自分自身のいたわり方
最近何かと気力がなく家にこもっているわたしに、頻繁に「自分を許すこと」「自己受容をすること」「自分を愛すること」と言ったメッセージが舞い込んでくる。
(夫がそういう類のYouTubeを観せてきたり、友人に言われたり、自分で考える芯の問題はそこなのかなあ、と思ったり。)
で、とにかく環境が許されているのだから、こうなったら素直に自分をいたわろう、という気持ちに、やっとなってきたわけである。
やや!これがなかなか難しい。
まず、ゆっくりとお灸をする。
お腹が空いたら、丁寧においなりさんを作り、もふもふ味わいながら食べる。
うーん、なにもする気がしないなあ、ちょっくらナンプレでもするか。と横になりゲームを始める。
うん、きっとここまでは良かった。
しかしスマホの画面でナンプレに夢中になっているうちに、だんだん頭の中がうまく解けない数字で疲労していく。なのに意地になって辞められなくなってくる。
やや、くたびれたぞ。
時計をみるともう1時間以上経っている。
たっぷりと休むはずがさっきより疲れているぞ。
もはやなにもやる気がしない。
チーン。
いかんいかん、自分をいたわるんだった。
ちょっと寝るか。少し目を休めよう。
…眠くない。起きよう。
布団をたたむ。ミワちゃん、よく生きてる!良いんだよ、よくやってるよ!などと言ってみる。
よし、気を巡らそう。久々にピアノでも弾いてみるか。
一心不乱に『トルコ行進曲』を弾く。あまりの下手さに落ち込む。
途端に、ピアノの音を聞きつけた猫が、それこそ一心不乱に家中を走り始める。
ピアノに飛び乗ったと思えば自分の出した音にびっくりして飛び降りた猫は、先ほど重い腰を上げてわたしが畳んだ洗濯物を突散らかして、どこかへ行ってしまう。
チーン。
ピアノ、終了。
…。
そうだ、お風呂に入ろう。
うん、お風呂、良いんじゃないかな、うん、いたわりいたわり。
子どもたちの喧騒が始まる前に入ってしまおう。
温かいお風呂に、少しバスソルトも入れて。
…。
満喫しようと浸かりすぎてのぼせ、クラクラしながら風呂場を出る。
なんか、自分をいたわるって難しい!
いや、難しくないはずなのに、難しくなっちゃってる!
いたわることを頑張ってるって、なんか本末転倒!
というわけで、結局疲れてしまったいたわりへの努力だったが、こんな一歩からでもゆっくりとやっていこう。
でもなんだかんだ言って、そこそこ幸せな一日がこうして過ぎていっているんだな。
膝の上で寛ぐ猫がゴロゴロ言っているのが暖かくて嬉しい。
でもその下のわたしの脚は痺れているからちょっと苦しい。
このジレンマに問題点を見つけようとする癖が、頭の疲れを生むのだろう。
感覚は全部あって、全部感じて良いもので。
そこに優劣をつけたり、ひとつに絞らないとダメなんてことはなくて。
すべてを愛でよう。