牛乳夜、八月
牛乳の白が、やさしさが胃の風船を満たす。1年ぶりの牛乳だった。去年の飲んだ牛乳は、真夏の深夜、寄ったコンビニ買って、二口飲んだまま袋に入れて歩いていたら、こぼれて消えた。家まで帰ってから紙パックを覗くと、一滴も残っていなかったのを覚えている。牛乳は夜に優しく消えていったのだった。頭の芯の暑さが、牛乳の粘性と一緒に下っていく。熱い夜だ。
トントン、とリズムがあって、そこを見ると、真夜中の自販機の灯りに、蝉がジ、ジと鳴いてはぶつかった。消えかけた蛍光灯の弱弱しい光。反復する光景はジフ動画みたいだった。
さっき焼肉屋で食べた焼いたエリンギで噛んだ舌の付け根が痛んだ。
真夏の第一歩目の日。夜の風は気持ちよく流れ、またどこかへ消えていく。食べ放題にしたのに結局ほとんど食べないで帰ってきたから、冷房が付きっぱなしになっていた部屋に戻って腹がへっている。そういえば近寄ると逃げていくはずの近所の子猫が腹を見せて、おじさんと戯れていたのを、帰りに見かけた気がする。
冷房は壊れていると思っていたのに、なかなかつかないからあきらめてスイッチを入れたまま出ていったんだった。だけど、ちゃんと動いた。と思ったら、突然止まった。ジ、ジ、ジと音が鳴り。急に部屋が静寂に包まれた。それは優しくなく、寂しいものだった。
腹が減った。カレーを食べたい。
月が夜空のスクリーンに張り付いている。月が綺麗だ。月はキレイだ。墓所の周りを覆った高い木々の合間から、ちょうど墓所の真上で、雲から顔を出した月が微笑んでいる、その下で何をしてか、生きている人がいる。あの人も、この人も。墓所は月明かりで少し照らされていた。
生垣の上の猫も月の下で尻尾を振って、僕をどこかへ連れていってくれそうだった。よく見たら草の影が揺れているだけだった。それでもよかった。月まで連いていきたかった。
僕は甘口のカレーが好きだ。愛している。玉ねぎをいっぱい炒めて、亜麻色になるまで鍋のそこの火で焼く。薫りが充満すると、僕は満たされた気持ちになる。冷房の効いた夏の部屋の床で、夕方、昼寝をしたときの万能感のように。突然腹が鳴って、現実に引き戻された。僕の腹は欠けていた。僕はいつもどこか欠けていた。目の前にあるのは、まだカレーの形のない、三日月形の玉ねぎ。気が付くと僕は月を鍋で焼いていた。箸でつつくと月は見た目ほど固くはなかった。
目を開けると電車の中だった。膝が一回ガクッと折れて僕は気が付いた。まだ電車の中で立っていた。
ほとんど食べていないじゃがりこが車内に散乱していた。ポロシャツの男がその真上の座席に腰かけ、口を開けて寝ていた。その開けた口に、じゃがりこは入りきらなかったようだった。僕は揺れてなかなか近づけないそこへ一歩ずつ踏み出した。砂漠の中を足を取られながら歩いているような。あと少し、もう一歩というところで、男が目を開け、冷たい目で僕を見ていた。目覚めたらしい。僕は「ありがとう」とマスクの中で言って、開いていた反対側の窓から拾ったじゃがりこを投げ捨てた。別に落ちているんだから、あなたの物じゃないから、とマスクの下で、心の中で言い訳したように思う。ベビーカーに乗った男の子が泣きわめていたような気がする。それとも蝉が鳴いていたのか、耳鳴りとゴミ箱の中のような景色に、視界が点滅し、僕は声を上げて目を閉じた。
震えながら開けた瞼。目の前にあったのは、電車の蛍光灯ではなく、冷蔵庫の灯りだった。頰を冷気が触った。開けてない牛乳が、賞味期限を切らしていた。仕方ないので炒めていた月に、夜を注いだ。賞味期限切れの夜だ。
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