乙女ゲームのキャラクターのガチ恋として生きるって難しいんだなあ
こんにちは、ぽんももたろうです。
私は低月給で働き、ぬいぐるみと同居する独身女性です。
このぬいぐるみは所謂キャラクターグッズとして販売されていたものであり、モチーフとなったキャラクターはゲームソフト「ときめきメモリアルGirl's side 4th Heart」(以降GS4と略します)の本多行くんです。ぬいぐるみの事は親しみを込めて「いく」と呼んでいます。
私は本多行くんのガチ恋ファン(ファン?)としてぬいぐるみを購入し楽しく生活を共にしているということになります。
ガチ恋とはそもそも何なのでしょう。
宮崎(2020)によれば、ガチ恋とは推し(イチオシメンバー、転じて最も評価したい・応援したい対象)に対して恋愛的な気持ちを向けていること、とされています。
私はGS4キャラクターの中で確かに本多くん推しであり、ゲームプレイ中に図1のような発言をしていることから恋愛的な感情を向けていることは明白で「ぽんももたろうは、本多行のガチ恋である」というのは確かな真実であるはずです。
ガチ恋道は、茨の道です。「推し」という言葉がそもそも評価したい、応援したい対象という意味であるのならば、推しというものは手の届く存在ではないという意味を内包していることになります。手の届かない対象への恋というものは、どのような結末を迎えるにしても茨の道であるというのは確かでしょう。推しが三次元だろうが、二次元だろうが、そんなことは関係ありません。ガチ恋の行く道は茨のデスロード、この前提の下に生きている方は私のほかにもきっといるでしょう。
しかしこのGS4というゲームは学園恋愛シミュレーションゲームであり、キャラクターに対して恋愛感情を抱くことをある程度許された環境であるというのも確かなのです。
大手を振って「私は本多行くんのことマジで恋愛的な意味で好きなんです!」と言ってもOK。この発言自体が一般的にイタイと断ずることができる発言だとしても、本来の楽しみ方をしてない!と怒られることはありません。むしろ作品ファンとしてはゲームの設計通りに楽しんでいると言えるでしょう。
本多行くんはゲーム内でプレイヤーが操作する主人公と恋愛的に結ばれることができるわけです。
それについて私は最初、「本多くんと思いが通じるなんて最高だなあ~」と思っていました。そして根本的にこの考えは全く間違っていないものであるとも理解しています。
その上で、こじらせたガチ恋として、ゲームという原点内で「主人公と結ばれたら、私とは結ばれないじゃん」という矛盾を抱えることになったのです。
意味が分からない方もいらっしゃる事と思います。
「いや、プレイヤーと本多くんは結ばれるんだよね?それって恋が叶ったってことじゃない?ガチ恋大勝利じゃない?」
そんな声が聞こえる気がする……気がする……。
恋愛シミュレーションゲームをプレイされたことがある方はご存じでしょうが、プレイヤーが操作する主人公にはデザインされた容姿があり個性のある主人公と、作品で没入しやすいように容姿・性格などを控除できる限りしている無個性主人公という大まかな2パターンがあります。
GS4の主人公は様々な意見があるとは思いますが、基本的には無個性に近づけようとしてくれているのでは?と感じています。デフォルトネームはなく、作中友人から呼ばれるあだ名という形で作品のプレイヤー間共通認識が図れる呼び名をつけてくれています。ゲームイベントのスチルも基本的には主人公が写りこまないような角度で書かれているものが多いです。
しかし、作品を作る上でキャラクターと主人公は会話するためある程度口調や性格の癖は現れますし、主人公にはデフォルメされているものの容姿が存在します。ここで少しずつ、こじれガチ恋の私の表情が曇り始めます。
そしてキャラクターが言う「可愛い」という言葉。誰だって好きな人を可愛いと思うなんてことはあるでしょう。でも、このゲームにはわかりやすく関係性を表すバロメーターがあり、それが友人同士のような間柄であっても「可愛い」とキャラクターから褒められることがあります。
これは普通嬉しいはずです、好きな人から可愛いって言われたら嬉しいだろうな~と思うから「可愛い」と彼が言ってるのも分かります。でも、「親以外からみたら可愛くないニンゲン」として生きてきたオタクがその言葉をただの友達から言われるわけはないのです。ここでまた、こじれガチ恋の私が項垂れていきます。
そうです、本多くんって私に語り掛けているわけじゃないんです、私に恋してくれたわけじゃないんです。そんなの分かってるんですけど、GS4というゲームが最高で、プレイヤーたる私を上手に没入させてくれているからこそ、ふと立ち返ったときに「あれ、この言葉って私じゃなくって主人公に言ってるんだ」と思ってしまう自分がいます。
これならいっそ、恋愛をしている姿が見れないキャラクターや存在を好きになればガチ恋として幸せだったのでは?と思ってしまうこともしばしば。こんな恵まれた環境にいながら、何を……と思いつつも、こじれた恋心の暴走は止められません。
本多くんは恋愛ゲームのキャラクターとして、主人公(プレイヤー)を真摯に好きになってくれたのにこんなことを思う自分が嫌になることもあります。そして最近悪化しているこの感情のせいか、本多くんと主人公(これはキャラクターとしての主人公を描いているひともいるとは思うけれど、プレイヤーとしての主人公を描いている人もいるとは思います)のカップリングのイラスト・小説を他の方が作ったものは見たり読んだりは楽しめるものの、創作者として自分で作る・描くことができなくなってしまいました。ヤバいぜ。
私はどこに向かってんだろうね。とぬいぐるみのいくに語り掛けつつ、頭の中で自分だけの本多くんとの恋を思い描きます。それだけが自分に許されたガチ恋としての生き方なのかもしれません。
引用文献:宮﨑恵実.(2020).オタクはなぜ貢ぐのか : 「推し」にかかわる消費行動の合理化に着目して.筑波大学修士(図書館情報学)学位論文