天についての説明
「拳を軽く握って、手で筒を作ります。筒の片穴を、もう片手で塞ぎ、開いた片方の穴を片目で覗きますと、少しの暗闇ができるでしょう。人肌の温度にできた暗がりに見えるのは、手のひらの皺です。さて、ひとつずつ見てみましょう。左手に見えます皺は、花見川です。春になると、桜が川沿いに咲き誇り、散った花びらは川へと、はらり。どんぶらこ、どんぶらこ、と桃色の川を作るのです。その流れるような筆跡は、さながら、空への恋文とでも、言えましょうか?さて、それから右へ少し視線をずらしていきますと、花見川へと寄り添うように流れる川、アマゾン川でございます。とは言っても、あのアマゾン川とはわけが違いますよ、はは。そこに水は、ほんの一滴も流れておりません。少しくぼんだ溝があるだけです。かつてはそこへ、世界中のどこより豊かな生態系が広がっておりました。木が生い茂り、虫が舞い、動物たちは日々の幸せを噛み締めておりました。ところが、ある時から、死の川と呼ばれるようになってしまったのです。地表のあらゆる中でも莫大な自然の力をもっている川にすら、分解できなかった。水面には薬物やら油やらが漂い、水中は濁り、ヘドロ、ドロ。自然が秘める力は無限大のものですが、それを持ってしても、速度が足りなかったのです。大きい物は、速さというものにどうも弱いのです。その時も、あと数万年有れば事足りたのですが…。ともあれ、一時期は、とても生物が生きていられるような状態ではありませんでした。それをご覧になった神様は、少しばかり悲しげな表情をなさったようでした。一つ、ふう、と息を吐くと、人差し指を地上へすっと、お入れになったのです。すると、アマゾン川の底へ、小一時間ほど、穴を開けたのです。いや、穴を開けたというより、栓をポッと開けたようです。そこには、それはそれは大きな大きな穴が現れ、あっという間に不自然な液体は吸い込まれていきました。残ったのは土と空気のみ。川の中で辛うじて生き残った生物は、全てが存る美しい天国の川へと映されました。豊かな緑が広がり、動物達は美味しい水の中で泳ぎ、飢餓に苦しむこともなくなりました。全てがあり、何もない故郷。原天の川、それこそ天の川でした。右手をご覧下さい。アマゾン川から遠く離れた、最右端にございます、大きな皺。天の川でございます。あの川の長さは、神の寿命だとも呼ばれております。あの川に水が流れる限り、地球は回り続けるでしょう。…あれれ、そうですよ。神様にももちろん、死がございますよ。はは。失敬、あまりに皆様、呆けた顔をしていましたから、笑ってしまいました。神様も、いつかあなたたちと同じように、身体を保っていられなくなるのですよ。そう、天の川すら、引いてしまう時があるのです。それは、またヒトがその穢れた手で、飲み、食い、悪ふざけをしすぎた時でしょうね、なんて。話はつきませんが、ひとまず、手のひら望遠鏡の話は置いておきましょう。次に見ていただきたいのは…」
ここまでいうと、白衣のような衣類を着た男は、ボールを出してきた。メタリックに光るピンクのボール。男が目の前の机に置くと、少し動いた。
「ご覧の通り、こちらの球体は、とっても軽い物でございます。このピンク、可愛らしいでしょう?指で突くとほら、プニプニ、パニパニ。どうですか?ん?何か聞こえますか?ボールの中の声…。甲高く、憎たらしい声ですねえ。えい」
男は、困った顔で、ボールを床に落とす。軽そうな割に、ボールから鈍い音がした。
「あ、割ってしまいました。今日のお話はここまでにしましょう」
ボールから、川が流れていた。赤黒い、油のような川だった。