統合失調症と、芸術の関係
統合失調症を患っている方にとって、「芸術」はとっても深い存在だ、と感じる方も多いのではないでしょうか?
統合失調症と芸術の関係を、自身の経験も踏まえて深堀りしてみたくなりました☺︎
よければお付き合いください。
小児喘息持ちの病弱な幼少期。
チラシの裏にイラストを描くようになる。
この頃は、まだ統合失調症は発症していませんでしたが、虚弱体質で小児喘息持ちでした。
(余談ですが統合失調症患者で、喘息持ちはよくあることだそうです。)
外で遊ぶとすぐに咳き込むので、室内にいたり入院することが多かった幼少期。
自然と、絵を描くようになりました。
幼少期の私に、絵がくれたもの。
出来上がった絵を見せると、普段は厳しい親や祖父母も、絵を褒めてくれることが多く、幼少期の私を救ってくれたのは、紛れもなく「絵」だったと思います。
空気や場を、和ませてくれた。
何もできない私に、一つだけできることをくれたような気持ちでした。
幼稚園の先生は、「神様がくれたプレゼント」と言葉をくれました。
身体が成長し、丈夫になった小学校中学年。
小学校中学年くらいになると、身体はどんどん丈夫になっていき、次第に外で遊ぶことが多くなり、絵を描く機会は減っていったように思います。
この頃だけは、何も薬を飲まなくても元気でした。
ただ、世間知らずなことが多すぎて、
周囲と一番衝突したのもこの頃かもしれません。
幼稚園の頃は、「ちょっと変わった子」で済んでいたのが、小学生くらいになると通用しなくなり、周りに合わせないといけない機会も増えます。
唯一、私を理解してもらえる部分のはずの「絵」も、この頃に向き合えなかったのも大きかったと思います。
中学時代、統合失調症発症をきっかけに、初恋とも呼べる音楽と出会う。
中学生で統合失調症を発症し、本や図鑑を読むことや絵を描くことがほぼできなくなりました。
布団にこもることしかできない中、音楽を聴くことだけはできました。
今まで絵を描いていたわりに芸術に疎すぎた私は、中学2年で「初恋」と呼べるような、大好きな音楽に出逢いました。
再び何もできなくなった私に、音楽がくれたもの。
統合失調症発症以降、なかなか絵を描ける体調には戻らない日々。
絵を描こうと机にじっと座ると、頭の中がぐるぐると巡る。余計なことまで巡る。
そのうちフラッシュバックしたり、イライラし出したりして、絵を描けるどころではなかった。
音楽は、そんな頭を駆け巡るものを、安定剤のようにごまかしてくれた。
一緒に暗い底まで落ちて、底で小さく光ってくれているようでした。
20代はじめの頃には、「音楽」というものに、どうやったら恩返しできるんだろう。どれだけのことをしたら、恩を返せるんだろう。という気持ちでいっぱいになっていました。
入退院を機に、憑き物が取れたように軽くなる。
そこで、もう一度「絵」と向き合う。
入退院を機に、引っかかっていたものが全部取れるような体験をし、体調も気分的にもガラッと回復しました。
統合失調症との付き合いで、体力は相変わらず全然ない日々でしたが、鍼灸治療の力なども借りて、少しずつ回復している途中です。
「もし、苦しみが取れたら何がしたいか?」
と聞かれたとしたら、これまで自分を救ってくれたもの(こと)に、一つ一つイラスト(絵)で恩返しをしていけたら、と思っています。
幼少期に支えてくれた、「絵」で。
小さい頃から大好きだった、動物達に。
持病を持ってからの人生を共に歩んでくれた「音楽」に。
感謝してもしきれないくらいに、
恩返ししたいものがたくさんあります。
統合失調症と、芸術の関係。
私が統合失調症を患ったことについては、
悔しいですが必然の出来事だったように思います。
(自らを罰するような意味合いではなく。)
ただ、私が幼少期の頃に出逢った「絵」との関係。
統合失調症発症後に「音楽」と出逢ったこと。
これもなんだか運命的のような、必然と出逢ったような気がします。
絵を描いている時は、苦しかったり楽しかったり、
時々嫌になったり、逃げたくなったり放っておきたくなったり、けど切っても切れなくて、例えるなら一人の人間と向き合ってるみたいです。
音楽は、ただ、憧れの存在で、自分には出来なくて、楽器を演奏するのも歌うのも、作るのも無理で、ただ、遠い憧れの、よく分かってすらいないのに尊敬するような存在。それでも、聴いていたいし、一緒にいたいような。
これからも、絵と音楽に繋がっていたいな、と思う。
感謝はしきれないから、伝えていきたいなと思う。
皆さんにとっての「芸術」とはどんな繋がりでしょうか?
周りの人に、またゆっくりじっくりと聞いてみたくなりました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました☺︎
ponogarden