蓮台寺ミナトSS 『過去と未来の物語』第一章1〜7まで

第一章  積み上げる、歴史

1-1 『ありきたりな導入』

 蓮台寺家にミナトという女の子が居候するようになってから、1週間が経とうとしていた。
「ミナト!また勝手に俺のコレクションを‥‥!」
「あら、歴史を紐解くのが私の仕事よ?」
 そんな使い古した逃げ口上には騙されない。俺の……なコレクションを机の上に散乱させて放置することのどこが歴史の紐解きだ!
 そう、まだたった1週間しか経っていないというのに、この傍若無人ぶり。
「にしてもマスターって、お姉さん系が好みなのね~?」
「う、うるさい!」
「あらー、私はうるさくしてないわ?なになに、『大人の色気むんむんのお隣さんにもう我慢の限界が』」
「読むな!」
 ひったくろうとした本はミナトの手により宙を舞い、ベッドの上へと落ちる。
「おっと、いけないいけない、大事な交渉材料が~♪」
「なにが交渉材料だ、返せ!」
 そうしてもつれあった結果、不幸にも俺とミナトはベッドで重なり合ってしまう。
「やんっ、わたしどうなっちゃうのかしら」
 1ミリもその気じゃない癖に、声だけはいっぱしのお姉さん気取り。わざとらしいお姉さん声と、ミナトの、その……髪の匂いがふわりと香って、俺は無性に腹が立った。
「いい加減にしろよ!いつまでもそんなのに惑わされると思うなよな!」
「あら、そんなのって何かしら?」
「ッ!もういい!」
 俺は怒りに任せたまま部屋を出る。その右手に『年上お姉さんの淫靡な誘惑 Vol.1』を抱えたままに。
「……可愛い♪」
 扉の向こうから聞こえたような気がしないでもないが、そんなものは無視する。
 これを右手にしたまま自室に戻ることもできず、適当に隠す場所を探す。その間も、さっきベッドで味わった、ミナトがいつも着ている黒い上下の服に包まれた大人な身体と重なった感触が離れない。
 まったくミナトは……血がつながってないからってやりたい放題すぎる。
 俺が快適な高校生活を満喫していたところに、彼女は突然現れた。
 なんでも、世間的には親戚から預けられたことになってるらしいが……こっちの家に居候が決まってからその日のうちに、彼女の素性が本人の口から明かされた。
 なんでも、彼女は奪取er協会という団体から送られてきた、未来のヒューマノイドだというのだ。
 もちろん、最初はそんな荒唐無稽な話は信じなかった。でも、彼女はそれを信じるに足ることを見せてくれた。
 それは、ある程度の未来の予測だ。
 ミナトが言うには、俺みたいに未来からヒューマノイドがきたと言っても信用しない者たちの為に、差し障りない程度に限り未来を預言することも認められているらしい。今回俺はそれを見事に目の当たりにしたわけだ。
 ついでに疑っている振りをしてtotoBIGの一等を訊こうとしたが、大変甘いお断りの声とともに、おでこをピンと弾かれた。
 そうして俺はまんまと彼女の思惑通り、ステーションマスターとしての日々を送っているわけだが……
「マスター?どこへ行っちゃったのかしら?お姉さんもういたずらしないから~」
 完全に楽しんでいるミナトが、俺を探し回っている。
 年頃の俺の部屋に突撃してくること数知れず……さっき隠した本を使っている時に突入されたことも一度や二度ではない。
 間違いなく見つからないであろうところに本を隠した俺は、大きく一呼吸を置いて彼女の声がする場所へと向かう。
「ごめんなさいマスター、少しいじわるしすぎたわね」
 これはまだ反省していない。俺にはわかる。
「許してくれる?」
「ああ」
「ありがとう、優しいマスターのこと、私は好きよ?」
「ッ……」
 ここで俺も好きだぞと冗談でも言えたなら、どれほどよかったか。ミナトはきっと、からかってくるに違いない。
「マスター……わたし、大好きなの」
「誰を?」
「歴史を♡ふふ」
「……知ってるよ」
 ほらな。
「マスターがどうしてこんなに可愛く成長しちゃったのか、紐解きたいわ♪」
「もういいだろ、夕飯だぞ」
「はぁい♪」
 からかわれるのが我慢できないから、まだ早い夕飯を口実にして話を切り上げた。きっとミナトには夕飯がまだ早いことも知っているだろう。くそ。
 俺はステーションマスターだった。鉄道の思い出を集める役目。ミナトに言われたからやっているだけの、熱意のないマスター。だが俺はそれでも構わなかった。退屈な日常を少しだけ彩る役には立つ。そしてでんことして居候しているミナトも……まぁ、少しだけ鬱陶しいが、一緒にいて悪い気はしない。お姉さん気取りでからかってくるのがほんの少しだけ……いや、ものすごくだけ鬱陶しいだけだ。
「わたしのことを考えてるの?」
 ミナトはいつのまにかソファに座る俺の目の前に立ち、指でくるくるとくせっ毛を弄り、ご機嫌な顔を向ける。
「ちげーよ」
「ふふっ」
 くるりと踵を返し、ミナトは夕飯の支度をするお手伝いさんを手伝いに行った。今日の夕飯は全般的にお手伝いさんに任せてある。
身をひるがえしたときに、ウェーブがかった白い髪までもがカーテンのようにひらりと舞い俺を弄んでくる。ふん、と鼻を鳴らしてテレビのリモコンを手に取り、適当にチャンネルを一巡させる。結局、余計な気持ちを整理できないせいで、チャンネルは何巡も、何巡もしたあげくつまらないバラエティ番組で固定された。


1-2『歴史の始まり』

  俺の家は、少し普通の家とは違った。
 蓮台寺家。
 この町の人間ならば誰もが知っているだろう。良いうわさも、そして、悪いうわさも。
 なぜなら、俺の苗字はそのまま地域の名前となっている。そして、駅の名前にも。
 かつては隆盛した蓮台寺家も今は没落し、更に嫡男の俺、鐘太郎(しょうたろう)を除き子は無し。両親は東京で働いており、小高い場所に構える日本屋敷も持て余し今や、俺とお手伝いさんを残して誰も住んでいなかった。そう、あの時までは。

…………
………
……


ぴーん、ぽーん

広すぎる家を一人で持て余していると、玄関チャイムの音が遠慮がちに鳴る。面倒だが仕方がない。今日はお手伝いさんもいないのだ。立ち上がり玄関へと向かう。

ぴーんぽーん

「はいはい・・・・・・」
思ったよりもせっかちな訪問客による、間隔の短いインターホンの連打にため息をつき、玄関へと足を急ぐ。と、なにやら玄関先から声が聞こえてきた。
「これがインターホン!きゃ~!本物だわ!これは昭和時代後期に作られたものね。歴史を感じるわぁ~♡」
「・・・・・・?」
扉の向こうでテンションが高い女性の声がする。くぐもっていてよく聞こえないが・・・・・・

ぴんぽぴんぽぴんぽぴんぽ~ん

「あれ~?これ、壊れてるのかしら~?」
「壊れてないって」
言いながら扉を開けると、そこにはまるでつくりもののように美しい、女性が立っていた。


「あなたの歴史、紐解かせて貰うわね♡」
 ミナトと名乗るその少女は、玄関で口を開けて放心する俺にそう言った。そして、自らがヒューマノイドであること、未来でなくなってしまう鉄道を救うために、遠い未来からやってきたという説明をしてきた。
 見た目こそ綺麗な年上お姉さんだが言動は明らかにアレなので、どうやって追い返したらいいものかと思索にふけっていると、業を煮やしたのか彼女は胸から一枚の紙を取り出して寄越した。
「端的に言えば、ちゃんとあなたのお父さんお母さんの許可はもらってるのよ。だってあなた、未成年だし。蓮台寺鐘太郎くん」
 その紙には、小難しい文字が並んだ最後に俺の両親の署名があった。解ってはいたが両親はあの時以来極度の放任主義で、おおよそ家の跡取りに対して施していい教育方針ではないと思うが、俺としては広い屋敷で気ままに暮らすことができて助かっている。
 しかし、それにしても……ヒューマノイドだって?確かに人間離れした綺麗な顔立ち、体つきをしているが……どうみても人間だ。もし本当にヒューマノイドだというのならば、未来の技術はとんでもないな。
「どうしたの?わたしのことそんなにまじまじと見て。もしかして!……だめよ?お姉さんに惚れちゃったら♡」
「いや、惚れてないけど」
「照れちゃって、可愛い♡」
「いや、照れてないけど」
 この人はどうも自分に都合のいい解釈をする傾向にあるな。勝手に気に入って勝手に近づき、勝手に俺の頭をご機嫌に撫で始めた。俺のほうはというと、ミナトと名乗る女性をしげしげと観察していた。確かにこの人はヒューマノイドなのだろう。美しすぎて違和感を覚えるほどだ。性格に若干難ありだが、見た目に関して言えばかなりタイプだ。
「それじゃ、上がらせてもらうわね♡」
 言うが早いか、堂々たる足取りで玄関を通過していく。誰も許可していないが……
 丁寧に靴を揃える様もまるで……そう、マナー講習ビデオのような無駄のない動きだった。
 迷いなく2階へと上がっていき、まるで家の構造を知っているかのように真っ先に俺の部屋へと向かった。
 「あっ、おい!」
 後追いで俺の部屋へ入ると、ミナトはベッドに腰かけてこちらを見上げていた。
「わたし、この部屋がいいな」
「ここは俺の部屋だからダメだ」
「つれないのね。なら一緒に寝ちゃう?」
「ばっ……!」
「ふふ、冗談よ♡」
 ベッドのスプリング音をぎしりと立て、弾みをつけて立ち上がり、部屋を出ていった。まったく、自由奔放すぎる。あんなのがこれから家に居座るというのか……仮にも思春期の俺の部屋で、その男のベッドに座り込むとは……。
 俺は部屋をいじられていないかどうか確認して回る。その流れでベッドを見ると、そこに残るのは先ほどまで黒いホットパンツを穿いたミナトが座っていてお尻の形にへこんだ跡。
「御屋敷の案内、してもらえるかしら?」
「……ッ!」
居ないと思っていたミナトが俺のすぐ後ろに迫っていた。その顔が妙ににやついているように見えたのは気のせいだと思いたい。


1-3『奇妙な同居生活』

「いい加減起きたらどうなんだ?」
 ミナトがうちに住むようになって2週間。
 ヒューマノイドとやらは朝になっても全く起きてこず、業を煮やしてミナトの部屋(仮)に入り、俺の怒気をはらんだ目覚ましコールをお見舞いしても、ミナトは身じろぎひとつしなかった。
「おい、朝ごはんできてるぞ!起きろ」
「むにゃむにゃ……もう食べられないわぁ♡」
 古典的な寝言ほざきやがって。いっそのこと、でこぴんでもして起こすか?俺はミナトの枕元へと近づいた。
 しゃがみ込み、おでこに照準を合わせるため顔を覗き込む。無防備で、普段俺のことをからかってばかりとは思えないような、あどけない寝顔と、おとなしい寝息。いつもより幼い顔つきに見えてしまった。
「……」
 なんとなく、ためらわれてしまう。しかし、これ以上寝かせておいては朝食が冷めてしまう。
 おでこに狙いを定めるため、前髪を分ける。女の子の髪に触れると言う事実に、すごく緊張する。すると、
「ダメよ……」
「っ」
 突然でこぴんを咎められ、とっさに立ち上がり距離を取る。起きていたのか。
「う~ん、ダメよ、そんなこと~……私たち、でんことマスターという関係なのよ~♡むにゃむにゃ……」
 何の夢を見てるんだ。なんかいちいち寝言が一昔前のアニメキャラのセリフだな。しかしどうにも見させ続けるのは良くない夢のような気がする。
「おい、いい加減起きろ」
「ひゃんっ」
 ごく軽くでこぴんをすると、ミナトはパチリと目を覚ました。
「おはよう、今日もマスターの歴史を紐解かせてもらうわね♡」
 決め台詞なのだろうか?言い終わると、ふあぁ……と大きくあくびと伸びをした。パジャマ姿で大きく背中を反ったせいで、昼間の服装ではわからなかった割りと豊満な双丘が主張する。
「っ……あ、朝ごはんの準備できてるからな」
 俺は目を逸らすように振り返り、一階へと降りていった。

「いただきま~す♡」
「いただきます」
 我が家にミナトを迎えて何度目かになる朝食。今日は休日なのもあって少し遅めの時間だ。
 ミナトはやはりヒューマノイドとしてプログラムされているからなのか、食事も含め日常的な所作が美しい。寝ている時のだらしなさが嘘のようだ。流れるような優しい手つきに思わず見とれてしまう。
「すごくおいしいわね」
「当然だろう」
「あら、当然ってことはないでしょ?美味しいご飯を作ってくれるお手伝いさんに、ちゃんと感謝しないといけないのよ?」
「作ったのは俺だ」
「………そうなの?」
 目を丸くして、テーブルに並ぶ朝食と俺を見比べる。そんなに似合わないか?
「ご飯は大体俺が作る。食事以外は美代子さんがやってくれる」
「あ……あらそう~!お手伝いさんも大変なのね、恋に恋する思春期真っ盛りの男の子を、食事以外のすべての家事で影から支え続ける……感謝するべきだわ♡」
「ああ、そうだな」
 実際のところ、他の家事も俺が全てこなすことができる。しかし、それでもお手伝いの美代子さんを雇ってるのには理由があった。なんでも、昔蓮台寺家が隆盛していたころ、お手伝いさんとして代々雇ってきた家の方なのだ。美代子さんはもう60才を越えた女性だが身寄りがなく、我が家で雇い続けると両親が決めたのだ。
「ふ~ん、でもマスターって、料理得意なのね」
「そんなでもないさ。気の利いた料理は作れない」
「料理が得意ってのはね、ただレパートリーが多いってことではないのよ。そう、例えば、ちゃんと朝にご飯とお味噌汁とお漬物、お魚、目玉焼きなんかを継続して毎日用意できるかどうかの事だと、私は思うわ?」
「ふぅん」
なんの気なしに俺は味噌汁を飲む。まぁその考えもわからないではないが。それだと俺は料理がうまいという意味になってしまう。褒めようとしてくれたのだろうか?
「でも、レパートリーが多いに越したことはないだろう」
「そうね。でも、お料理って芸術じゃなくて、ルーチンワークだから。派手でお洒落な料理を作れる人よりも、安定している人の方が、わたしは好きよ」
「っ、ああ、ありがとう」
 「好き」という単語に過剰反応して、明らかに動揺した返事をしてしまった。またからかわれて、頭を撫でられるパターンだ。
 と、思って警戒していたのに、
「うん」
 優しい声で、彼女は微笑んで言う。
 ずるいよ。そういうのが、男には一番効くんだ。

1-4『似合うかしら?』

「ふふっ鐘太郎くん、ちょっといいかしら?」
 それは、ドアを開ける音と同時だった。鐘太郎くんだと?
「ちょっ、ドア開ける前にはちゃんとノックしてくれよ」
「あら♪一体なにをしてたのかしら~?♡」
 よからぬことを妄想しているのが丸判りの目をしたミナトが、大喜びで近づいて俺のデスクの上を覗き込んでくる。本当にそういう本を広げていたらどうするつもりなんだ。肩越しに覗き込んできたせいで俺の耳をミナトの真っ白で癖のある髪が撫でてこそばゆい。そしてついでのように良い香りを残していく。
「やましいことしてなくても、そんなの常識だろ」
「えっ・・・・・・そうなの?ごめんね」
 あれ?意外にもあっさりと謝るんだな。
「知らなかったのか・・・・・・もしかして未来では、ドアをノックする文化がないのか?」
「たぶんそのあたりは変わってないと思う・・・・・・ごめんなさい」
 ミナトは部屋に入ってきたときのテンションとは打って変わって、驚くほど意気消沈していた。
「いや、そんなに謝らなくてもいいよ。俺も悪かった」
 ミナトは普段、あらゆる所作が完璧なイメージがある。テーブルマナーや日常的な所作は、まるで動きがプリインストールされているかのように完璧だった。こっちにくる前の未来では、よっぽど育ちが良かったのだろう。なのに、ノックだけ忘れるなんて意外だったから。
「次から気をつけるわ。ところで鐘太郎くん、何をしていたのかしら~?♡」
「わるかったついでに、その鐘太郎って呼ぶのも・・・・・・」
「えっ、これも現代ではNGなの!?」
「あ、いや、これは俺個人の問題だ。あんまり名前を呼ばれるのが好きじゃなくてな」
「どうして?いいじゃない、鐘太郎くん。かっこいい名前よ。鐘太郎くん」
「古臭い名前だから好きじゃないんだ。今時『太郎』なんて・・・・・・って、わざと呼んでるだろ!」
「ふふふっ、鐘太郎くん鐘太郎くん。私は好きよこの名前。なんだか歴史を感じるし、男らしいわ。じゃあしょうがないから、ショータくんでどうかな」
「まぁ、それなら」
「じゃあ決まりね、鐘太郎くん」
「おい」
 彼女はごまかし笑いを残し、部屋から出て行った。一体何をしにきたのか。可愛らしいピンク色のエプロンをつけていたから、恐らくなにか料理をしていたのだろう。
「って、違う違う!」
 戻ってきた。早いな。
「ショータくん、さっきからこの格好を見てなんの感想もないのかしら?」
 まさか、エプロン姿を自慢しにきただけだったのか?ミナトが着けているエプロンは、全体的にピンク色で胸元に大きなハートがある、非常にフェミニンなデザインだ。ともすれば子供用とすら思えるもので、大人びたミナトの見た目にはアンマッチなようで、でもおっちょこちょいなミナトにはマッチしているようで、不思議な感じだった。
「ああ、とっても可愛いと思うぞ」
「・・・・・・」
「え?どうした?」
「う~ん、惜しいわ。そこはもっと、『恥ずかしくて言えないけど、でも頑張って勇気を振り絞って』褒めて欲しいのに♡」
 どうすりゃいいんだよ・・・・・・

1-5『友人?』

 日が沈むのが早くなり、最近では俺が家に着く頃には既に空のグラデーションは紺色が優勢。橙色は西の空へと逃げていった。この時期は一番過ごし易くて好きだ。
 涼しい風が頬を撫でると、殊更に寂しい気分になり、秋の訪れを実感した。
 玄関のドアを開けると、今まではお手伝いの美代子さんが声をかけてくれたものだが、今は遠くからミナトと美代子さんの声が聞こえてくる。この声がおそらく台所から?
「きゃ~~!!これが現代の掃除機ね、歴史を感じるわぁ♡本当に吸うのかしら」
「ミ、ミナトさん、それはブロワーと言ってお庭で枯葉を吹き飛ば・・・・・・」
「きゃぁ~~~~!!吹き出してる!」
 なにやってるんだ。俺は大きなため息をついて靴を靴箱へしまった。
「あ、おかえりショータくん、ちょうどよかったわ」
 ミナトは俺の存在に気付くや否や、玄関にやってきた。なにやら彼女の体が全体的に白くて粉っぽい。
「どうちょうどいいのか教えていただきたいが」
 台所とミナトは、小麦粉のような白い粉で真っ白だ。おそらくさっきの叫び声を聞くに、小麦粉を台所でぶちまけた挙句、掃除機と間違えてブロワをかけたのだろう。天才的なぽんこつだな。
「えぇ~、そんな冷たいわ。まるで氷河期の南極みたいに冷たいわね。一緒に片付けましょう?」
「いいのよ鐘ちゃん、ワタシがやるから」
「すみません、美代子さん。でもミナトがやらないと・・・・・・」
「ショータくん、お姉さんと一緒にお片づけ、しない?♡」
「自分でやってくれよそれくらい」
「あぁ~ん」
 嘘泣きをしながらミナトはとぼとぼと台所へ戻っていった。仕方ない。制服を着替えたら手伝うか。
 そこで、玄関でチャイムが鳴った。インターホンの画面を見ると、見知った顔だった。
「やぁ、鐘太郎くん。君の家、初めてきたよ。こんなに大きなお屋敷だったんだね」
「須崎・・・・・・どうして」
「君、忘れていっただろ。コレ」
 そう言ってかばんから俺の参考書を取り出す。
「・・・・・・あぁ」
 わざと、学校に置いていったんだけどな。
「学年一位の君が、珍しいこともあるもんだな。先生に言って君の住所を聞いたんだ」
 ありがた迷惑な話だ。コイツは須崎と言って、俺のクラスの同級生だ。大柄で眼鏡が似合っている優等生だが、クラスで浮いている俺にも遠慮なく絡んでくる、少し変わったやつだ。いや、変わってるのは俺のほうなんだが。
「あらあら、わざわざどうもありがとうございます。鐘ちゃん、お友達?」
「美代子さん・・・・・・まぁなんというか、同級生で」
「こんばんは。鐘太郎君の友人で須崎智彦と申します」
「あらご丁寧に。どうぞどうぞ、お礼にお茶でも」
 なぜか珍しく美代子さんが張り切り、家に招き入れた。

「いやぁー!鐘太郎くんの家は本当に広いなぁ!このリビングは何畳あるんだい?」
 質問を無視してソファに座り込んだ。さっきも言ったが、須崎は気さくな性格の割りにがっちりとした大柄で、そのせいで対面のソファも少し小さく見える。2人してリビングのソファでくつろぐが、あんまり仲が良いわけではないから気まずい。お茶と小さなカップケーキが出てきて、それを食べてもらったら適当に帰すつもりだった。
「ふぅ、まるで太平の江戸時代のように長く長く、ツラいお片付けだったわ」
 意味のわからない例えをつぶやきながら、小麦粉を洗い流すためにシャワーを浴びたミナトが、薄着姿で現れた。
「あら?どちらさま?ショータくんのお友達?」
「えっ!あっ!どうも!はじっ、はじめまして!す、須崎と申します!しょ、鐘太郎くんの忘れ物を届けに・・・・・・」
 突然立ち上がり、癖になっている眼鏡を正すしぐさ。緊張しているのか?
「そう、いつもショータくんと仲良くしてくれてありがとう。ショータくん、ちゃんとお友達にありがとう言った?」
 須崎と名乗っているのに、こちらはなおも『お友達』呼び。声のトーンといい、興味がないのか?
「うるせーな、言ったに決まってるだろ」
(言ってないけどな・・・・・・ぁイテッ!)
 余計なことをつぶやく須崎のすねを蹴る。ミナトはくすっと笑い、濡れた髪を拭きながら部屋を通り過ぎていった。
「・・・・・・ちょっ、おい、今のは君のお姉さんなのか?」
 ミナトがドアを閉めた瞬間、須崎は耳打ちをしてきた。
「んー、あぁ、そうだ」
「鐘太郎君に、あんな美人なお姉さんがいたなんてな・・・・・・驚いたよ」
「だから名前をフルで呼ぶなって何度も・・・・・・」
「鐘太郎君のお姉さん、名前はなんて言うんだい?」
 聞いてないし。
「ミナトだ。だから名前をフルで・・・・・・」
「ミナトさんかぁ・・・・・・わかった。フルで呼ぶのはやめるから、その代わりお兄さんと呼ばせてくれないか」
「いいわけないだろ!」
「ははは、そろそろおいとまするよ。ミナトさんかぁ・・・・・・」
「もう帰れ」
「またなにか忘れ物をしてくれないか」
「絶対忘れねぇ」
 須崎はとても楽しそうにうきうきした表情で帰っていった。またそのうち来る予感がする。
「・・・・・・帰った?」
 追い払うようにドアを閉めると、後ろにミナトがいた。さっきまで薄着だったのに、いつもの黒い服に戻っている。
「ああ、ミナトに惚れてたみたいだぞ」
「ええ?そうなの?はぁ、困るわね・・・・・・」
「なんだ、大人のお姉さんの魅力とやらが効いてよかったじゃないか」
「ん~、その辺のやつに効いても、ね。ところで私見てたわ。本当はお友達にお礼言ってないんでしょ」
 くそ、なぜわかった?
「ダメよ、仲良くしてくれる友達は大事にしないと」
 なんだか妙にお姉さんぶるなぁ。これは逃げられそうにない。
「……苦手なんだ・・・・・・そういうの。あまり友達づきあいの経験が無いし」
 観念して、言い訳にもならない言い訳をする。しかし、それに対してのミナトの返事は意外なものだった。
「ふふ、大丈夫。私もよ」
 俺は驚いて彼女を見る。彼女の目はまっすぐにこちらを捉え、微笑んでいるように見えるが、なんだか悲し気だ。
「私はね、歴史が好きだけど、自分の経験は浅いの。あはは」
 そんなはずはない。どうしてそんなに自嘲気味に笑う?彼女は明るく快活で、言動は常識的だ。まぁ大体は。それが簡単に体得できるものではないことぐらい、俺にもわかる。
「そんなことはない、と思うぞ」
「ううん、そうなの」
 頑なな否定。謙遜であれば、そろそろ嫌味に差し掛かるころだ。何か特別な理由があるのかもしれない。それがなにかは俺にはわからない以上、俺にはなにも言えなかった。
「とにかく、今後は少しずつでいいから、友達付き合いの経験を増やしていくのよ。経験が増えれば、それだけ言葉にも重みを増すようになるの」
「俺は別にあいつらと友達付き合いなんて………ッ、いや、わかったよちょっとずつな」
「よろしい♪」
 一瞬ものすごく悲しい顔をされた。彼女に睨まれたって怖くはないが、悲しい顔をされるくらいならこちらが折れた方が、ましだ。しかし、『彼女の悲しい顔が見たくない』だなんて、それはまるで、俺がミナトのこと……いや、それは飛躍しすぎか。同居人の悲しい顔など、見たくなくて当然だ。
 ご機嫌でその場を後にするミナト。どうやら俺は大変な約束をしてしまったのかもしれなかった。


1-6『友達付き合い大作戦①』
「やぁおはよう!お義兄さん!」
「お義兄さん言うな」
 早くもなく遅くもない、適度な時間に学園に向かいいつもの教室にたどり着くと、これまた鬱陶しいいつもの須崎がいた。こいつ、俺より遅く学園に来た事はないのだろうか?それぐらいいつ登校しても先に着いている。
「おやおや、冷たいじゃないか鐘太郎君。僕と君は将来の親戚なんだから」
「ならねーよ」
「そう決めつけてはいけないよ鐘太郎君!未来はいつだって、どうなるかわからないものさ」
 『未来はどうなるかわからない』、か。
「僕とミナトさんが結婚したら、『須崎ミナト』さん、かぁ……それとも、僕が婿入りするこということもありえるね!なにせ君の実家は太そうだし。逆玉の輿の上に美人と結婚だなんて!こんな幸せがあっていいのだろうか!なぁ?鐘太郎君」
「おい、妄想から戻ってこい」
 ミナトは俺の家に住んでいるから便宜上蓮台寺を名乗ってはいるが、厳密には蓮台寺家の家族ではない。それにヒューマノイドだから嫁入りも婿入りもなにもないのだが……しかし須崎ミナトという言葉を聞いた瞬間、一瞬怒りが湧いた気がする。なぜだ?
「まぁ無理もないよ!あんなに美人なのに君のお姉さんなんだもんな!一番近くにいるのに、手が届かないというもどかしさ……わかる、わかるよ君の気持ち」
「本当に俺の気持ちがわかるなら早く離れて席につけ。HR始まるぞ」
 クラスの中でコイツだけは俺に構ってくる。俺だけじゃなく全員にあんな感じだから、特に深い理由なんて無いだろうが、俺とつるんでいると悪い噂もたつだろう。
「全く……なぜお前は俺に構う?やはりミナトを狙ってるから、仲良くしておきたいという算段か?」
「確かにミナトさんと仲良くなる為の足掛かりとしてという面もあるが……」
 あるのかよ。そこは否定しろよ建前上は。
「でも、楽しいじゃないか。君と話すのは」
「…………」
 変なやつだ。しかしまぁ、こんなやつでも1人いれば、退屈はしない。周りに疎まれて集団無視をされてしまった中等部の頃に比べれば……鬱陶しくはあるが、ありがたい存在なのかもしれなかった。
「む……」
 そう思った瞬間、俺の頭の中に、今朝の玄関口で交わしたミナトとの会話シーンが浮かぶ。
『いい?ありがたいな、嬉しいな、って思ったら、ちゃんとすぐにありがとうと言うのよ?それが、友達付き合いができるようになるための第一歩なの!ふふっ、お姉さん期待してるわぁ♡』
 全く、小学生のような叱られ方をしてしまった。しかし、実際問題俺はその小学生レベルのコミュニケーションが取れていないと言う事なのだろう。お礼なんて、ここ数年でいっても美代子さんくらいにしか言ったこと無いんじゃないか。いや、ミナトに一度だけ言ったな。
 しかし、気が乗らない。物を受け取ったり役に立つことをされたといった直接的に貢献してくれたのならまだしも、こいつが俺に何かをしたわけではない。須崎にとっても、突然お礼など言われたら困惑して首を傾げるだろう。
「…………」
 だが、約束は約束。守らなければならない。
「あー、須崎」
「ん?どうしたんだい鐘太郎くん。僕はそろそろ席に着こうと思っていたが」
「……ああ、じゃあ別にいい」
「……?うむ、では後でな!」
 俺は須崎に見られないよう、小さくため息をついた。


 昼休み。天気が良くて暖かいと、俺はよく屋上で昼食を取る。それは気持ちがいいからではなく、周りは教室で数人固まって食べている中、1人食べるのが居た堪れないからだ。
 俺は自分で作った弁当を包みから取り出す。今日は美代子さんがいない日だから、今頃ミナトも1人でこの弁当と似たような内容のお昼を食べていることだろう。
「やっぱりここにいたか、鐘太郎君」
 屋上に出る重い扉が開き、須崎が現れた。
「お前……どうして」
「いやぁ、たまには外の空気を吸いながら食べるのもいい、と思ってね!」
「ふぅん、そうかよ」
 つまらない返事を返しても、須崎は気にせずわざわざ俺のすぐそばに座り、弁当を開けだす。
「そういえば、朝僕に何か言おうとしていなかったかい?」
 くそ、よく覚えてるな。しかし、今更言い出せるものじゃない。
「気にしなくていいぞ。大したことじゃない」
「大したことじゃないかどうかは、僕が決めることさ。さぁ、話してくれたまえ、アムっ」
 大きな卵焼きを一口で放り込み、俺の話を促す須崎。
「…………礼を、言いたかっただけだ」
「…………」
 須崎は、咀嚼を止めて惚けたようにこちらを見つめる。かと思えば、ふっと我にかえり急いで飲み込んで、ずれてもいない眼鏡を直した。
「……鐘太郎君、どこか打ったかい?」
「やっぱやめた」
「あーーー!ちょっと待ってくれ鐘太郎君。悪かったよ。でもなにか、君に礼を言われるようなことをしたかな、と思ってね」
 やはり、この男は俺のためとかでは無く、誰にでも明るく、そして俺に対しても接してくれるのだ。
「そういうところ、だ」
「ふむ……?よく分からないが、まぁそれは嬉しいことだ!ありがとう鐘太郎君!」
 俺がなかなか言えないことを、いとも簡単に口にして見せる。須崎の事が羨ましい。
 真っ青な空を見上げると、一陣の風が駆け抜ける。ここで食事をするようになって、初めて『風が心地よい』と感じた。
「……ところで鐘太郎君、君がお昼を食べているところを初めて見るが……購買のパンではないのだな」
「パンじゃなきゃダメか」
「ダメとは言っていない。だがさっきから気になっていたのだが……その、綺麗かつ繊細にかつバランス良く作られたお弁当……も、もしや、ミナトさんの手作り弁当かい!?た、頼む、一口くれないか?」
「別に一口やるのは構わないが、作ったのは俺だぞ」
「嘘だ!そんな綺麗な弁当を鐘太郎君が作れる訳ないだろう。ミナトさんの愛のこもった手作り弁当を独り占めしたいという気持ちはとてもよくわかるが、嘘は良くないな嘘は」
 にじり寄ってくる須崎の箸を避けながら、俺は自分で作った弁当を急いで食べ切った。
 ミナトが料理上手という幻想を抱いている須崎の為に、一度ミナトに弁当を作らせてみせようかと企む。しかし、壊滅的に料理が下手なミナトが、そもそも食べられる弁当を完成させられるのかというところから疑問だ。アイツ歴史の知識はたくさん持ってるのに、料理の知識がまるで無いからな。お弁当が完成する前に、また台所が小麦粉で真っ白になってしまうかもしれない。今後も俺が作ろう、と固く心に決めた。


1-7『歴史っていうのは、人が経験したことそのものだと思うの』

 伊豆急行に乗り少し北上した先で降り、伊豆市立歴史博物館への道を指し示す看板通りに、俺とミナトは隣り合って歩いていた。空を見上げたら雲ひとつない青空が広がっていて、この後天気が悪くなるなんていう予報は信じがたいほどだった。2人分の折りたたみ傘は、俺のリュックの中で待機中だ。秋にこんなに晴れているのだから、これはいわゆる秋晴れというやつなのだろう。よく知らないが。
「こんないい天気なのに、博物館でお勉強か・・・・・・」
 隣に聞こえてしまっているが構わずに大きめの声でひとりごちる。こんな晴れた日は絶好の引きこもり日和であり、一日中家でごろごろとして過ごすという甘美な一日を満喫しようと思っていたのだが、先ほどからルンルン気分で隣を歩いているミナトに、無理やり連れ出されたのだ。そのミナトは、不服そうな俺の一言に一瞬むっとしたが、すぐ笑顔に戻る。
「ショータくんはね、歴史ってなんだと思う?」
 そんな哲学めいた質問が、隣を歩くミナトから投げかけられた。
「なにって、歴史は歴史だが・・・・・・」
「もう~、そんな答えはお姉さん欲しくない」
 ミナトは唇を尖らせ、乗り気でない僕を咎めてくる。
「そう言われてもな・・・・・・う~ん」
「はい、スマホ禁止」
「ッチ」
 さりげなくスマホを取り出して、辞書で出てきた言葉をそのまま伝えようとしたら先手を打たれた。何がいけないんだ。
「ショータくんの言葉で聞きたいの。ショータくんの中にある、ショータくんにとっての歴史というものをね?♡」
「はぁ・・・・・・」
 実にうっとうしい。今向かっている伊豆市立歴史博物館とは、そんなに心の奥底を省みて覚悟を決める必要があるものなのか?
「私最近思うの。ショータくんって、本当はわたしのこと、ただの歴史オタクだと思ってるんじゃないかって」
「違うのか?」
「違うから言ってるのよ!」
 今のは割とお望み通りの答えを返したつもりなんだけどな。ひょっとしてネタ振りじゃなく本気だったのかもしれない。
「私はね、歴史っていうのは、人が経験したことそのものだと思うの」
「本に書いたり・・・・・・口伝しなくてもか?」
「そうよ。後世に残さなくても、それはその人にとっての歴史なの。歴史っていうのは、お勉強で習う過去の出来事だけじゃないのよ」
 なるほど、確かにそれはそうなのだろう。どうしてもイメージでは、歴史というと偉人や、政治家や、それらが成したことやその年代を勉強するものというイメージがつきがちだが、本来はそういうものかもしれない。
「つまり、まだ死んでなくても、教科書に載ってなくても、俺にもミナトにも歴史があると。」
「・・・・・・そういうこと!さすがねショータくんは。ひねくれてるのに理解が早いわねぇ」
「一言余計だし俺はもともと馬鹿じゃない」
「そうよね!ごめんねショータくん。だからね、ただお勉強に行くんじゃなくてね、そこで生きていた人たちへの想いを馳せて欲しいの。これは、ある種の『思い出集め』なのよ」
「なるほど、わかった」
「・・・・・・」
 突然立ち止まり、呆けるように俺を見る。後ろに幽霊でもいるのか?
「ん、どうした?」
「ううん、やけに素直ね?今日は」
「……別に間違ってなけりゃわざわざ否定はしない」
「そう?なんだかひっかかるけど、まぁいいわ♪いい子はなでなでしちゃう」
 ご機嫌な勢いでミナトは俺の頭を撫でようと手をかざす。恥ずかしいが、撥ね退けるのもなんだか反抗期の子供みたいで恥ずかしいので、どうせ恥ずかしいのならばそのまま撫でるに任せようと頭を動かさずに避けもせず寄せもせずの中立的立場を取ったが、しかし肝心のなでなでは飛んでこなかった。
 目を開いてミナトのほうを見ると、彼女は手をかざしたまま固まっていた。
「あ、あは、ナ、ナデナデをしようと思ったんだけど、なんだか急に恥ずかしくなっちゃったわ」
「慣れないことは無理してしなくてもいいだろ」
「そ、そうね、行きましょう!」
 ミナトは照れ隠しに、先へと足を速める。
 そう、慣れないことはするものじゃない。
『ミナトの言葉なら、ひねくれずに信じてもいい』と思ってしまった俺も含めて。


   ◇  ◇  ◇

 小さい子供たちがはしゃぐ前提の科学館などとは違い、地元の人間しか来ないような市立の博物館など、休日でもまるで美術館のように静かなものだ。
「きゃあ~~!みてみてショータくん!黒船よ黒船!」
 ・・・・・・などと考えていた矢先に、大人にあるまじきはしゃぎ方で黒船の形をしたオブジェへと駆け寄っていくミナトを、後ろからゆっくり歩いて追う。出来れば他人の振りをしてしまいたい。
「ねぇ、ショータ君は知ってるかしら?下田市への黒船来航」
「教科書に死ぬほど載ってるよ」
「そうなのね!すばらしいわ!じゃあじゃあ、これは知ってる?」
 水を得たミナトは過去最高のテンションで語り始める。俺はそれに対して適度に頷き、手短に頼むぜ、と心の中で祈りながらも、笑顔のミナトはどうにも魅力的で、見ていたいような、ずっと見ていられないような、不思議な心地だった。

「ミナト?」
 同行者が付いてきていないことに気づいた俺は、振り返ってみると随分と遅れているミナトを遠くに見つけた。全身真っ黒の服に、まばゆい銀髪なので目立つったらありゃしない。もちろん俺以外には見つけられないんだが。
「ミナト」
「はぇ?!ど、どうしたの?」
「いや、こっちのセリフだが……その説明文がそんなに面白いのか?」
 ミナトは壁に掲げられたパネルを凝視していたようだった。
「そ、そうね!やっぱり歴史って面白いわぁ♡」
「そっか、まぁ、あんまり長く1つのところにいると後ろ詰まっちゃうし、次行こうぜ」
「ねぇ、ショータくん」
連れていこうとミナトの腕を握るが、彼女はその場から全く動かない。惚けたようにそのパネルを見上げ続けて、何か考え込んでいるようだった。
「どうしたんだよミナト」
 さっきから普通じゃないのはもう分かっている。でも何を考えているのかは分からない。本人に訊くしかない。
「…………」
 相変わらずパネルを凝視したまま動かないミナト。訊き方がマズかったか?もっと優しく、話しやすいようにフランクな感じで。
「どしたん?話聞こうか?」
「・・・・・・・・・・・・なぜかはわからないんだけど、なんだか急に相談する気が失せたわ」
 なんでだよ、せっかく優しくしたのに。
「ううん、きっと気のせいね。ねぇショータくん、これ・・・・・・」
 そう言ってミナトが指差した先には、やはり先ほどまで凝視していたパネル。そこには、いわゆる黒船来航に関する展示。
「私ね、歴史が好きなんだけど、特にこれが好きなの」
 そうなのか。このあたりの地元が舞台だからだろうか?
「数ある日本の歴史の中でも、特にこれが好きでね・・・・・・この時代を想うと・・・・・・地元の人たちの驚いた様子なんかを想像したり、為政者の焦りだったりを想像すると・・・・・・あぁ、ここから日本の歴史が大きく動くんだなぁって・・・・・・わくわくするの」
「すごくワクワクしてね、誰かに伝えたくて、語りたくて!居ても立ってもいられなくなるのよ♡」
 まるで躁状態にも見える彼女は、大きくきらきらした目を見開き、大きく息を吐いて目線をパネルから外してこちらを見ると、花が咲いたように笑う。本当に、どうしようもない歴史オタクだ。
「でも私、これをどこで知ったんだろうね」
「え?」
「・・・・・・黒船来航の資料を見るの、今日が生まれて初めてなのよね。多分」
「は?そんなはずないだろ。あんなに語ってたのに」
 半分以上右の耳から左の耳へ通り過ぎていったが、それでもミナトの歴史に関する知識量は半端ではないことがわかる。
「知らないはずなのに、なぜか知ってるの。全部知ってるの。未来にいたときもね、自分で歴史のアーカイブとか歴史書なんかの文献を読んだことないの。だって、知ってることだもの。全部頭に、入ってるもの」
 なんだって?
「これってなんだか・・・・・・気持ち悪い」
「ミナト・・・・・・」
「ごめんなさい」
 彼女は一歩近づいた俺を手のひらで制して、お手洗いへと駆け込んでしまった。
 どういうことだ?なにを言ってるんだ?ミナトは歴史の全てを知っているのに読んだことがない?
 お手洗いから出てきたミナトは暗い表情で、そんな彼女を心配して少し休もうと提案すると、コクリとうなずく。俺はミナトの手を引いて博物館の外へと出てベンチがありそうなところを探した。


   ◇  ◇  ◇

 博物館は海のそばに建てられていて、休憩スペースからは青い海が一望できる。ベンチに座るように促すと、ミナトは力なく座った。俺はすぐ近くの自動販売機でお茶を買い、彼女に渡す。
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫、ありがとう・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
 居心地の悪い沈黙が2人を包み、俺も隣に腰掛ける。ミナトは受け取ったお茶を開けもせず、膝元でただ暖を取るように両手で包む。
「さっきはごめんね」
「いや・・・・・・構わない」
「私はね、実は作られてから1年くらいしか経ってないの」
「・・・・・・!」
 声には出さなかったが、衝撃的な告白に驚きまでは隠せなかった。
「私はNO86、ミナト。未来で比較的最近作られた新しいヒューマノイドなの」
 未来なのに最近というのは違和感を覚えるが、この際無視する。要は、ミナトは作られたばかりということだ。それが意味することとは・・・・・
「私は、生まれたときから言葉を話すことができたし、日常生活を送ることができたの。生活に必要な知識もほぼ持っていたし、“必要じゃない知識”も・・・・・・」
 歴史。彼女が大好きな分野。その知識を生まれたときから知っていたと彼女は言う。
「ねぇショータくん。朝の質問のことだけどね?ほら、歴史っていうのは、人が経験したことそのものだってやつ」
「あ、あぁ」
 突然の話題転換に、俺は顔を上げてミナトを見る。目があったミナトは困ったように笑った。
「誰もがひとりひとりに歴史があって、それを後世に、周りの人に伝えてきたわ……こうすればもっとお魚が獲れる、とか・・・・・・こうすればもっと少ない力で動かせる、とか・・・・・・こうすれば時間がかからないとか、こうすれば腐らない、とか・・・・・・」
 目を閉じて、指折り数えながら想いにふけるミナトを見つめていた。
「そうやって人々が必死に工夫して生きてきた、その経験を周りに、子孫に、そして後世へとつないできた。思い出集めだってそう、私たちが集めてる鉄道の想い出は、その人々が経験したことそのものなの」
「みんな自分の歴史を誰かに伝えてきた。でもわたしだけ、誰かに自分の経験を伝える事ができないの。経験をしてないから」
 つらつらと話すミナトは、まるで罪を告白しているかのようで、俺はただ黙ってそれを聞くしかなかった。
「皮肉よね。歴史が大好きで、思い出を集める私が、誰よりも歴史を持っていないなんて・・・・・・わたし、誰かの歴史しか、ショータくんに話せない」
「ミナト・・・・・・」
「私、生まれた時から歴史が好きだったから、私の中にある“歴史が好き”っていう気持ちも、プリインストールされたものなんだって考えると、気持ち悪いなって思っちゃって・・・・・・あはは、それって、ニセモノよね。私は歴史が大好きなのに・・・・・・作り物の気持ちだった。最近芽生えつつある気持ちも、作り物にしか・・・・・」
 一瞬だけこちらを見るも、すぐに目線を下げてため息をついた。
「ごめんなさい。つまらないお話しちゃった。もう帰りましょう?」
 ミナトが海風で揺れた長い髪を手ぐしで整え、立ち上がった。
「違う・・・・・・」
「え?」
「それは、違うと思う。ミナト」
 立ち上がって、去ってしまう前に。この話が結論付いてしまう前に。
 俺なりの考え方を、俺の気持ちを、伝えなければいけない。
 じゃないと、後悔してしまう気がするから。
 だって、こんなのかわいそうじゃないか。目の前の彼女は、あんなに楽しそうに語ってくれたのに、その気持ちをニセモノだなんて決め付けてしまっている。そんな悲しいことって、ないだろ。
「ニセモノなんかじゃない。ミナトの歴史好きが、生まれたときからだったとしても、知識がプリインストールだったとしても、作られたものだとしても……それはニセモノなんかじゃない!」
「ちょっ、ショータくんっ、声が大き・・・・・!」
「だってミナト、あんなに楽しそうだった!あんなに嬉しそうだった!いつも俺に歴史の話をする時、心の底から楽しそうにしてた!そんな気持ちが、ニセモノだなんて事は……絶対にない」
「どうして……?どうしてニセモノじゃないなんて言えるの……?私のこの気持ちも、知識も、最初からインストールされていたのよ?私が経験して得た気持ちじゃないの。これってニセモノじゃない!」
「違う!」
「だからどうして!」
 ちくしょう。どう言えばいい。どう言えば、俺のこの気持ちが伝わるんだろう。
「ミナトがニセモノだって思っていても、俺にとっては楽しかったんだッ!」
そして、理論も何もない、ただの個人的な想いをぶちまけるだけになってしまった。
「俺、ミナトが歴史を楽しそうに語ってるの、最初は冷めた目で見てた。なんでこんなに楽しそうなんだろうって。でもいつのまにか、やっぱりちょっと、楽しい思い出になった。つまらなそうなフリしてたけど、本当は楽しい歴史になったんだ。この思い出は、この歴史は、2人にとってホンモノだ」
「ショータ……くん……」
 正直なことを言うと、ニセモノかホンモノかなんて区別は俺にはどうでもいい。でも、その知識で、その記憶で、ミナトはとても楽しそうにしていた。だから作り物で……プリインストールで……そして、本物だ。
「これだけは、ミナトにも否定させない……それに、自分に歴史がないというのなら、これから、俺と作っていけばいい」
「えっ!?」
「あっ、いや、ちがっ、そういう、意味じゃ」
「…………」
「いや違わない、そういう意味なんだけど……でも、えっと……マスターとでんことして!思い出集めを続ければだな、その記憶はきっと思い出となって、俺たちの歴史となる。そう、言いたくて……」
「…………」
「つ、作り物だったとしても俺にとってミナトはミナトだし……えっと、ミ、ミナト……?」
 勢い余ってまるで愛の告白どころかそれを飛び越えてプロポーズのような言葉を口走ってしまい、今更になって取り乱す。惚けて動かないミナトはしばらくすると破顔して、
「あ、はは……もう、どういう理屈よ、それ。でも、ショータくんとなら、悪くないかも」
「えっと、それって……」
「さぁ?なにかしらね?♡ふふふっ」
 一気にご機嫌になると、俺の手を握って引っ張り出した。俺はつんのめりながらミナトの隣に並び歩き出す。
 初めて握った手。背が俺と同じくらいでお姉さんぶってる割には、小さくて、細くて、そしてとても暖かかった。


『幕間①』


 蓮台寺ミナトは、後悔していた。
 それはもう、ひどく後悔していた。
 
 目が覚めて、ここがどこなのかを把握すると、再び身体の力を抜いて目を閉じる。ミナトは朝が弱い。
 まどろみの中で、昨日の思い出を振り返る。おぼろげに浮かび上がる、歴史博物館に行った思い出。鐘太郎と並んで歩いて・・・・・・鐘太郎に悩みを吐露して・・・・・・そして・・・・・・
「~~~~~~~!!」
 勢いあまって、手を・・・・・・手を・・・・・・握ってしまった!
「しかも私の方から~・・・・・・」
 枕に顔をうずめながら、声にならない声を漏らす。
 なんという失態。あの時は嬉しすぎてどうかしていた。
 このような体たらくでは、大人の女性を演じきることなど到底できやしない。私は鐘太郎にとって、ミステリアスで大人としての魅力ある女性でなければならないのだ。
 あの無愛想で、口が悪くて、有能で可愛い男の子は、私がリードしてあげないといけないのだ。
 だから私は彼からのアプローチを待つべきで、なのに私の方からアプローチをしてしまった!
 ミナトは横向きに寝転がったまま、器用に横髪をくるくるといじる。考え事をしてしまっているときのミナトの癖だ。
『ミナト、これから俺と、一緒に歴史を作って欲しい。結婚しよう』
 ミナトは昨日鐘太郎に言われた言葉を反芻する。なんだかちょっと都合よく脚色されている気がするが、おおむねそんなようなことを言われたはずだ。
 あんなことを言われたら嬉しくなろうというもの。今までの悩みはなんだったのだろう?と思ってしまうくらい、希望を持てる言葉だった。
「作り物でもいい、歴史は本物……」
 手を握っただけで翌日にこんなにもどきどきしているのがバレたら、彼はどう思うだろうか?笑うだろうか?そうだったら悔しい。
 できれば、デートや告白、キスなんかも彼からして欲しい。そしたら私が、広い大人の心で優しく包み込んであげるの。だって私はお姉さん。恋も歴史も、若さに任せて突き進む鐘太郎を、私が優しく受け止めて導いてあげたい。
 でも、この調子だとまた嬉しくてたまらないようなことがあったとき、今度は抱きしめてしまいそう。私がもっと積極的だったなら、あのタイミングで自然と抱きしめるくらいはできたかもしれない。抱きしめたら、くりくりの可愛い目で見つめ返してくれて・・・・・・そして彼のほうから・・・・・・キ・・・・・
「ん~~~~~~!!」
 今度はまくらを強く抱きしめて悶える。眠気などはとうに飛んでしまっていた。
 最後の最後、告白だけは・・・・・・そう、決定的なその瞬間だけは彼からさせよう。追われる恋のプライド。ただしそこに至るまではある程度こちらがお膳立てしてあげてもいい。
 大人しくできそうもないミナトは、ある程度自分が暴走する可能性を見越し、方針を下方修正することで無理やり納得し、もう一度頭から布団をかぶった。とっくに朝食の時間だということはわかってる。でも、待っていれば愛しの鐘太郎が起こしに来てくれるから。
幕間②
 扉を開けると、そこは雪国でした。と思える程にベッド全体へ広がったミナトの真っ白な長い髪。現代アートを思わせる寝相。今朝も我が家のヒューマノイドは相変わらずだった。
「おいミナト、朝ごはん出来てるって何度言わせるんだ!」
 下から何度呼びかけても降りてこないからまだ寝てるのだろうとは思っていたが、案の定だ。
「むにゃむにゃ……もう食べられないわ♡」
「そのネタは前もやっただろ!」
 というか食べるのはこれからなんだが。
 今回は軽くでこぴんをしてみても、全く起きる気配がない。おいおい、死んだか?
「んふ〜〜……」
 なぜか満ち足りたような顔をして再び深い眠りに着こうとするミナト。夢の中でさぞかし美味しいものをたくさん食べたのだろう。もうダメだ。
「はぁ……現実(こっち)のも、後で温め直して食べてくれよ」
 俺は、素晴らしい寝相のおかげでだらしなくベッドから垂れ落ちたミナトの細い腕を取り、ベッドの上に戻してやる。ふと俺はその手をみた。
「……」
 あの時に、握ってくれた手。温かかった。柔らかかった。年上?なのに、折れそうなほどに細かった。ドキドキして胸が熱くなるし、幸せな気分になれた。
 さっき何気なく手に取った腕も、驚くほどに細い。女の子というのはどうしてこうも華奢で、白くて、綺麗な手をしているのか。
 手の甲を、少し摘んでみる。やはり柔らかい。起きた時に言い訳ができないが、もう一度あの柔らかさ、暖かさを味わうために俺はミナトの手を握った。
「…………」
 相変わらず起きる気配がないが、今は起きてほしくなかった。ミナトの手を握りながら、美しい顔を見つめる。唇は淡い色でぷっくりとしていて、頬も僅かに赤みかがかっている。
「っ……」
 いけない。万が一起きてしまったら本当に言い訳できない。近くで見るだけ。近くで見るだけだ。
 うわぁ、本当に柔らかそうな唇。ここに自分の唇を押し付けられたら、どれほど気持ちいいだろう。10cmくらいの距離まで近づくと、寝起きの濃密なミナトの匂いがする。くらくらする。
 ダメだ、ダメだ。
 でも、いっそ、この後どうなっても構わないから口付けしてしまいたい。
 抗えない、ミナトの魅力。この先ずっと、一生からかわれ続けても構わない。それと引き換えに、今このまま唇を奪ってしまいたい。いけない、いけないと心臓が警鐘を鳴らし続けるのに、どんどん唇へと吸い込まれていく。鼻同士が当たらないように、対面した顔を僅かに傾けて、あとほんの数センチ……
「……っ!!」
 すんでのところで、ミナトから離れた。危ない。どうかしていた。
 朝から気持ち悪いほどにじっとりと汗をかいてしまった。朝食を済ませたらシャワーを浴びよう。



……
………
「…………はぁーーっ!……心臓が止まるかと思ったじゃない。ふふふふ♡」


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