?」
ぼくは、からっぽのヨシュアくんの机を眺め、それから窓のそとへ、目を移した。よく晴れて、気持ちのいい天気だった。
「では、授業を始めます。みなさん、国語の教科書を開いてください。」
ずるじゃなく、そんなふうに、特別な理由で学校を休める生徒は、みんなから、一種の憧れをもって、眺められた。とくにそれが、スポーツや、芸能活動なんかだと。ぼくらがこうやって、昨日と変わらない授業を受けているあいだにも、彼らはぼくたちのまるで知らない世界を、泳ぎ回っているんだ。一歩先に、おとなになってしまったかのように。
「えー、前回は128ページまでやりましたので、今日はその次の、山椒魚からですね。では、高橋くん、読んでください。」
ヨシュアくんが、クラスの注目を集めるようになったのは、去年、数学オリンピックで入賞してからだ。それまでは、とくべつ目立たない存在だった。冗談も言わないし、みんなとつるんだりもしない。だけど、それを境にして、とびきり頭のいいやつ、という目で見られるようになった。さらに、六年生になると、ぐんぐんと身長がのびて、サッカーでも、活躍するようになった。もともとクラブチームに入っていたヨシュアくんは、チームのキャプテンになって、さらには、ジュニアユースにも選抜された。クラスのみんなは、そんなヨシュアくんのことを、おもしろがって、「神童」って呼びはじめた。
「さて、ここで問題となるのが、岩屋から出られなくなった山椒魚の心情が、どのように変化していったかということです。田中くん、どう思いますか?」
 
その日の夕方、掃除当番だったぼくは、ようやくバケツをかたずけると、自分の席へ、ランドセルをとりに行った。もう、みんな帰ってしまっていた。静かな教室に、窓から西日が差しこんでいた。ふと黒板を見ると、明日の日直当番の、名前が書いてある。
「テツオ」と「神童 ヨシュア」。
ぼくはそれを見て、「神童」の部分を、黒板消しで、消した。
それから、パガニーニのカプリ―スを口ずさみながら、教室をでていった。
 
 
 しげおくんには、友達なんていなかった。学校でも、目立たない存在だった。まわりのみんなは、ああ、ヴァイオリンをやっているやつ、というくらいしか、思っていなかった。それに、コンサートのために、学校は休みがちだった。小さい頃からヴァイオリンしかやってこなかったから、友達のつくりかたも、知らなかった。練習のかたわらで、家の窓から、外で遊ぶ同い年の子供たちを、いつもうらやましそうに、眺めていた。しげおくんは、孤独だった。
 だけど、ヴァイオリンを持つと、彼の世界は一変した。まるで、舞台装置がくるりと反転するみたいに、大観衆の前で、割れんばかりの拍手を受けていた。
 おとなたちの、ほめ言葉や、励ましに囲まれながら、いろんな人と握手をした。リハーサルでは、指揮者や、演奏家と、対等に意見を交わした。音楽において、しげおくんは、ささいな間違いも、見逃さなかった。
 小学校六年生のときに、一年で七回もオーケストラと共演している。翌年には、世界屈指の指揮者である、イギリスのマルコム・サージェントと共演し、その実力に驚嘆されている。
 すでに、一流の演奏家として、ひっぱりだこだった。ヴァイオリンをたずさえて、各地をとびまわっていた。
 しげおくんにとって、世界は、ヴァイオリンの音でつくりあげるものだったんだ。
 
 それは、独特の音色だった。他のひとには、決して真似できないような。なんだか、地金をするどい刃で切り裂くような、そんな力強さがあった。
 それも、ピンと張りつめた、均質的の音ではなく、一音、一音、息をしている音だった。
 だからこそ、ピアニッシモが生き、強弱の濃淡がはっきりとした。そして、彼の無垢な感情が全体をオブラートで包むように、純真さを加え、きくものを、うっとりとさせた。
 高価なヴァイオリンではなかった。たまたまお父さんが見つけた、無名のハンガリー製のヴァイオリンだった。しかし、音色は素晴らしかった。ストラディバリウスのような繊細さはなくとも、琥珀のような、艶やかさがあった。
 アウアー奏法という、当時では時代遅れの、独特の弓の引きかたを、お父さんから教えられていた。それは、弓を持つ右手のひと差し指を、極端に深くすることで、引いたときに、より力を加えることができた。それが、彼の愛器をより響かせ、しげおくんだけの音を作り出すことができたんだ。
 そして、しげおくんが十三才のときに、ヴァイオリンの王様、ハイフェッツが日本にやってくる。そこで、彼の運命は、大きく変わってしまった。
 
 
「ねえ、昨日の試合見た? そう、ヨシュアくん。ほんとにすごいよね。ハットトリックきめたんだって。うそじゃない、本当だよ。」
「前半十三分に一点。中盤からスルーパスを受けて、フリーになったところで、こう、ズバっと。
しかも、ヨシュアくんを、マンツーマンでマークしてたのが、あの横浜マリノスの、宮村選手の息子なんだって! ほんと、ほんと。それをふり切ってさ。
それから、同点で迎えた、後半二十分。相手がいったん後方にボールを戻したとき、二人のマークを一気に出し抜いて、ボールをスティールすると、そのままズドン!
そして、きわめつけは、ロスタイムのコーナーキック。ヨシュアくんにはついに、三人もマークをつけられたんだ。それでも、ゴール前に上がったボールへ、あたま一つ抜き出たヘディングで競り勝って、だめ押しの一点。
しんじられないよ、ほんとに。」
「他の選手は、ヨシュアくん以外、みんな中学生なんだって。」
「それがさ、有名なクラブチームのスカウトが会場で見ていて、試合のあと、ヨシュアくんに声をかけたんだってさ。」
 
その日、クラスは、ヨシュアくんの話題でもちきりだった。
みんなは、自分たちのすぐそばに、こんなに素晴らしい人物がいることに、なんだか誇りすら感じているみたいな話しぶりだった。
しかし、当の本人は、その日も欠席だった。
だけど、ヒーローの不在は、さらにその人気に拍車をかけた。
いつだって人気は、驚きとともに、ある日突然やってくるもんだ。だって、一年前まで、ヨシュアくんが、こんなに注目されるなんて、誰が想像できただろう?
その驚きは、人々の口から口に伝い、ウィルスみたいに広がると、熱をおびて急にブクブクと沸騰する。それが人気ってやつなんだ。
そして、あの言葉が、そこかしこから聞こえてきた。
「あいつは神童だから」
「やっぱり神童なんだ」
だれが神童なもんか!
ぼくはそう思った。
ヨシュアくんなんて、ぜったいに神童なんかじゃない!
思わず、そう叫びそうになったとき、昼休みのチャイムが鳴り響いた。
 
だれが神童なもんか。
ぼくはその晩、パパの部屋で、闇の中でひざを抱え、そうつぶやいた。
遠くから救急車のサイレンが、うっすらときこえていた。それを追いかけるように、犬の鳴き声が。やがて、ヘッドフォンから、シベリウスのヴァイオリン協奏曲が、流れはじめた。
ハイフェッツだった。
その音色は、針金のような鈍い光を放ちながら、張りつめた緊張の糸を、たどってゆく。
圧倒的な存在感。非情なほどの完璧さ。ぞくぞくする戦慄。それが、ハイフェッツだった。
この演奏を支配しているのは、指揮者ではない。ハイフェッツのヴァイオリンだ。
すべてが、彼を中心として進行していった。その強力な磁力でもって、オーケストラのすべての音色を、制御しているようだった。
暗闇に浮かぶ、オーディオの赤いランプが、ゆらゆらとゆらいだ。入口のとびらが、音もなくわずかに開くと、部屋の中に一条の光が差しこんで、すぐに消えた。きっとパパだ。ぼくは、さらに顔をうずめた。そして、まぶたを閉じると、またつぶやいた。
だれが神童なもんか。
ハイフェッツをきくときだけ、なぜかぼくは、指揮棒をふることができなかった。
 
 ハイフェッツが日本にやってきたのは、一九五四年の四月だった。
 それは、ひとつの事件だった。夫人とともにタラップを降りるこの大物を、マスコミと大衆が、熱狂的に出迎えた。
 彼は、その神がかり的な技巧でもって、すでにその名を世界中にとどろかせていた。
 そんな巨匠へ、日本のヴァイオリニストの卵たちからオーディションが殺到した。なんとか、おすみ付きをもらいたかったんだ。しかし、王様はじつに気むずかしくて、そうそう近よれなかった。
 そこで、ハイフェッツとの橋渡しの役をしたのが、しげおくんの実力を高く評価していた、駐留米軍のルック氏と、その奥さんだった。奥さんは、ハイフェッツの伴奏者である、エマニュエル・ベイと、昔からの知り合いだった。そのつてを利用して、自宅のホームパーティーへと、ハイフェッツを招待したんだ。
 パーティーは、なごやかな空気で過ぎていった。気むずかしいハイフェッツも、その日は上機嫌で、部屋の隅にあったピアノを、おもむろに演奏したりしていた。ルック夫人は、しげおくんのことをいつ切りだそうかと、タイミングを見はからっていた。
 そんななか、ルック夫妻の子どもが、おもむろにハイフェッツに近よると、自分のピアノを取られたと思って、不意に巨匠を押しのけた。だが、椅子から転げ落ちそうになったハイフェッツは、怒るどころか、声をたてて笑った。その笑いは、なおしばらく止まらない様子だった。
 そのときだった。ルック夫人は、しげおくんへと、目くばせをした。それを合図に、しげおくんは、ヴァイオリンを取り出して、ほんのワンパートだけ、音を響かせた。
 でも、それで充分だった。楽聖は、神童の力量を、その一瞬で理解した。
 後日、しげおくんは、ハイフェッツのオーディションを正式に受けることとなった。
 
 天才同士の邂逅には、凡人にはわからない引力があるのかもしれない。
 世界中で、星の数ほどヴァイオリニストを見てきたハイフェッツは、オーディションなんて、きっとうんざりしていたにちがいない。それに、まさかこの島国で、こんな逸材に出会うとは、夢にも思っていなかったはずだ。だが、彼らは、たった弓のひとふりで、お互いを理解する。電流が走るように。運命のあやを、自らたぐりよせるかのように。
 オーディションは、ハイフェッツの滞在先である、帝国ホテルの一室で行われた。
 しげおくんは、緊張しながらも、いつも通りの演奏を披露した。そして、それは見事に実を結ぶ。
 ハイフェッツは、日本を去るときに、こう言い残していた。
「私は日本で素晴らしい少年ヴァイオリニストを見出した。できるなら勉強させるためにアメリカに呼びたいと思っているが、今はまだ名前は言えない。」
 それはしげおくんのことだった。しげおくんは、世界最高と呼ばれるヴァイオリニストに、認められたんだ。
 しばらくすると、しげおくんのもとへ、ハイフェッツからのしらせが届く。ニューヨークにある、ジュリアード音楽院への入学通知だ。しかも、当時では異例の無試験入学だった。
 すべては、ハイフェッツの尽力により決定したのだった。
 そして、彼の人生は、大きくうねりを上げて、転回してゆく。
 
 
ヨシュアくんが新聞に特集されたのは、火曜日の朝刊だった。
見出しはこうだった。
「十二歳の少年が、フィールドを席巻。」
記事には、ジュニアユースの大会で、ヨシュアくんのチームが優勝したこと、さらに、彼が決勝点をあげ、最多得点によって、最優秀選手に選ばれたことが、書かれていた。
同級生のダイゴくんが、インタビューにこう答えている。
「彼は、みんなから神童と呼ばれているんです。」
頭脳明晰、身体能力抜群、高身長で、スマートな顔立ち。どれをとっても、記事にするには最高の材料だった。
それからのヨシュア旋風は、とどまることを知らなかった。
大会後、彼がはじめて登校すると、まるでナポレオンの凱旋のように、大勢の歓声でもって迎えられた。どこへゆくにも、やまのような、ひとだかりができた。先生たちでさえ、熱狂していた。
一度、火のついた人気は、勢いよく燃え盛り、彼のもとに、雑誌や新聞社から取材が殺到した。大人っぽいいでたちから、ファッション誌でモデルをこなしたり、地元のテレビ局で特集を組まれたりもした。そこで彼は、外国のインタビュアーに対して、流暢な英語で答え、さらにみんなをあっと驚かせた。そして、きわめつけは、そのあとすぐに開催された数学オリンピックだった。二年連続で入賞を果たした彼は、文武両道のその地位を、不動のものとした。
やがて、クラスメートの間だけでささやかれていた、「神童」という言葉が、しだいにヨシュアくんのニックネームのように扱われはじめ、広まっていった。キャッチーなそのことばに、メディアは飛びつき、いつからか、彼の紹介文には、必ず「神童」とつくようになっていった。
ぼくは、そこかしこでそれを目にした。商店街のポスターで、本屋の雑誌で、朝のニュース番組で。行き交う人々の口をついて、道端でもきこえていた。「あの神童じゃろ?」「神童のおにいちゃん。」 老人から、子供まで。
そのことばがきこえると、ぼくは、あたまの中で、むりやり、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を流すようにして、指揮棒をふった。まるで、ふり払うかのように。人々は、そんなぼくを見て、ぎょっとしながら、通り過ぎていった。
誰も彼も、違和感はないようだった。ヨシュアくんが「神童」と呼ばれていることについて。ぼくだけを、のぞいて。
 
 
 
それは、きもちよく晴れた、月曜の朝だった。
空には雲ひとつなかった。昨夜の雨のなごりで、樹木の枝や、電線から、ぽつりぽつりとしずくが落ちて、道端にできた水たまりに浮く、枯葉をゆらしていた。みがかれた鏡のように、陽光に輝くその水面を、注意深くよけながら、ぼくは学校へと向かった。
 
 アメリカでしげおくんを待っていたのは、暗く、つらい世界だった。
 機上から見たマンハッタンを、彼はこう書き残している。
「空から見たニューヨークは、ぼくの想像していたニューヨークとぜんぜんちがっていた。
何がちがうとは、はっきりことばにあらわせないが、なんだかちがう。
 あまりきれいなまちではない。
これから、ここでくらさなくてはならない。」
 アメリカでの身元引き受け先である、日米協会が手配した、日系人の家へと身を落ち着けると、しげおくんは、ジュリアード音楽院へと通い始めた。しかし、そこで待ち受けていたのは、伝説の教師、イヴァン・ガラミアンだった。
 ガラミアンは、一流のヴァイオリニストを何人も育てあげ、当代最高の弦の教師と言われていた。だが、あまりのその厳格さゆえに、生徒たちからは、「恐怖のイヴァン」と呼ばれていた。彼の口癖はこうだった。「練習せよ、そして練習せよ。」
 ガラミアンの指導方針は、教師に対する服従だった。自分の信念を生徒に押し付け、がっちりと型にはめこむタイプだった。
 父親の教育によって、すでに完成の域にまで達していたしげおくんの奏法は、そこで弓の持ちかたから、直されるはめとなった。
 
ぼくは、足元に気をつけて歩いていた。泥がはね、白い靴下にまだらにしみた。そのときとつぜん、向こうから一陣の突風が吹いて、水たまりに波紋ができた。ぼくは、うつむいたまま、目の前に手をかざした。すると、その指の隙間から、風に乗ってうっすらと、ピアノの音がきこえてきた。視線をあげ、その音がどこからくるのかたしかめると、釣りあげられた魚のように、ぼくは音源のほうへと引きよせられていった。
住宅街の細い道を折れると、やがて、目の前に一軒の家が見えた。ぐるりと囲まれた生垣と、白いバラのつたが絡みついた、三角屋根の家だった。その中から、軽やかの音色で、バッハのパルティ―タの一番が、鳴り響いている。まるで、口笛を吹くような、さりげないタッチで。ぼくは鍵盤に向かって座る、その人物の姿を想像した。彼女は、食パンでもくわえながら、弾いているのだろうか。それくらい、無造作で、気どらない演奏だった。だけどそれは、この爽やかな朝にとにかくぴったりで、ぼくはその音色に、しばらく足をとめて、きき惚れていた。
 
 三か月たらずで、しげおくんは引っ越すはめとなった。
 次の滞在先は、なかなか決まらなかった。そして結局は、ガラミアンの家になった。
 レッスンで、しげおくんは、鬼教師にも、きぜんと反抗した。
 違うと思うことは、はっきりと口にした。
 ガラミアンにそんなことを言えるひとは、そうそういなかった。
 どの生徒も、絶対服従だったんだ。
 だから、周りからは、白い目で見られた。
 しだいにしげおくんは、練習の時間にも遅れるようになった。
 部屋にこもる日が多くなった。
 ともだちも、いなかった。
 ガラミアンの奥さんは、なかなか心を開かない
 しげおくんの扱いに困っていった。
 思春期のむずかしさと、異邦人の孤独がいり乱れていた。
 しめきっていた部屋の窓をあけようとしたときに、しげおくんはこう言った、
 「ゴーストが入ってくる。」
 
時間を忘れて、どれだけその場にいたのか、ぼくにはわからなかった。目の前の白いバラから虫が飛び立ち、かすかにふるえたとき、はっと我に返り、急いで学校へと向かった。背後に遠のいてゆくパルティ―タは、そのとき二番に入ったところだった。
ぼくは駆け足で、通学路の途中にある、イチョウの木立を抜けていった。
黄色いイチョウの葉が、深海に沈むように、ゆれながらおちて、
風はいつからか、追い風になっていた。
 
 そのころから、しげおくんの奇妙な行動が目立つようになった。
 日本語で話しかけても、英語で答えたり、
 目のあたりにテープを貼ったり
 ホテルの窓から飛び降りると言ったりした。
 彼のこころの底で、何かが崩れはじめていた。
 だれもが異質にみえて、
 ほんとうは、自分がいちばんの異物のように見えていた。
 それでも、なんとかアメリカに同化しようとした。
 少年の純粋さと、苦悩が
 水底でうずまいていた。
 それは表面になかなか浮いてこないから
 おとなたちには、わからなかった。
 彼らは、しげおくんのこころの闇がどこからくるのか、
 それを調べるために、精神鑑定士へと依頼した。
 博士は、しげおくんに、絵を描かせた。
 すると、すべての絵が、同じ構図だった。
 鎖にしばられた少年が、必死に穴をほっている。
 その背後に立つのは、恐ろしい形相の鬼。
 しげおくんは、その少年こそが、自分だと言った。
 それまで、勢いよく走り続けた馬車の
 車輪のネジはゆるみ、
 いよいよ、ガタガタと、
 音を立てはじめていた。
 
ようやく校門が見えたとき、校舎の壁にかけられた時計は、九時十五分をさしていた。
ぼくは、下駄箱で靴をぬいで、その場で少し息を整えると、急いで教室へと向かった。
校内は奇妙なほど静かで、もの音ひとつしなかった。自分の足音だけが、廊下にこだました。
やっと教室にたどり着き、おそるおそるとびらを開けると、そこには等間隔に椅子と机が並んでいるだけで、中には誰もいなかった。ぼくは、その場にぼうぜんと立ちつくした。
「全校集会で、表彰式があるみたいだよ。」
そういえば金曜の夕方に、ケンタロウがそう言っていたっけ。
表彰式? いったいなにを表彰するんだっけ?
そのとき、体育館のほうからかすかに声がきこえた。
ぼくは、きびすを返して、体育館へと向かった。
 
 燃料の切れたプロペラ機みたいに
 しげおくんの精神は、浮きつ、沈みつし、
 なんとか平衡を保っていたが、
 ロックランドの病院から
 ニューヨークへ戻るころには
 やや落ち着きを取り戻したように見えた。
 彼に当てられた住居は、
 レルドナス・ホールという、石造りの古いアパートで
 たったの三畳しかない、暗い穴倉のような場所だった。
 そこで彼は、机に向かって、何度も何度も
 人生と向き合っていた。
 高い窓から差し込む
 微弱な陽光をたよりにして。
 彼の日記には、こう記されている。
「ぼくの考えは今、とても危険なものになりつつある。
不思議だ。誰もが親身になってぼくのことを気づかってくれない。ぼくに対する責任においても気づかうべきなのに、そうしてくれないのだ。この二年間、彼らはぼくが幸せかどうかについて無関心だった。
 ぼくは一つの結論に達した。ぼくは自分の人生を変えることができそうにない。ただ、逃亡するだけだ。最後にジュディに問いたい。ぼくをどう思っていたのか、はっきりさせてほしい。逃亡するのが一番の方法と思う。怖いけど、すべてが終わればなにも感じないだろう。」
 そのころしげおくんは、ジュディという女の子に思いをよせていた。彼女の存在は、この世界と彼を結びつける、たったひとつの命綱でもあった。
 だが、その思いは成就しない。やがて、真綿で首をしめつけられるように、現実がきりきりと襲いかかる。
「昨夜、彼女にさよならを言った時、ことがらがはっきりした。この夏、ほんとうに希望がなかった。ぼく自身すべてを忘れようと思って、いろいろのことをしてみた。ぼくはまったく異なった人間だ。ただ幸福になろうと、友達をたくさん持ちたいとすらした。しかし、ぼくの中のどこかで、この世から逃亡することを決めていた。
 もちろん、ぼくがたくさんの友達を持ったことには多くの意義があった。しかし、それは空虚に終わるだろう。それはいい夢をみていたようなものだろう。ぼくが目覚めたとき、いつも同じ場所にいる。
 いつも生きるために何かを探してきたが、一つも見つけられなかった。ぼくは自己確立を始め、ギブアップするまでトライしつづけた。ジュディに出会った。ぼくは関心を持った。最初は他人だったけど、事態が変わって人生で初めて幸福を味わった。彼女と生きたいと思った。幸福になれると思った。実際、幸福だった。その気持ちをどう表現していいかわかなかった。
 ニューヨークへ戻ったとき、人生が怖かった。ぼくは怖さと戦った。生活をコントロールして、うまくいった。ぼくは自発的にレッスンし、何も感じないでいた。いい感じだった。
 しかし、ふたたびジュディに会った。気持ちが引き戻された。その後はいつもジュディにひかれていた。彼女はぼくを幸せにできる唯一の人だった。彼女がそう望むならば、ぼくを助けることもできた。
核心に来つつある。ぼくはジュディに与えられるものはすべて捧げた。しかし、彼女はぼくを見ようとしない。もう何も考えないことにしよう・・・。」
 それは、神童が垣間見せた、幼すぎるほどの、少年のすがただった。
 彼は、愛情に飢えていた。
 そして、ひとりぼっちだった。
 アメリカに来て、三年目のことだった。
 
体育館のとびらをあけると、そこには全校生徒が並んでいた。
碁盤の目のように、規則正しく、整列して。汗と、ニスのつんとしたにおいがやってきて、鼻をついた。とびらの開いた音で、何人かの生徒が、ぼくのほうをふり向いた。気まずさから、ぼくは後ろ手に、体育館の壁をつたいながら、端のほうに身を落ち着けた。
だが、担任の先生がやってきて、しようのないやつ、という眼差しをしながら、ぼくの手をひっぱると、そろそろとクラスの列まで連れてゆき、一番後ろへと並ばせた。恥ずかしさで、しばらくぼくは、うつむいたままだった。
「えー、近年、様々な分野において、みなさんのような小学生の中から、大人に負けないほどの、えー、素晴らしい才能を発揮する子が、多く見受けられます。」
壇上では、校長先生がスピーチをしていた。ぼくは、顔をあげずに、ゆっくりと右側に視線を向けた。となりのクラスの女の子が、きらきらとした目で、ステージを見つめている。
「えー、それらを鑑みて、このたび、私の権限において、「キラリ賞」という、新しい賞を、創設いたしました。えー、これは、年に一度、みなさんの中から、不断の努力により、えー、素晴らしい成績をおさめた生徒に対して、贈らせていただきます。そして、、、おっほん、そして、このように、みなさんの前で、表彰させていただくことで、えー、全体の士気高揚をはかるとともに、その子の夢を叶えるために、今後も学校をあげて、えー、全力をもって、バックアップさせていただくつもりであります。
それでは、その、栄えある、第一回の、受賞者は、、、、、、ヨシュアくんです。」
そのとき、割れんばかりの拍手がまき起こった。あまりのその大きさに、ぼくは思わず耳をふさぎそうになった。同時に、あちこちから歓声があがった。ヨシュアくんっ! ヨッシュアー! 
ぼくは、ステージを見上げた。舞台の袖から、ゆっくりとした足取りで、ヨシュアくんが歩いていた。そして、中央までくると、きっと結んだ口元を、わずかにほころばせ、軽く右手をあげて、声援にこたえた。それは、沸き立った油に水を垂らすように、さらに会場の拍手を呼び起こした。
「えー、それではみなさん、、、」
マイクの高さを直しながら、しばらくして、校長先生がそう口をひらいたとき、まばらな拍手は、ぴたりとやんだ。
「すでにご承知のひとも多いと思いますが、えー、ここにいる、ヨシュアくんは、先ごろ開かれた、サッカーのジュニアユースの大会において、えー、最優秀選手に選ばれました。そして、さらに、スポーツの分野だけではなく、えー、数学の分野においても、数学オリンピックに、なんと、二年連続で入賞するという、快挙を成し遂げました。えー、これだけ多岐にわたる活躍は、我が校始まって以来の、出来事で、あります。」
ふたたび、拍手が巻き起こった。ヨシュアくんは、斜め上を見上げたまま、じっとしている。
「えー、さらに、彼は、神童と呼ばれているそうですが、、、」
ぼくはそのことばをきいた瞬間、目をふせて、硬直した。うっすらと、耳の奥で、音楽が鳴りはじめる。
「えー、じつは、わたしの親戚にも、神童と呼ばれた、秀才がおりまして、彼は、東大を卒業後、アメリカへ留学し、現在は、えー、マサチューセッツ工科大学にて、教授の職に、ついております。えー、この、神童という、ことばには、非常に重みもありますが、えー、それだけ周囲からの、期待をこめた、呼び名でもあると思います。しかるに、本人にとっては、ものすごいプレッシャーであったかと思いますが、えー、そのなかで、、、」
ぼくは、目を閉じ、「神童」ということばをきくまいとして、必死に音楽に耳を傾けた。ベートーヴェンの、ヴァイオリン協奏曲の第一楽章が、きこえている。まだ、ヴァイオリンのソロは、始まっていない。だけど、オーケストラの背後から、霧のようにうっすらと、「神童」ということばがきこえてくる。ぼくは、ゆっくりと指揮棒をあげた。
「、、、では、前置きが長くなりましたが、えー、おほん、これから、表彰状の授与に、うつります。」
ふたたび、歓声があがった。そして、会場のそこかしこから、大声で「神童!」ということばが、沸きあがった。それは、天井にこだまして、頭上から、雨のように降り注いだ。そのことばをかき消すため、ぼくは、いよいよもって、指揮棒を必死にふった。
そのとき、だれかがぼくの腕をつかんだ。美しいカデンツァを奏でていたソリストと、オーケストラのすがたは立ち消え、代わりにそこにいたのは、眉をよせ、苦い顔をした、担任の先生だった。
「なにをしているんだ。」
ぼくの腕をつかんだまま、先生は小声でそう言った。まわりにいた数人の生徒は、横目でぼくのことをみていたが、すぐに壇上へ視線を移した。
一瞬のまどろみから、ただ単純に、ぼくは彼らの視線の先を追った。すると、ステージの上で、ヨシュアくんが、受け取った表彰状を、頭上に高々と上げている。まるで、優勝カップでも掲げるみたいに。
それを受けて、声援は最高潮に高まった。口笛や、指笛が加わった。みんな、拳をつきだしたり、両手をふっていた。目の前はそれで埋めつくされた。その隙間をぬって、遠く、かすむように見える、ひとりの少年。それがヨシュアくんだった。ここにいる、すべての人間が、そのすがたに熱狂していた。その熱で、体育館は、はちきれそうだった。
「神童!」
「神童!」
「神童!」
ぼくは、先生の腕をふりほどいた。そして、両耳を手でおおった。
、、、神童なんかじゃない、
そうつぶやいた。先生はぼくのことを不審な目で眺めつつ、その場を立ち去っていった。そのとき、視界の端で、壁側の列の、最後尾の女の子が、不意に膝からくずれおちて、その場に倒れこんだ。しかし、みんなステージに注目していて、誰も気づかなかった。拍手と、歓声は、なお鳴りやまない。その下で、女の子は、糸の切れた人形のように、手足をそれぞれ別の方向に投げ出し、小刻みにふるえ、けいれんしている。赤いスカートの裾からのぞいた、ほっそりとした白いくるぶし。長い髪が、放射状に散って、顔を覆っている。その間から、口元がうっすらと見えた。ぱくぱくと、魚のように動いている。
それを見て、ぼくの中で、もう、なにかがはじけ飛んで、大声で叫ばずには、いられなかった。
「ヨシュアくんなんか、神童じゃないっ!!」
 
 
そのあとぼくは、職員室に呼ばれ、担任の先生に、こっぴどく叱られた。
名誉ある式典を、台無しにしたって。
それから、校長室にも呼ばれた。顔を真っ赤にした校長先生は、どうしてあんなことを言ったのかと、何度も何度もぼくのことを問い詰めた。ぼくはただうつむいたまま、黙っていた。
家に帰ると、学校から連絡を受けていたママにも、散々怒られた。あんなことを言うなんて、ヨシュアくんに対して、とんでもなく失礼だって。恥かしいって。
ぼくは、みんなからめったうちにされて、自分の部屋へ逃げ帰った。
 
それからの、ぼくの学校生活は、一変した。
まるで、全校生徒を敵にしたようなものだった。
みんな、ぼくを見ると、まるで汚物でも見るみたいに、避けて通った。
そこかしこから、陰口がきこえてきた。
「あいつみたいよ。ヨシュアくんのこと、神童じゃないって叫んだの。」
「バカじゃないの。何様なのよ。」
やがて、露骨にいじめがはじまった。
授業中に、うしろから蹴られたり、
ランドセルを、カッターで切られたり、
階段から、突き落とされそうになったり。
 
ぼくは、ヨシュアくんがべつに、嫌いなわけじゃない。
さらに、嫉妬しているわけでも、うらやましく思っているわけでもないんだ。
ただ、彼が、神童って呼ばれることだけが、耐えられないんだ。
彼が学校中の、あるいは日本中の人気ものになったって、ぜんぜんかまわない。それで、彼がのぼせて、天狗になったって、ぜんぜんいい。そのあと、ほかのひとを見下すようなゲスになったって、逆に、多くのひとから慕われる好人物になったって、どっちだっていい。
そう、神童にとって、人格なんて、本当はどうだっていいんだ。
とんでもない善人であろうと、悪魔のような残忍な人間であろうと、彼のつくりだす、奇跡に似た所業だけが、神童と呼ばれるにふさわしいか、どうかだ。
その点では、やっぱりヨシュアくんは、神童なんかとは、ほど遠い。
ただの子供だ。
なぜならぼくは、本当を神童を、知っているから。
 
 しげおくんが、自分の部屋で、大量の睡眠薬を飲んで自殺をはかったのは、一九五七年の十一月一日だった。
 それから病院に運ばれたが、事態はよくなかった。
 彼の体は熱で沸きかえり、筋肉が硬直し、体中がぐっとそり返ったままだった。
 バスタブの中で何日も氷漬けにされ、人工呼吸器と点滴のチューブに囲まれた。
 見舞いにきたおとなたちは、その光景にことばを失くし、そして背中を向けて去っていった。
 なんとか一命はとりとめたが、そのあとは自分で体を動かすことも、言葉を話すこともできなくなってしまった。熱で脳がやられてしまったんだ。
 しばらく経って、日本の両親のもとに送り返されたが、
 それからはもう二度と、ヴァイオリンを持つことはできなかった。
 
 
学校では、もうぼくに話しかけてくるひともいなくなった。
友達だと思っていたやつらも、みんなそっぽを向いて、通り過ぎていった。
だから、ぼくはいつも、頭の中で音楽をききながら
指揮棒をふることにしていた。
そんなぼくをみて、多くのひとは、気味悪がって近づかなかったが、
何人かは、飛び蹴りをしてきたり、
罵声を浴びせたりした。
それから、学校に行くのも嫌になって、家にこもるようになった。
ママは、心配して、先生に相談するように言ったが、
そんなことしたって、どうにもならないことはわかっていた。
だって、ぼくのほんとうに言いたいことを、説明したって、
わかりっこないんだもの。
 
ぼくは、一日中、ひとりで、パパの部屋で、音楽をきくことが多くなった。
そして、いろんなことを考えた。朝から晩まで。
これまでのことや、これからのこと。
やがて、こう結論づけた。
ぼくは、たったの十二年しか生きていないけど、
そのなかで、もっとも大事なものは、音楽だけなんだと。
世の中のひとは、いろんなことを、血まなこになって追いかけている。
あるひとは、女の子のケツを追い回したり、
べつのひとは、将来に向けて、必死に勉強したり。
大人のひとたちは、お金のことで、くよくよ悩んでいる。
だれもがみんな、その日、そのときに、目の前にある問題に、
必死にとりくんで、なんとかやり過ごし、
レンガを積み上げるように
あるいは、並べられたごちそうを
のこらず食べつくすかのように、
笑顔で、そして泣きながら、
必死に、手をのばしているけども、
そんなものは、どれをとっても、ひとつも重要なことはなくて、
本当に大事なものは、音楽だけなんだ。
ただ音楽をきくことだけ。
一日の終わりに。あるいは、一日のはじまりに。
そうは思わないだろうか。
 
 
しげおくんのことを考えるときに、いつも最後にたどり着くのは、惜しくも失われた、その素晴らしい音色だ。
本人にとっては、ヴァイオリンが弾けなくなってからの人生のほうが長いのに、みんなが思うのは、さっそうといでたち、あごにヴァイオリンを当て、天上的な音色を奏でていた、ぼっちゃん刈りの、あの少年のすがただ。そこにいったん立ち戻り、しげおくんが、そのままヴァイオリンを弾き続けていたら、どんなに素晴らしい音楽家になっていたかを、思い描くんだ。だれしもが、その「もしも」の物語に思いを馳せ、やがてその軌跡は、悲しみを帯びたまま、無数に枝分かれして、伸びてゆく。青年から、大人になった彼のすがたを。決して実現しえない、失われた未来を。それを思うと、ぼくはなんだか、ガラスの瓶に閉じ込めれた、小さな木を想像する。透きとおったガラス瓶と、ぴったりと封じられた蓋。断じて、触れることも、水をやることも叶わず、その中で木は、ひとりでに八方に枝を伸ばすけども、それはいつかは、ガラスの壁に突き当たる。だけど、それは今ではない。もう少し先の話しだ。だからこそ、ガラス瓶に閉じこめられた時間の中で、ぼくたちは、失われた少年の未来を、無限に想像することができるんだ。
 
もう、夜が近づいていた。ぼくは、パパの棚からCDを取り出した。それは、しげおくんがニューヨークにいたときに録音した音源だった。ぼくはプレイヤーにそれを乗せて、再生ボタンを押した。窓の外は茜色の空で、うっすらと白い雲が尾をひいている。やがて、スピーカーから音が流れはじめた。ヴィエニアフスキーのヴァイオリン協奏曲 第一番の第三楽章だった。ぼくは、この曲が好きで、何度もきいている。
ぽろぽろと、オーケストラの代わりを努めるピアノの伴奏の隙間を、まるで黄金の針でもって鋼の糸を縫うように、乾いた、しげおくんのヴァイオリンの音が進んでゆく。決してだれも、この難曲を、そんな速さで弾くことなど到底できないような、信じられない推進力で。
それは、あきらかに叫びだった。彼は、ヴァイオリンでもって叫んでいた。異国の孤独を。暗い人生を。切れ目のない、金属音のような、張りつめた音。まるで、駆け足でのぼるような、感情の起伏と、音階。それは、どこまで逃げても追いかけてくる。彼は、息を切らせながらも、叫び続けた。ヴァイオリンを通して。完璧な技巧でもって。だがそれは、かつての天上的な音色ではなく、人間の奥から沸き出てくる、生々しい、咆哮だった。切なくも、美しい。
それをきいていて、ぼくは泣かずにはいられなかった。それは、その音色のあまりの美しさからなのか、あるいは、しげおくんの感情を思ってなのかはわからなかった。あるいは、ぼく自身の問題からだったのかもしれない。だが、とにかく涙があふれて止まらなかった。ぼくは泣きじゃくった。そして、何度も何度も、その曲をきいた。気がつくと、床には長い影が伸びて、山の向こうに、もう陽が沈もうとしていた。
そのとき、とびらを開けて、突然部屋に、パパが入ってきた。パパは、泣いているぼくのすがたを見て、一瞬立ち止まったが、何も言わずに、そのまま窓のほうに近づいていった。そして、ずっと窓に突き刺さったままだった、万年筆をひっこ抜いて、ぼくに近づいて、それを差し出した。「これで思ったことを書きなさい。」 そう言った。ぼくは、涙をぬぐって、それを受け取った。窓の外の夕焼け空と同じような、虹色の羽根の万年筆を。
 
 
ぼくはそれから、家にこもって、このはなしを書き始めた。
くる日もくる日も。
だけど、文章を書くなんて、はじめてだったから、書き終えるまでに三年もかかってしまった。その間に、中学にあがり、新しい生活が始まったり、吹奏楽部に入部したり、恋人ができたりもした。
 
パパからもらった万年筆は、途中で折れてしまった。今は三代目だ。
しかし、これでようやく終わりそうだ。
 
もう、言いたいことは、書きつくしたんだから。
 



※参考・引用元
 山本 茂著 「神童」
 

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