わたしとフラの10年間
ふと、フラを始めて10年以上が経っていることに気づいた。
日本では「フラダンス」とも呼ばれ、実は多くの人に愛されているフラ。
フラを踊っていなかった時期もあるけれど、その期間は仕事として携わるなど、様々な形でフラに関わってきた。
10年間のフラとの関わりを、この記事に書きとめておくことにする。
2013年 大学でフラに出会う
2013年に東京外国語大学に入学。
サークルに迷っていた頃、なにかの新歓の帰りに、終わりかけのフラ・タヒチアンダンス部の新歓に偶然立ち寄った。
小さい頃、家族がハワイに連れて行ってくれたこともあり、元々ハワイには親しみがあった私。
新歓で先輩方にフラの魅力を聞いてみると、「踊っていて癒される」「大切な人への気持ちを込めて踊ることができるのが良い」といった話を聞いて、「えーなんか素敵!!!」とドキドキしてしまって。
「私が入るべき部活はフラかも…!!」と高揚した気持ちで自転車を漕いで帰った記憶が、なぜか鮮明に残っている。
家に帰ってから「フラ」と調べ、初めて見たフラの映像がメリーモナークのパフォーマンスだった。
一糸乱れぬ美しい踊りを見て、「フラってこんななんだ…!」と衝撃を受けた。
高校時代、ダンス部に興味を持ったことがあった。でも、体験入部に行ってみたら全然ついていけなくて諦めてしまって。「フラに興味はあるけど私に踊れるかな…」という心配をしていた。
それでも体験入部に行って、先輩のお話を聞いたり、のちの同期に励まされたりして、入部を決めた。
高校時代は陸上部に所属していた。陸上の練習はとにかくつらくて…
なので大学では「部活ってこんなに楽しいんだ!」と、踊ることも、みんなで部活をすることも、心から楽しんでいた。
みんなでディズニーに行ったり、クリスマスパーティーをしたり、楽しかったなあ。部活も遊びもなんでも全力で取り組む最高の同期だったので、先輩の卒業公演の後に組体操をしたこともよく覚えている。
2014年 幹部代として部活に熱中する
海外留学に行く人が多い大学だったため、3年生の4月で引退。そのため、大学2年生が幹部代だった。
先輩からは「私たちと同じようにやる必要はないし、自分たちで考えて部活を運営していい」と言われていたので、自分たちなりに一生懸命考えて様々なイベントに臨んでいた。
幹部として部活に携わった2年生は、すごく楽しくて充実した一年間だった。
ところで、私の所属していた部活は、かなり体育会系で、とにかく恐怖だったのが「合宿」だった。
合宿は1泊2日。
ベーシックをそれはもうみっちりやる。レベル3のきついこと、きついこと…。あとタヒチアンも延々とアップダウンを繰り返すので滝汗に次ぐ滝汗…。
それから新曲を2曲・オリ(祝詞みたいなもの)を1曲、みたいな感じで新しい曲を教わる。
新曲は嬉しいけど、振り付けはもちろん、歌詞・オリも2日目にはすべて覚えて各自が歌えるようになっていないといけなかった。カヒコ・アウアナと覚えることがいっぱいだし、1日目にはすでに階段が登れないくらい筋肉痛になっているけど、歌詞はハワイ語だからなかなか覚えられないし…。
みんなで必死で語呂合わせを考えるなどして頑張って覚え、睡眠時間は1~2時間くらいになることも。
でも結局歌えなくて、2日目には筋トレしながら延々とオリを唱える時間があったり…。
そんなきつい合宿を乗り越えたからこそ、同期とは絆も深まって、本当に部活も同期も、温かい先輩もかわいい後輩も大好きだった。
最初にこんなに人に恵まれていたから、フラの楽しさを知れたのかもしれないな…。
もちろん先生のおかげもあって、フラはただの踊りではなく、ハワイの文化であること。ハワイ語・文化・歴史・考え方など、ハワイの様々なことを学ぶ必要があって、とても奥が深い文化であることなど、フラを学ぶ上で大切なことを沢山教えていただいた。
私は今でも、フラの奥深さに魅了されている。10年やっても、知らないことしかないし、1個できるようになったと思ったら、すぐ次の課題が見つかる(そもそも実は全然できるようになっていない)し、ハワイ語もラテン諸語とは文法が全く違うので、学ぶ過程は驚きに満ちている。
と、とにかく充実していた大学2年生は、思い出がいっぱい。
そして本当は2015年だけど、3年生になり、部活は引退。
この年は、後輩たちに向けてチアダンスを踊った!
と、そんな感じで本当に楽しい部活生活をたっぷり味わわせてもらった2年間だった。
2015年 初めてソロのコンペに出る
フラを始めて3年目、初めてソロのコンペに挑戦した。出場したのは、大学生のためのコンペであるカレッジフラコンペティション。
色んなことを周りに流されながら決めていた自分にとって、初めて自分の意思でした決断だった。
ノートにこれでもかってくらい考えていることを書き出して、怖かったけど「やってみたい!」という自分の気持ちを大切にして。
正直コンペに出れるようなレベルではなかったから、動画を撮っては落ち込む日々だった。
入賞はできなかったけど、本当に自分のベストを尽くした。留学の準備をしながら、バイトをして、練習に通って、フラ動画を見漁って、メレのリサーチをして、家に帰ってもずっと練習をしていた。
本番では、踊り終わった後に涙がぶわーっと出てきたことをよく覚えている。そんな経験は人生で初めてだった。それだけ気持ちも時間もお金もかけて取り組めた。
コンペに出た後は、イタリアに渡った。
2016年 イタリアのハラウに通う
大学ではイタリア語を専攻していたため、イタリアのボローニャという街に留学した。
フラを続けたかったので調べてみると、なんとボローニャにフラ教室があるではないか!ということで、ボローニャでもフラを続けることができた。
教えてくださったのはメキシコ人の先生。実はメキシコもフラが盛んで、カヒキラウラニ系列の先生だった。
一年の集大成としてイタリアでも一度イベントに出演させてもらった。この時は、当日まで衣装がどうなるのかよく分からず、日本だったらそんなことありえなかったので、「あーこれがイタリアの物事の進め方か」と授業では習えないカルチャーショックも味わうことができた。
ちなみに、留学中にKuana Torres Kaheleがスペイン・ドイツでワークショップをする!ということで、スペインに行きワークショップを受講した。
まさかヨーロッパでハワイアンミュージシャンに会えるなんて…と感動。
レイメイキングのワークショップも受けて、最後にKuanaの生歌で、レイをつけて踊るという貴重な経験をすることができた。
ちなみに留学中、部活の友達がイタリアに遊びに来てくれた。すごく楽しい旅行だった。
「丸くなったねぇ」的なことを言われて「そう?」と思っていたが、ある時体重を測ったら日本出発時+15kgという大増量をしていて、びっくりした。
2017年 メリモを見に行き、大学生活最後のコンペに挑戦する
イタリア留学から帰国し、大学生最後の一年。
4月には、「メリーモナークをこの目で観る」という夢を叶えにハワイ島ヒロへ。
就活も佳境を迎えていたので、飛行機に乗る直前にエントリーシートを完成させ、ポストに投函するくらいバタバタだった。でも、この時行けて本当に良かったなと思っている。
フラを始めてから初めて行くハワイ島は最高だったし、一流のダンサーたちの踊りを観られて感無量だった。
大学生最後の夏、私はまたコンペに挑戦することにした。大学生しか出られないカレッジフラコンペティション。
2回目のソロのコンペは、就職活動と並行しながら練習を重ねた。
就活もそれなりに頑張っていたので日々忙しく、コンペだけに集中するのは難しかった。
自分にできることはやったが、入賞の壁は厚かった。
この年は横浜ロイヤルパークホテルでの開催だった。
前日には審査員のクムやミスアロハフラ2016のケイリーが演舞するディナーショーがあった。
このショーを見て、クムフラ カイリヒヴァ・ヴァーンの踊りに一目惚れした。
最後の外語祭では、引退後もフラを続けていた後輩たちとチームを組んで野外ステージに出演した。同学年はおらず、私ひとりで後輩たちの仲間に入れてもらって、それだけフラを踊りたかったんだろうな、と今振り返って思う。
ソロを踊らせてもらったり、初めてのバックベント&ローリングに挑戦したり。
ちなみにバックベントは苦手すぎて、一度はメンバーに入れなくなりかけたが、なんとか食らいついて最後はできるようになった。
コンペの練習と並行して練習し、汗をかきまくっていたので、イタリアで太った15キロが消えていった。すごい。
いつでもフラが第一で、フラ漬けだった大学生活だった。
そういえばこの頃、ウクレレも習い始めた。
2018年 社会人になってもフラを続け、初めてのカウアイ島に行く
2018年4月、社会人になった。
レッスンは土曜日だったので、毎週教室まで通い、同期や後輩とレッスンを楽しんでいた。
この頃は本当にレッスンが楽しくて、毎週のフラのレッスンに活力をもらっていた。
この年のハイライトといえば、人生初のカウアイ島に行ったこと!
同期と後輩、総勢9人での海外旅行。
大好きな♪Kokeʻeを踊っていたから、現地に行けた時はすごく嬉しかった。
ワイメアの壮大さには圧倒された。
ありがたいことに、先生のつながりで、現地のショッピングモールでのショーに少しだけ参加させてもらった。
この時踊っていた現地のハーラウは、メリーモナークでも活躍しているハーラウのダンサー。
前年メリーモナークを観に行ったけど、近距離で観る踊りはまた格別で。
2〜3人の少人数でも見応えがあって目が離せなくて、ステップ一つひとつにも迫力があって、「こんな風に踊りたい…!」と強く思う踊りだった。
最後に一緒に記念撮影をさせていただいたので、「すごく感動しました!どうしたらこんな風に踊れるようになるんでしょうか?」と聞いたら、”Practice, practice, practice.”と一言。
カッコいい…!そりゃそうだ、上達には練習あるのみだよな。
自分が見惚れたダンサーの言葉には説得力しかなかった。
ずっと笑ってたし、いっぱい踊ったし、いっぱいおしゃべりもして、本当に楽しくて楽しくて楽しいカウアイ島旅行だった。
2019年 イベントにたくさん出る
2019年もフラのレッスンに通った。
イベント参加の多いハーラウだったので、イベントシーズンには毎週土日がフラなんてことも。
社会人2年目になり、仕事を任される範囲も増えてきて、片道1時間半の通勤が大変で、一人暮らしを始めた。
さらに地域のまちづくり活動に参加したりと、色々なことを頑張った2019年だった。
結論から言うと頑張りすぎてしまい、そのほかにも身の回りでいろんなことが起き、このあたりからフラを楽しむ心の余裕がなくなってしまっていた。
2020年 コロナ禍、色んなことがあってフラを中断する
そして2020年。誰にも変化のあった年だと思うが、私にも大きな変化があった。
あんなに大好きだったフラがしんどくなってしまい、この年フラから離れることにした。
詳細は省くが、悩んで悩んで、最後には身体が追いつかなくなって続けられなくなってしまった。
2021年 フラの企画会社に転職する
公私共に変化の大きかった2020年を経て、初めての転職をすることになった。
転職先はフラのイベントを企画運営する会社だ。
相変わらず踊ってはいなかったが、フラが嫌いになったわけではなかったので、この道を選んだ。
実は2018年に社会人になってから、カレッジフラのボランティアスタッフをさせてもらっていた。そんなご縁もあり、声をかけていただいたのだった。
たくさん悩んだが、一度きりの人生、「やりたいことを仕事としてやってみたい!」と考えて挑戦を決めた。
職場の同僚にも恵まれ、自由な雰囲気の中、新しいイベントやサービスを立ち上げるなど、たくさんの仕事に取り組んだ。
2022年 フラを再開する
この年、約2年のブランクを経て、ひっそりとフラを再開した。
仕事でたくさんのクムフラに会い、雲の上の存在だった彼らと関わる機会をもらい、様々な場面でご一緒させてもらった。
その中には人間的な魅力を感じるクムや、これまでは気づかなかった魅力を知ったクムもいた。
それでも、2017年にコンペで見惚れたクムのハーラウに入った。ずっと憧れがあったし、クムのスタイルが大好きで、ここ以外考えられないという気持ちだった。
唯一無二のスタイルを持つこのハーラウでは、ステップの踏み方、重心のかけ方、顔・胸部・手etc.の使い方…とあらゆることが前のハーラウと異なって、ステップの習得は難しかった。
というか、今でも全然マスター(なんて言葉を使うのが本当におこがましいほど)できていなくて、毎回のレッスンで「こうかな?ん?いや、こうか?」と試行錯誤を続けている。
2022年には、初めてイベントで踊らせていただいた。
「みんなフラを楽しそうに踊っていて良かったよ」と感想をいただいたことが嬉しくて記憶に残っている。
2023年 新しいハーラウで初めてのコンペに出場する
2023年には、茅ヶ崎マカナというフラのコンペティションに挑戦させていただいた。
通い始めて一年強、まだまだ未熟すぎる私だが、最終的には最後まで踊りきることができた。
挑戦を決めたのは、コンペまでの学びの場に参加して、クムのスタイルに少しでも近づきたい!と思ったから。
まだ出るレベルにないと判断されれば、それはそれで仕方のないことだし、挑戦しなければ学びの機会は得られない、と考えて出場したいと申し出たのだった。
練習は大変だった。ステップさえおぼつかない、身体の使い方も分かっていない私が先輩方の中に入って練習すれば、そりゃ足も引っ張るし課題だらけだ。
一朝一夕ではできない指摘事項の改善と、周囲と合わせることとの両立はなかなか困難だった。
さらにこの頃になると、仕事もやることが膨大になっていて、気苦労が絶えず、なんだか逆に今振り返ってもあんまり思い出せない…。
仕事がそんな状況だったから、普通に疲れているし、仕事もフラ関連なのでなかなか純粋にフラを楽しめなくて…旦那に弱音を吐いていた記憶がある。
と、自分的にはなかなかハードな道のりだったが、挑戦したことに一切の悔いはないし、結果的にはカヒコ1位・アウアナ2位・ワヒネ総合優勝という結果をいただいた。
そのおかげで、次の年、ハワイにも行くことができた!
ということで、2023年はここまで。
2024年 フラの道は始まったばかり…今自分にできる範囲で楽しむ
茅ヶ崎マカナの副賞として、「マカナフラハワイ」というイベントに参加して踊る権利をいただいた。
なんとか都合をつけて行ってきました、ハワイ!
あのイオラニ宮殿やロイヤルハワイアンで踊らせていただき、とても貴重な機会だった。
なによりハワイのハーラウで練習に参加できたことも自分にとってはすごくすごく貴重で、こんな機会をいただけたことに感謝でしかなかった。詳細は控えるが、大きな刺激をいただいた。
マカナフラハワイの様子がYouTubeにアップされていたので、記念に載せておく。
帰国後は、また一つずつベーシックを見直している。
もう本当にまだまだまだまだ…すぎるんだけど、レッスンでいただいた手がかりをもとに、「ああでもない、こうでもない」を繰り返している。
少しでもハーラウのスタイルに近づけたら良いな、と思いながら。
あと、2024年の途中ではあるものの、今年の感慨深かった出来事として、自分が関わったイベントで踊る経験をした。その記録は下記のnoteに書き留めた。
そんな感じで、2024年も半ばながら、新しい経験をさせてもらっている。
普段のレッスンや自主練では、熱く燃えるというよりは、今の自分にできる範囲で、少しずつ改善できるよう、楽しみながら頑張っている。
次の10年、どう過ごす?
改めて振り返ると、内外ともに様々な変化があった10年(実際は11年)だった。
きっと次の10年も、色々な変化が起きるんだろう。
「これからどんな風にフラと向き合っていきたいかな」と考えてみる。
低い目標に見えて実は難しいのが「続けること」。
その時々で大切にしたいことは変わり、時間の使い方も変わる。仕事、家庭、趣味…自分の状況だけじゃなく、周囲の状況にも左右されるし、まずは続けることが難しいけれど大切なことだと思っている。
フラを踊りたいという気持ちがある限り、踊り続けられたらいいな。
フラがある人生。
「何かを通して表現する手段」を自分の中に持っておくと、人生のあらゆる出来事が栄養になる。一見ネガティブに見える悔しさ、悲しさ、切なさ、怒り…そしてもちろん楽しさや充実感など、どんな感情や出来事も、自分の心を豊かにしてくれる。
多様な経験があるほどメレにうたわれている感情などとも自分の気持ちをリンクさせやすくなるし、「この辛さがいつか自分のフラに昇華される」と考えれば、ネガティブな気持ちや経験もいくらか和らぐし救いになる。
表現する方法はなんでもよくて、こうしてnoteを書くでもいいし、動画を撮るでもいいし、絵を描くでもいいし、楽器を演奏するでもいいし…。表現する手段を何か一つでも持っておくと自分の中にある何かが美しい形で外に出せるから、素敵だなと思う。
そんな風に、自分の毎日を大切にしながら、いろんな経験をして、少しずつ人に伝わるフラを踊れるようになるといいな。私にとってフラがある人生は、そんな生き方だ。まだまだ道のりは長い。
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