飯山が嫌いな理由に「はっ」とした②
飯山に良いいイメージはやっぱり持っていない
でも離れられない自分がいる
それは
私自身がダメな人間で
何も一人じゃできないんだ
ここを出る勇気もないからだ
そう、ずっと思っていました
そして「近いから」を理由に逃げていたから
余計にダメな人間だ
と思っていました
でも最近いろんなことがありまして
点と点が線になって教えてくれました
まずはじめに気付いたのは
わたし本当に
「近いから」が理由でした
シンプルに本心でしたww
勝手に頭で意味付けしてただけでした
次に結果を言うと
私自体が飯山みたいなもんなんです
私、自分の事が嫌いなのでそれを
飯山という田舎に投影していたんです
自分の孤独感とか疎外感
人間の醜さ、自然のありがたさ
他とは別の存在でいたい
何にも無くて、何も持ち合わせていない
だけどなにもかもがそろっていて足りている
あっけらかんとしていて
気軽そうだけど
それとは裏腹に心は繊細で、
絶対に誰かを入れたくない
だからと言って、人と関わらないのではなくて
傷付くのは覚悟で、人間を味わいたい
だから合理的ではないと分かっていながら手は出してしまう
出していこう
だって「人を楽しみたい」から
既に満ちている
だから近くでいいは本心
離れなかったのは
足るを知り
ただ向き合う必要があったから
心が繊細なのは人の心を理解したいから
無頓着な私に不似合いなありがたいギフトだったことにも気づけた
そう思えればネガティブにも感謝だな
この二重人格みたいなのにも納得だな
飯山が好きではないくせに離れなかったのは
私に向き合えと、強くそれを意識させていてくれたに過ぎない
繰り返し見せてくれていたに過ぎない
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