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何も叶ってない34歳の新しい夢

今回の記事は『#想像していなかった未来』の企画に便乗しての投稿なので、アロマンティックやアセクシャルに関する内容ではありません。
私の今までの人生についての記事なので興味のある方のみどうぞ。
 
まず私の経歴をすごく端折ってまとめると、大学卒業後に美容師アシスタントになり、倉庫バイトを経て今は会社員をしながら不動産鑑定士を目指し試験合格に向けて勉強中だ。
私自身も全く想像していなかった未来。
なぜこんなことになっているのか。
大学以降の私の人生をまとめていくので気になるタイトルの部分、または最後だけでも是非読んでほしい。
この記事を読んで、特に同世代や私より若い人たちに夢や目標は何度も新しく設定できるのだと、とりあえずやってみることで開ける道があったりするのだと思ってもらいたい。


英語大好き学生時代

子供の頃から英語やその他の外国語に興味津々だったため、その延長で外語大に進学。
実践の多い授業のおかげで英語話せる?と聞かれたら話せる!と答えられるくらいにはなることができた。
普通ならこれが人生の方向性となり、語学を生かした就職先に決めることを目指しただろう。
しかしあろうことか、就職せずに美容の専門学校に入学したのであった。

なぜ美容師?

なぜこんな選択をしたのか。
これには大学生活の中で人生観の変化があったためだ。
本筋と関係無いのでまた端折るが、一瞬できた彼氏との交際がとても煩わしかったことが大きい。
その人がどうというより、交際するということ自体の負担が莫大だった。
誰かと結婚する未来が描けなくなるほどに。
いや今までも結婚願望などほぼ無かったのだけど。
1人で生きていこう!→手に職が欲しい→英語話せて髪切れたらどこででも稼げるのでは?という発想である。
元々美容学校と迷って大学に行ったこともあり、こうして結局再度学校に通う運びとなった。
もちろん親には反対されたが、学費の安い夜間クラスのある学校を探しバイト代で払いきる算段を立て、反対する理由を潰し有無を言わさず強行。
結局学費を工面してくれたので感謝している。
夜間のクラスは人数が少なく最終的に7人ほどになり、行事への参加が消極的でも許されたため伸び伸びと過ごすことが出来た。
順調に試験を突破し卒業。
就職も売り手市場だったため実家から近くいい感じの(に見えた)店に決まった。

地獄のカルト美容室

さぁ地獄の始まりです。
今思うとここで美容師人生ほぼ詰みだった。
ここで1日の美容室でのスケジュールをまとめるとこう。

8時  出勤
(開店準備や掃除)
10時 開店
(ほぼ店の外で呼び込み、たまにシャンプーなどアシスタント業務)
20時 閉店
(ここから2時間ほど掃除、日報を毎日手書きで書かされる)
23時代 終電なので仕方なく帰宅を許される

はい、極ブラック。
しかもサクッと洗脳されなんと4年近くも働いてしまった。
人生最大のロス!!
シャンプーしてる時間より掃除と呼び込みのが長いってなんなんだ。
しかもなんと店での練習、モデルを呼ぶことは禁止。
ここで補足すると、通常数十人から100人以上モデルの施術をしてから各技術(カラー、パーマなど)の試験を経てスタイリストとなり客の主担当として店に立つ。
それなのにその店ではよく分からん短いカリキュラムに受かったら入客してしまえ、という力技でみんなスタイリストデビューしていた。
それもオーナーの気分でデビューのタイミングが決まるらしく私にはそんな話来ずに終わった。
店のミスで私がアメリカ出禁になったり色々あり、早く帰れる店舗に異動になって冷静になった私はようやく退職願を書いた。

なぜか香港へ

半年ほど激務の疲れを癒しつつ就活し、表参道の某美容室に再就職が決まる。その時点で29歳。
ただそんな激戦区のそこそこ有名店に年増アシスタントが採用されたのには訳がある。
「最初の6ヶ月、香港行けますか?」
これに二つ返事ではいと答えたからだ。
現地での生活はとても楽しく、香港店の店長、スタイリストの先輩やレセプション皆が良くしてくれ面倒を見てくれた。
アシスタントとして未熟すぎて使いずらかっただろうに。
けっこう英語が通じたため言葉もあまり不自由はしなかった。
今まで働いた中で唯一現地に行くことがあれば差し入れ持って顔を出したいと思う職場かもしれない。
帰国後実家を出た私は表参道の店舗で働く予定だったのだが、なんと2週間で辞めた。
優秀なアシスタントが大勢いてピリついた雰囲気に耐えられなかったからだ。
そしてその次に入った同じく表参道エリアの店は陰湿な嫌がらせの上3ヶ月でクビになった。
美容室という空間自体が苦手になり今もQBハウスで髪を切っている有様だ。

人間嫌いが加速し倉庫にこもる

まさか実家を出て3ヶ月でクビになるとは。
とりあえず人と話したくなくて某王手通販サイトの倉庫でのバイトを始めた。
これが、楽!!
バイトも合わせた今までの仕事で1番楽!!
慣れてきて手際よくなってくるとこんなことで?ということで褒めてもらえたりした。
商品を読み込み梱包、ラベルを貼って流すだけの仕事。
たまに現場の管理者と話すのみで黙々と作業。
心は1日穏やか。
残業は無し。
週4日しか出勤しない。
社食は安くてうまい。
居心地が良過ぎてそのまま1年が過ぎた。

社員に昇格

楽だがこのままではいけないと思っていた。
仕事もある日から更なる生産性アップを求められるあまり嫌になった。
いくら出来が良くても時給上がらないのにすげぇうるさい。
派遣会社からの派遣という形で通っていたため、担当者にその旨を連絡したところ社員になる話をもらえて今に至る。
その担当と同じく派遣元会社の営業の仕事に就くことになる。
無遅刻無欠勤で通っててよかった。
学生の頃からの唯一の取り柄で命が繋がった瞬間である。
ではここからなぜ不動産鑑定士を目指すに至ったのか。
この後引っ越した時に転機が訪れたためだ。

未知の資格との出会い

業種的には営業。色んな場所に行くことを考慮し、アクセスのいい駅の近くに引っ越すことを決めた。
もちろん休みの日に鍵の受け取りに行ったのだが、連絡が来ればパソコンを開き対応しなければいけなかったためその時も説明の途中ですみません、とパソコンを開いた。
それを見た物件管理者の方が、「ぽにおさん、パソコンでお仕事されてるんですね。結構使えるほうですか?」と。
入力と簡単な操作くらいですが、と答えると、
「それなら充分です。ちょっとした事務のお仕事してみませんか?」
そう声をかけてくれた管理者の方が不動産鑑定士であり、後に資格取得を勧めてくれたのである。
ここで補足すると、不動産鑑定士とは簡単に言えば土地の価格を公正に鑑定するプロのこと。
取引するにあたって付けられた価格が適正化どうかを土地の立地や状態、広さなど様々な要素から判断する仕事である。
月に多くても2、3日の補助業務を任せてもらううちに面白くなってきて、現在某通信教育を受講し来年5月の試験を目指して勉強している。
年収アップが見込めるとの事で楽しみだ。

そして現在

やりたいことを全て限界までやり切り、
正直何も達成していない人生だけれど考えようによってはこれ以上幸せな人生は無いかもしれない。
今は資格取得の目標に向けて勉強し、年収を上げローンを組みマンションを買うことを夢見ている。
チャンスがあればアパートのオーナーになってみたいといううっすらとした夢もある。
現在34歳。夢ってまだまだ見られるし見つかるものだということが分かった。
ただ、黙って口を開けていても私が出逢った様々な転機は訪れなかった。
もし大学を出た後専門学校に行かなかったら?
最初の美容室を辞めなかったら?
香港に行ってみなかったら?
倉庫作業に応募しなかったら?
会社員になった時引越しをしていなかったら?
今の私はいなかっただろう。
学生の時などは特に、決めた夢を追い続けることが美徳という教育がされがちだがそんなことはない。
もちろんそれが実現するのは素晴らしいし漫画の主人公のように一貫性があるが、そんな人生を送っている人なんて思うよりずっと少ない。
では最初の夢や目標が叶わなくなった時どうするのか。
とにかく手が届くものをまず手当たり次第かじってみるのが良いのではないだろうか。
それが当たりでもハズレでも、エネルギーがあるうちに現状を脱することが何より大事だと私は今実感している。

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