【短編小説】少なくともあなたよりは
X国の木彫り人形は伝統工芸品として国内外から非常に人気のある芸術品である。その木彫り人形職人のN氏のところに、一人の青年が弟子入りした。
昔ながらの職人気質であるN氏は青年にも容赦しなかった。「技術は盗んで身につけるもの、見て学べ」の一点張りで、弟子が間違ったノミの持ち方をしていても、叱るだけで正しい手法を教えたりはしない。
「俺が弟子だった頃には、お前みたいな奴はぶん殴られていたよ。根性のない連中はそれで辞めていった」
さあ、この青年はどうかなとN氏は期待の眼差しを向ける。厳しい伝統工芸の世界では、軟弱者は耐えられない。この愛の鞭を乗り越えた先で、青年には開花してもらいたいものだ。
N氏の期待通り、青年は怒声にも罵倒にも負けず黙々と技術を磨き続けた。
青年がN氏に弟子入りして五年程経った頃のことだ。
「師匠、そろそろ盗むものがありません」
青年がそんなことを言い出したので、N氏は目を丸くした。そしてじわじわと怒りに顔を歪ませた。
「盗むものがないとはなんだ、その考え方は傲慢だぞ」
「いえ、実際その通りなんです」
青年は材料の木材を手に取って、さくさくと木を掘り始めた。その技術は確かに一流のもので、N氏は舌を巻いた。
「師匠の言う通り、師匠の技術を全部盗みました。僕は次の大会に作品を出品しようと思います」
「勝手にしろ」
N氏は「ふん」と鼻を鳴らした。なんとも生意気で、かわいげの無い弟子だ。根性はあっても他の部分がダメだったようである。
しかしその大会で、青年が制作した木彫り人形は高く評価された。青年の作品は近代美術の傾向も取り入れたモダンなもので、革新的ではあるものの、伝統にどっしりと足をつけている。その斬新さが評価された。
N氏は自分の弟子の受賞を嬉しく思う一方、悔しさを覚えたのも事実である。
桜がもうじき咲こうとしている日のことだった。
「師匠、僕はそろそろ独立しようと思います」
N氏は思わず手にしていた仕事道具を取り落としそうになった。
「何を言う、お前はまだまだ未熟だ」
「お言葉ですが、僕の作品はいくつも名誉ある賞を受賞しています。師匠から盗む技もありません。これから独立して木彫り人形職人として生きていこうと思います」
本当なら、ここで弟子の成長を喜ぶのが師匠というものであろう。しかし、N氏にとってこの弟子はかわいげがなかった。もう少し謙虚で、師匠を立てるような……そういった行動を、この弟子はしなかったのだ。
勝手にしろ、とN氏は吐き捨てた。弟子は一度頭を下げて、その月の末日にこの工房を去った。
独立した弟子の作品は国内外で異様なほど評価された。彼の元には大勢の弟子が集まり、ニュースでは懇切丁寧に技術を教える弟子の映像がひっきりなしに流れていた。N氏はそれを見てまた不愉快になった。一挙一動を指示して教えるなど職人の世界にはあってはならないことだ。木彫りの技術は盗めても、指導の技術は盗めなかったらしい。
N氏の元にも「あの木彫り人形職人を育てた師匠」という名目でインタビューが来るようになった。どれもこれも話題のメインではなく、「有名職人の師匠に話を聞いてみた」という極々一部の構成材料である。
ある日のインタビューでも、N氏は同じように記者の質問に答えていた。記者が「お弟子さんの実力をどう思いますか」と尋ねてきたので、N氏はわははと笑いながら答えた。
「職人としての価値は私の方が格段に上のハズですがね」
そんなN氏に、記者も笑いながら答えた。
「確かに、技術においてはまだまだ荒削りなところは見られます。ですが……少なくとも、あなたよりは……」