角田光代『東京ゲストハウス』 人生は旅だ、という言葉がある。 生まれ落ちたときから人は皆、一枚ずつの片道切符を持っている。使用期限は一生で、どこで降りても、どこまで行っても、ルートも、買うお土産物みんなみんな自由。旅の仲間は風まかせ。 そんな自由な片道旅行が一生らしい。 角田光代は旅人だ。 彼女の本の登場人物は本当にリアルだ。ふと横を見ればテーブルを囲んで彼らが食事をしていそうだし、隣町に行けばあっさり会える気がする。でもきっと、ずっと一緒にはいられないのだろうこと
クロード・モルガン『人間のしるし』 夢を語るなら英語で。 愛を語るならフランス語で。 学を語るならドイツ語で。 そんな文句が生まれるほどに、言語にはそれぞれ特質があって、適した思考が存在するらしい。 それならば是非、原書で読みたいものだと辞書のホコリを払って本書を開き、「ラテン語は全て派生語だから、英文法さえしっかりさせれば辞書を片手にスラスラ読める」なんて私を唆した友人を、何度も心の中で呪った。一行ごとに紅茶をすすり、時には行間すら睨んで、のろのろと何とも頼りない足取り
さくらももこ『もものかんづめ』 テレビアニメを見ていても、飾り気の無い人だなと思うけれど、エッセイではそれ以上に等身大で親しみやすい。 次々に遭遇するトラブルに全身全霊で立ち向かう、なんてコミックみたいな人はいなくて、困難を困難のまま、のらりくらりと受け流しているようだ。 子供らしい好奇心にかられて、単純な小道具を高値で買ってしまったり、自ら溜め込んだ宿題を家族に、偉そうに分配したり。全部が自分の経験ではないのになぜか『わかる』話の数々。 周りのみんなが自分では考え付か
角田光代 『愛してるなんてゆうわけないだろ』 恋の勝ち負けを考え出した時点で、その人はもう取り返せないくらいに負けているんだろう。恋は綱引きに似ている。どうしても相手の気持ちを引き出したくて、力任せになってしまって、そのうちに力を込めることが目的になっていたりして。 不意に手を離されて 絶望するんだ。 エッセイのラストにその時々の自分が、言葉の中で生きていて、ひょっとしたら10年前の私も、今の私とは違うどこかで生きているのかも知れないと綴られていた。 私はどうだろう?
佐藤晃子 『源氏物語解剖図鑑』 思い出を美化してはクヨクヨしてしまうことに定評のある私には「回顧厨」なんて不名誉な二つ名がある。 回顧厨。正直初めて聞いた言葉であるが、恐らく褒め言葉ではないのだろうと思い検索出来ないでいる。字面だけを追って想像するに昔懐かしさを好む人のように思う。しかしながら私は古典嗜みがない。そんな体たらくで回顧厨を名乗って良いものか!否!全くの否である! そこで私は思いつく。 「源氏物語読もう!」 そして同時に思う。 「古典なんて大学入試以来だぞ
綿矢りさ 『インストール 』 まだ17歳って気持ちと、もう17歳って気持ちが交錯する。ヒロインのそんなモノローグが、この本の主題だろう。優等生の人生を歩んできた人ほど、高三の春は息苦しい。学校行事を先導していたような、キラキラした人達が知らないうちに此方側に来て何でもない風に私を追い抜いていく。 この子達と同じ結果にしかならなかったら、いやいやもっともっと惨めな結末を迎えるんじゃないか。無機質な模試の結果に唇を噛む。 ヒロインが取り組むエロチャットはあくまでツールの一つ
頑張れないこと、に対する必要以上の劣等感に襲われて苦しい日々の中、ひなちゃんの自語り動画に救われていました。周りの人間も、画面越しに垣間見る人間も、みんなみんな当たり前にできることが、私には努力をしないとできないもので。弱音というものは、当たり前のことが当たり前にできる人にしか許されない言葉なんだと思っていました。欠陥品の私は人の何倍も、何十倍も、アップデートを繰り返さなければ人並みになれないから。みんなの必死には到底敵わないような稚拙で矮小な成果を誇ってはいけないのだろう。