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#14 介護を手放す(9) 〜「親不孝もの」による施設入居の決断

在宅介護の道を模索しつつも、うまくいかなそうな予感がしていた頃。老人ホーム入居を本格的に考えてしまう出来事が続きます。母の気持ちを汲みながらというキレイなプロセスを踏むことができないまま、身の回りに起きた出来事に押されるように施設入居の決断をするまでのお話です。


施設見学はしてみたけれど

老人ホームの資料請求をしたのち、近隣のいくつかのホームを見学しに行きました。どのホームでも「介護者の方が持続できる環境を作ることが一番です」と言っていただき、営業トークも入っているのだろうと思いながらも、疲れていた私にはじんわりと響きました。
空室があるホームではお部屋も見せていただけたので入居後のイメージも少し掴むことができました。トイレが居室内にあると良さそうだとも思えました。

見学の際には、入居者の過ごし方、ホーム側で提供されるイベント・アクティビティの話などもお伺いしましたが、当時一番気になっていたのは年齢のことでした。見学した施設も、ほぼ80代、90代の方が大半でした。
「普段の生活でも10歳違ってもさほど気にならないと思いますし、入居の年齢については全く気にしなくて大丈夫」というホームもありました。

一方、「お母様の年齢はまだ70代、且つ自立的に生活ができているとなると、ホームはまだ早いかと思います。やはり在宅介護をベースにデイサービスを平日は利用して様子を見つつ、ご家族様のリフレッシュとして、時折ショートステイするという形で老人ホームを活用される方が利用する方が非常に多くいらっしゃいます。お客様の場合も、その形で始められるのが良いのではないかなと思います。」とのアドバイスをいただくホームもありました。

そのホームの方は、無理に入居の営業をせずに、親切にアドバイスしてくださっただけなのですが、
「年齢・介護度からしてうちにはまだ早め」
「多くの人はまずはデイサービスで在宅介護をして様子見する」
といった話は、「この年齢でホームに入れようとしている私は親を不幸にする選択をしようとしている子どもかもしれない」との思いをさらに深めることとなりました。
やっぱり、まずは在宅介護で子どもががんばりきれ、ということなのだろうか、私はまだまだ頑張り足りないということなのかもしれない、とその日は涙しながら車で帰宅したのを覚えています。

仕事は私の事情を待ってはくれない

介護認定がおりた後、ケアマネージャーさんが母と面談してくれました。ただ、母はデイサービスの利用を拒絶。ケアマネさんからも「1年かけてじっくりお話しして、今はデイサービスに楽しく通われているご家庭もあるぐらいなので、定期的にお話ししながら声かけしていきましょう」と言われます。
その場では、「はい、そうですね(笑顔)」と答えましたが、内心は「ええ?1年かけて様子見?」とどんよりです。人間の人生なので、今日明日で全て解決とはいかないにしても、「様子見」の時間軸が、仕事の場面での「様子見」とは全く異なります。「1年間」の時間のパワーは、特に成長過程にある子どもには特に影響が大きいはず。
加えて、私自身も仕事を抱えている身。組織のミッションとして取り組むべきことも、管理職としてやるべきこと、やりたいこともある。
悩んでいた頃、自分がチームの責任者として取り組むべき且つ穴を空けられない仕事の予定が見えてきます。この仕事は、数日間は夜も含めて確実にオフィスに出社しなければなりません。
「これは大変だけどやりきろう!」とチームメンバに声をかける私の裏側で「あの、かくいうあなた、ご自分のお家の調整は大丈夫なんですか?」ともう一人の私がプレッシャーをかけてきます。
頭であれこれシミュレーションしますが、子どもに全部をお願いする方法しか思いつかず、どうしよう、さすがに親としてどうなんだろう、と気持ちが焦ります。(「こういう時に人に全然頼れない性格」で「一人が大好き」な「ひとりっ子」の弊害が確実に出たケースです、失笑)

夜でも鍵が空いている我が家

ふと振り返ると、親が認知症と診断されて以降、家を1日以上不在にすることが2年ぐらいなかったことに気が付きます。母は家にいたがって出かけないので、会社で取得している夏季休暇もせいぜい子どもと日帰りに出かけるのみで、いつも遅くとも19時までには家に帰らねばと、母のことを考えて焦っていた気がします。

その頃、子どもから「遠方にいる友達とどうしても会いたい!」とリクエストがあり、一緒に新幹線で集合場所の近くまで付き添いで来てほしいと言われます。私も、久々の遠出のチャンス!と思ったので、「おばあちゃんのことがあるから、日帰りになるけど大丈夫?」と確認し、日程を組みます。この日は、早朝出発で、帰宅は頑張っても21時ごろ。1日ぐらいは大丈夫かな、とたかを括っていました。
母には、昼ごはんや夜ごはんになりそうなものを置いていき、全て大きくメモに書きました。ダメ押しで、玄関のドアの内側にも「今日は出かけます。21時ごろ戻ります。家のロックだけはかけずにおいてください」とデカデカと紙を貼り、考えられる対策は全てして出かけました。
当日は強行スケジュールながら、お土産を抱えて楽しく帰宅したところまでは良かったのですが、玄関で鍵を開けようとすると、そもそも鍵が閉まっていない状態です。おそるおそるドアを開けると家中が真っ暗で、母はすでに寝ている様子。子どもと二人でゾッとします。
「え、鍵しまってないじゃん。」
平和な国、ニッポンに感謝しかありません。
朝、ベタベタと玄関ドアに貼った注意書きの紙も雑にちぎり取った跡があり、ゴミ箱にぐしゃっと捨てられおりました。そこから怖くなり、夜に家を空けられなくなります。

顔から血を流す母と青ざめる子ども

どうにも、ちょっとした事件は続きます。
休日に買い物で1時間ほど私が自宅を空けていたときのことです。普段通り、重い荷物と一緒に帰宅すると、玄関ドアの外側に新鮮な血痕がいくつかついています。まさか何かあったのかと思ってドアを開けると、廊下にも血がついたタオルが落ち、血痕が洗面所までポタポタとついています。

何があったのかは謎ですが、母は玄関先で転倒したようです。ティッシュを当てながらもおでこから血を流した状態で「なんかよくわからないんだけど血が止まらなくて」と言っています。子どもも「おばあちゃんが、おばあちゃんが、、、いきなり血流してて」とパニクっています。

結局、急いで休日診療の病院を探し、おでこの傷を縫合してもらいました。肝心の本人は何も覚えてないんですよね。「私はなんで病院にいるのかしら。なんで血が出てるのかしら。早く帰りたいんだけど。」なんて言っていて。冷や汗をかいた瞬間でした。

一連の身の回りの出来事をきっかけに、このままで良いのだろうかと思い始めます。特に母の怪我については、もし私が、通勤に1時間かかるオフィスに出社していた時に起こっていたとしたら、と考えると恐ろしくなってきます。子どもも10代とはいえ、まだ自分で全て差配できるわけではない年齢。老人ホームへの入居を考えた方が手数の少ない我が家には良いかもしれない、と気持ちが一気に傾きます。

子どもをヤングケアラーにしたいですか?

純粋に人口が少ない我が家。仮に私まで倒れると、祖母と母親の2人の面倒を見るのは、子どもになってしまいます。そろそろ「親」と「子ども」どちらの人生をより大事にするかをいよいよ選択をしなければならないタイミングかもしれない、と思いました。
私自身のスタンスとして「人生のどんな選択の場面においても、『将来のある子ども』を優先にまず考える」と子供が生まれた時から決めていたはずのなのですが、こと、自分の親の介護となると、子どもを優先する選択をした瞬間、「自分の親を捨てることになる」との妙な思い込みがありました。そんな選択をする自分の罪悪感が嫌で、曖昧にしてごまかしてきたのだと思います。

「あなたは子どもをヤングケアラーにしたいですか?」
「今は、幸いにも、母を老人ホームに入れることによって祖母の介護を孫が背負うリスクを下げる選択肢が取れる状況にある。それでもあなたは在宅介護で頑張りますか?」
と自分に迫りました。決断は重かったですが「『私は親不孝ものかもしれない』という自分の感覚が拭えなくても、母には施設に入ってもらおう」と決めました。

あとは「いつから」入ってもらうかです。しかも、本当に入ってくれるのか、という問題もあります。だいぶ長くなりましたので、入居の前後のあれこれはまた次回!

色々と書き出してみると、当時は、なんでも極端に考えて自分を思い詰めていたなと思います。いろいろな思いは今でも抱えていますが、ガッツリと外の力を借りることで安心が得られているので、我が家においてはこの選択をして良かったと思っています(お金はかかりますけれど、、)。

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