後世に残すのは知識ではない、感動なんだ。
この数年間、いろんなことを学んできた。
健康、お金、歴史、仕事、文化、宇宙、人間、自分。
興味や趣味嗜好がけっこう移り変わるから幅広く学んでるんだけど、なんだかね、行きつく先は案外どれも似通ってて、案外どれも繋がっている。
てことに気づいてきて、へー!!って思った。
この世の中、自分、人間、地球、宇宙、は自然の摂理で成り立っているんだって。
これに気づいてから、この世の中がすごく生きやすくなったんだ。
世の中の仕組みや人間関係に翻弄され振り回されていたころとは大違い。
とはいっても僕はまだ人だから、次なる課題に直面しては逃げ惑ったりもがき苦しんではいるけれど。
そんな僕も気づけばもう27歳。いつまでもフラフラはしていられない。
何かしなきゃ。とは思うけれど、
「じゃあこれまで学んだことを整理して何か世に出そうか」
というのも(今は)気乗りしない。
でも少なからず焦りはあって、じゃあどうしよう?って考えたときに出会ったのが、
「感動を残す」
っていう考え。
とある漫画からヒントをもらって「この考え素敵だな」「自分もこんな生き方真似てみようかな」って思ったのがきっかけなんだけどね。
自分で学び自分で体感することしか能のなかった僕は、最初この意味がよくわからなかった。(どこまでも自分本位だ笑)
でも「感動を残そうとする姿勢」を徐々に噛み砕いて、僕自身成長してくると、後世に残そうとしている人たちの気持ちがやっとわかってきた。
自分がちっぽけだから。
1人じゃ何もできないから。
でもその1人が何かのきっかけになり得るから。
時を経て評価される画家がいるように。
当時は嘲笑された研究が実は真理だったということがあるように。
自分の成果を残せさえすれば、誰かが掘り出してくれたりする。
自分じゃ成し得なくても、誰かに託せば紡いでくれたりする。
でももしその成果を情報として残せなかったら。
そしたら「感動」を残せばいい。
その感動に共鳴し、その意志は引き継がれる。
誰かが完成させてくれる。
これからは、それぞれがそれぞれの生き方を構築していく時代。
だからこそこれまでのような、「〇〇がいい」というある意味で絶対的・普遍的なものではなく、それぞれが模索してそれぞれの答えを見つけていかなければならない。
そう言った意味でも、「感動を残す」ことには大きな価値がある。
人は大いなる流れの1つに過ぎないが、その1つ1つが大いなる流れを構築している。
ただ手を取り合うだけではなく、世代を超えたワンネスなのだ。
これまで僕の中では平面だった世界が、奥行きのある世界に変わった瞬間。
この歳でこんなこと考えてるのもどうかと思うけれど、今のところ「経営者になって社会動かす」みたいな使命感はないから、こんな考えに至りました。
そういえば、この記事でもっと僕が覚えた感動を書こうと思ったけど、なんか違う方向に行ったし、書こうと思ってもうまく言語化できそうにないからまたお預けだ。(笑)
そしてこの文章を書いていて、実は複数の漫画の影響を受けているんだと知った(笑)