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ヴィレッジヴァンガードは、カウントダウンTVだった。


斉藤和義の「歌うたいのバラッド」を知ったのは、カウントダウンTVのエンディングでだった。

それからぼくは自転車をこいで一時間かけて、町のレンタルCDショップへと向かった。それは国道沿いに建つ大型書店の二階にあり、ゲームショップに併設されていた。まだツタヤができる前だった。

残念ながら、「歌うたいのバラッド」はなかった。きっとまだ、シングルが発売されて間もないからだろう。そう思って、翌週も行ってみた。しかし、なかった。その翌週も。

中学校三年生のときだった。まだ携帯電話が普及する前で、初めてPHSを持ったのは、その翌年だった。
ぼくの町は、あまりにも田舎すぎた。
だから、どれだけ待ち望んでも、「歌うたいのバラッド」がやってくることはなかった。

忘れないためにも、ことあるごとにサビの部分を口ずさんだ。じつはそれしか知らなかったのだ。だってあの短いエンディングの間で使われていたのは、サビのみだったから。

それからしばらくして、ようやくその曲の全貌を知ることができたのは、なんとカラオケBOXでだった。

「DAM」の分厚い歌本の中に「歌うたいのバラッド」を見つけたときの、ぼくの驚きと喜びは、その場にいる誰にもわからなかっただろう。それからその曲を歌うためにマイクを握ったときの戸惑いも。だって、サビしか歌えないんだから。


カウントダウンTVというのは、ある世代にとっては象徴的な番組だった。
それは時代の発信機であり、それを見逃すことは、死を意味していた。
誰もがみな、今週の「一位」を固唾を呑んで待ち望んでいた。その栄光はやがて、大きなうねりとなり、日本全体を飲み込んでいった。それほど影響力が大きかった。

そして今思うと、それと同じような役割を果たしていたのが、じつはヴィレッジヴァンガードだったのだ。

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通称「ヴィレヴァン」。

下北沢のマルシェに口を開けているその店は、ぼくらにとっては「ハチ公」よりも馴染み深い。

その当時、待ち合わせはいつも「ヴィレヴァン」の前だった。そこには個性的な服装の待ち人が溢れ、足元にはタバコの吸い殻が散乱していた。

そして、その場所へ集う人種の常として、定刻通りに現れない友人に痺れをきらした者が、時間をつぶすために店内へと吸い込まれてゆく。するとそこには、めくるめく万華鏡の世界が広がっている。棚から天井までは、隙間もないほどに雑多な物が積まれ、脇にはひとつひとつ、手書きのポップが添えられている。どこへ目を向けても、物、情報、物ばかり。まるでかたずけのできない、収集癖のある友達の家に遊びにきたかのような。狭い通路には人がひしめき、そばで黄色い声をききながらも、なんとかすり抜けてゆく。そして、目にとまった商品へとおもむろに手を伸ばすと、買うつもりなどなかったのに、思わず財布を開けて、残りの金を算段するのだった。

そこには古今東西から、あらゆるへんてこなものが集められていた。
本、漫画、写真集、画集、CD、DVD、雑貨、パーティグッズ、家具、時計、カメラ、Tシャツ、手袋、財布、アクセサリー、プラモデル、それから、、、。
店内のいたるところで、様々な人種が熱心に品定めをしている。
長髪のヒッピーが、誕生日プレゼントを探していたり、革ジャンのパンクスが、村上春樹を立ち読みしていたり。
そうかと思うと、ボブのメガネ女子が建築の写真集を見ていたり、レジ前ではギャルがGショックを眺めている。

つまりそこは、一種の「るつぼ」だった。


ある日そこで、ぼくは何気なく手にした本にあまりにも夢中となって、そのまま三時間以上立ち読みして、読み切ってしまったことがあった。
それは高橋歩の「毎日が冒険」という本だった。

それは入口近くの目につきやすい、いわば店内の一等地に置かれていた。その一画には他に、沢木耕太郎の「深夜特急」や、小林紀晴の「アジアン•ジャパニーズ」、ロバート•ハリスの「エグザイルス•ギャング」など、様々な放浪文学が置かれていた。

つまりそれらを、そのとき時代が求めていたのだ。そこへ集まるような若者にはとくに。

今となっては信じられないはなしかもしれないが、当時の若者のなかには、持て余したエネルギーのはけ口を、海外を放浪して摩耗させたがる人種が、一定数いたのだ。

そうして流行の本流としてではなく、サブカルチャーの殿堂として「ヴィレヴァン」はその不動の地位を確立していた。

今思うと、そこで出会ったいくつかのものが、自分を形成していることに気が付く。

例えば、チャールズ•ブコウスキーという作家。

藤原新也氏が撮影した、バーのカウンターで物憂げな表情をした太っちょ女の、そのえもいえぬ表紙の写真を、かつてその店の平積みで、どれだけ目にしたことだろう。

それから、沼昭三の「家畜人ヤプー」。それに、狂気的な表紙の絵が印象を残す、夢野久作の「ドグラ・マグラ」。

音楽でいえば、「SOIL&”PIMP”SESSIONS」や「DE DE MOUSE」、それに「→Pia-no-jaC←」。

今となっては懐かしく思い出すそれらを、あの時代の一部の若者は、たしかに共有していた。

これらに心当たりがあるならば、きっとあなたは、「トイカメラ」もわかるはずだ。
一世を風靡したそのおもちゃのようなカメラを、ぼくは友人の誕生日プレゼントに送った。

そんなふうに、「ヴィレヴァン」は一時期(それはごく短い間だったかもしれないが)カルチャーの発信地となっていた。

それは、時代の端っこを、申し訳なさそうに流れる別の川だったのかもしれないが、そこへ集まる人々の、その後の人生の一部を、確実に形成していた。

そしてきっと我々は、それを共通言語として認識することができる。


つまり、ぼくらにとってヴィレッジヴァンガードは、カウントダウンTVなのだ。




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