盆提灯の夜に 【ショートショート】
子どもの頃の記憶は、不思議だ。どんなに歳を重ねても、鮮明に、まるで昨日の事のように思い出せる記憶がある。
小学1年生から高校にあがるまで、私はピアノ教室に通っていた。
京都に住んでいた私は、下鴨神社を通り抜けた所にある、閑静な住宅街で暮らしていた。
その住宅街の中にひっそりと建つ一軒家で、町子先生はピアノを教えていた。
当時、町子先生は確か五十手前だったか。
いつも色違いのウィッグを付け、品の良い化粧をし、柔らかいワンピースを着て、レッスン以外の時間はよく煙草を吸っていた。とても美人で、女優のようにオーラのある人だった。
先生は明らかにガリガリで、綺麗な肌から青白い血管と骨が浮き出ていた。いつかカーペンターズのボーカルの女性が拒食症で亡くなったニュースを見た時、先生と見た目がまるっきり同じで、少し怖くなったことがあった。先生は本当に細かった。
先生はたまに情緒不安定になることがあった。
そんな時は「今日はレッスンはやめて、おしゃべりせえへん?」と言って、紅茶とクッキーを出してくれて、二人でたわいもない話をした。
先生の好きな音楽や映画のこと、クラシックのこと、ピアノのこと。
先生は、私に出来た初めての大人のともだちだった。私が知らなかった事をたくさん教えてくれたのだ。しかし先生のこの”レッスン放棄”は、子供から親へと伝わる事が増え、私以外の生徒は少しずつ減っていったようだった。
私は先生が好きだったので、親には一切言わなかった。
先生は黒澤明の「夢」という映画が一番好きだと言った。あんなふうにとりとめもない夢を私もよく見るのだと言っていた。私はTSUTAYAでDVDを借りて「夢」を観てみたが、当時はよく分からなかった。ただ、美術館でゴッホの『アルルのはね橋』を見ていた"私"が、いつの間にか絵の中に入り込んでしまい、絵の中の静止した世界が動き始める「鴉」という話は好きだった。
のちのち映画に詳しくなってから改めて観ると、この話にマーティン・スコセッシが出ていると知って驚いた。
十年以上経った今でも、町子先生と過ごした日々の記憶は鮮明に残っている。先生の着ていた服、髪型、表情や口癖、香水の匂いまで。
当時の自分の事以上にはっきりと思い出せる。何より先生とのたわいもない話は一つも忘れたものはなく、私の血となり肉となっているようだった。
そんな事を思い出しながら、私は夜の大谷祖廟の共同墓地の前で手を合わせた。夏の京都は日中は暑いが、夜には鈴虫の鳴き声が聞こえてきて、少しだけ涼やかな気持ちになる。風が吹くと、草花の匂いに混じって蓮のツンとした香りがした。季節はお盆だ。
京都市役所の職員に連絡をもらい、私は久しぶりに京都に帰って来た。
「どうぞ座ってください。狭い部屋で申し訳ないですけど」
臼井という初老の職員が、私を狭い会議室に通してくれた。
「……島田町子さんのご遺体なんですが、我々の方でも近親者がいないか当たったんですけどね、どなたも見つかりませんで」
「一人もですか?」
「ええ。たまたまあなたから島田さんに宛てたハガキが何枚かあったもんですから、ご連絡してみようかと」
「そうですか……」
「火葬は我々の方で既に行いましてね。あとはご本人の遺言に従って、本山納骨言うんですかね、大谷祖廟さんとこに埋葬させて頂いております」
「あの、先生の死因は……?」
「恐らく心臓発作やと思うんですけどね。夏場で一人暮らしでしょう。誰にも見つからず、一カ月ほどそのままやったみたいで」
「……」
大谷祖廟では毎年お盆の季節になると、東大谷万灯会といって、夜に1万個の盆提灯が墓地のまわりに置かれ、京の夜空を照らす。
京都のお盆と言えば大文字だが、町子先生は大文字よりも、ここの盆提灯を見るのが好きだと言ってた。
大文字の火は明るすぎるが、盆提灯は好ましい明るさだそうだ。
……風の音に交じり、どこからかピアノの音が聞こえてきた。
この下手くそなピアノはきっと私の演奏だ。
先生と私の笑い声が聞こえる。
「先生、独りで暮らしてて寂しくないん?」
「なんでそう思うん?」
「私やったら、寂しいかなって」
「ふふ、そんな感情はとっくの昔に通り越したわねえ」
「そうなんや」
「一人やと気楽でええよ。……まあ一つだけ願望があるとすると」
「なに?」
「最後は、綺麗な姿のまま死にたいね」
ピアノの音が止まった。
私は再び手を合わせて、目を閉じる。
そして、夏の一軒家で誰にも見つからず、腐ってしまった美しい先生の姿を想った。
私の姿を、盆提灯の灯りがゆらゆらと揺らしていた。