ソーシャルワーカーになろう!②
第1章こぼれ話 その1
社会福祉士とソーシャルワーカーの関係
『社会福祉士になろう!』のなかで、もっとも読みにくいのは第1章かもしれません。
社会福祉士がどのような役割を担うのかを説明する前に、その位置づけを理解してもらう必要があると考えて、第1章では法律的な位置づけや歴史、基盤となる理念について書いているからです。
(心なしか漢字も多い!)
社会福祉士は法律によって定められている資格ですが、法律に位置づけられる以前から、その前身となる活動はありました。
それが「ソーシャルワーカー」です。
ソーシャルワーカーは、100年ほど前にアメリカで基礎がつくられ、その考え方が日本に持ち込まれました。
それを資格化したのが社会福祉士です。
その社会福祉士が、ソーシャルワークの機能を発揮することが期待されているのが近年の状況です※1。
期待されているということは、機能の発揮が十分ではないということの裏返しでもあります。
(前回も書きましたが、社会福祉士のすべてがソーシャルワーカーとして活躍できているわけではないのです)
なぜソーシャル・ウェルフェア・ワーカーではないのか?
本を書く前、私には気になっていたことがありました。
それは、日本では社会福祉士という名称なのに、どうして英名ではソーシャルワーカーなのかということです。
社会福祉を英訳するとSocial Welfare(ソーシャル・ウェルフェア)になるのに、社会福祉士を英訳するとSocial Worker(ソーシャルワーカー)。
福祉を意味するWelfare(ウェルフェア)はどこにいってしまったのだろう、と。
(実際は、ソーシャルワーカーを邦訳して社会福祉士になったので疑問の持ち方としては順番が逆だったのですが)
私が社会福祉士のことを知ったのは、福祉系の大学に入学を検討していた高校3年生のときでした。
「そういう資格があるなら取得しないといけないな」と漠然と思いながら、大学に入学したことを覚えています。
ソーシャルワーカーという言葉を聞いたのは大学の授業だったと思いますが、そのときは社会福祉士とソーシャルワーカーの関係について気にもしていませんでした。
それからときが過ぎ、社会福祉士としての実務をこなす毎日が続きましたが、行政職員になり立場が変わった頃から、あらためて社会福祉士について考えるようになったのだと思います。
私は社会福祉士ではあるけれど、ソーシャルワーカーだといえるのだろうか。
自分自身の社会福祉士/ソーシャルワーカーとしてのアイデンティティについて関心をもっていた時期に、市野川容孝さんの『社会』という本に出合いました。
この本は、日本では政治的な言葉としての「社会」が急速に衰退している現状を見つめ直すところからはじまります※2。
そして、欧米の状況と照らし合わせながら、日本では「social(社会的)」という言葉がどのように受け止められてきたのかを紐解いています。
それを表す興味深いエピソードが『社会』のなかで紹介されています。
1938年1月に内務省から分離された「社会局」と「衛生局」を統合して「厚生省」が設置されましたが、当初の案として「社会保健省」や「保健社会省」が提案されていました。
しかし、1928年には治安維持法により約1600人の社会主義者が検挙されるなど、「社会」という言葉が警戒されている時期だったこともあり、国民にとってなじみのない「厚生省」という名前になったというのです※3。
拙著のなかでも紹介しましたが、ドイツやフランスでは「社会的な国家」は「福祉国家」を意味しており、そもそも「社会的」という言葉には、「福祉的」という意味が含まれています。
それに対し、日本では「社会」という言葉が避けられた経過もあり、すぐに「福祉」に結びつかなくなってしまいました。
そういうこともあり、ソーシャルワーカーを邦訳するときに「社会福祉士」になったのでしょう。
第1章では、「社会」という言葉に注目したながれで、社会的包摂や地域共生社会という現代において目指されている社会のあり方についても紹介しています。
次回は、第1章の最後に紹介している「社会モデル」について書ききれなかったことについて書きたいと思います。
※1 社会保障審議会福祉部会福祉人材確保専門委員会『ソーシャルワーク専門職である社会福祉士に求められる役割等について』2020年
※2 自社さ連立政権を組んだときの日本社会党には100人を超える国会議員が所属していましたが、2024年10月24日現在では社会民主党所属の国会議員は3人にまで減っています
※3 市野川容孝『社会』岩波書店,2006年,194~196ページ