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手放し -8月8日の今日に思うこと-
今日この日のことを、スピリチュアル界隈では「ライオンズゲート」と呼ぶようだ。
宇宙エネルギーが最大になる日。
厳密には8月8日に最大となるため、ライオンズゲートが開いているのは前後の1~2週間くらいだろうか。
(詳しい人がいたらぜひ教えてください)
宇宙エネルギーって何ぞやって感じだけど、僕は「地球次元よりも高い波動のエネルギー」だと思っている。
次元の話をすると長くなるから簡単にだけ説明すると、
この地球は3次元空間であり、我々地球人はその3次元空間に依存した性質を持っている。
感情の波に大きく左右されたり、「愛」が肉体(セックス)やお金といった欲望と強く結びついていたり。
極論を言うと、「人は感覚的に生きればいい」というのが僕の持論なのだが、お金のために仕事を「しなければ」いけなかったり、ソーシャルな人付き合いを「しなければ」いけなかったり。
要は感覚よりも思考(損得)ベースの行動が地球的な波動であると僕は認識している。
つまり宇宙エネルギーはその逆なわけだ。
僕自身の性質についてはどちらかというと宇宙的だと思っている。
それこそ多くの人が重きを置いている価値観、例えば仕事や結婚や人付き合いに対しての地球的な価値観をよく理解(共感)できない。
先日投資詐欺に逢ったのもそれが理由の1つであろう。
(この件の話は詳しくはまたいつかするとして)
しかしながら僕は28年間地球で生きてきたわけで、学校やら社会やらに適応するために、地球的な感覚に染まってしまった部分も当然ある。
それが執着心だ。
僕は基本的に執着性は生きる上で邪魔なものだと思っている。
失ったものを取り戻そうとしてもそれは大概返ってこないし、返ってきたとしても、その欲のために取り戻したそれには、ただただ虚しさが投影される。
それを失った(それが逃げて行った)理由は必ずあって、そんな自分の愚かな部分を見ずに、失ったものを追うというのは愚行ではないだろうか。
僕は失ったものに執着心を抱き、言うなればそれに紐を括り付け手綱を握っている状態だった。
どこにも行かせないぞ。自分がコントロールしてやるぞ。
実はさっき仕事を終えて自転車を漕ぎながらそんな執着心に気付き、この心境を記事にしなければと思い今文章を綴っている。
英語には「~させる」という意味を持つ「使役動詞」というものがある。
代表的なものは let と make だろう。
"let go" も "make go" もどちらも「行かせる」という意味になるのだが、let は「したいようにさせてあげる」というニュアンスがあり、make には強制感がある。
自転車を漕ぎながらこれが頭をよぎった。
僕は「それ」を make していたなと。
本当は「それ」は go したいのに、僕が go させたくなくて、常に手綱を握っていた。
でもその事実を認識しその愚かさに気付いたその時、手綱を let it go するイメージをしたら、心がふっと軽くなったのね。
正直この8月8日という日に、特別な予定も何もなく普通に仕事をしているこの事実が少し悔しかった。
だって自分は特別だと思いたいから。
特別な日に特別なことが起こるというのは、どこか「自分は選ばれた人間」そして「自分はちゃんと流れに乗っている」感がある。
しかし自分は決してそうではないという現実を突きつけられ、内心焦りを覚えた。
特別であろうと現実を捻じ曲げ、特別だと思い込みたい自分がそこにはいた。
これも僕の執着心。
僕が不幸感を抱いているのは、僕が不幸だからではなく、理想に生きてしまい現実の世界に不足感を抱いてしまっているから。
「あれが欲しい」「これが欲しい」「あれが無くなっちゃ嫌だ」
こんな自分の心に気付けたのも、今日という日のお陰なのかもしれない。
ライオンズゲートは普通の日常だったけど、でもちょっとだけいい日でもあったようだ。
良かった。僕は特別だった。
そう感じて安堵する自分がまだここにいる。