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退職の花束
夫が規定の半年を残して退職した。38年の勤務をねぎらうにはあまりある温かい言葉と、みたこともない大きな花束とともに惜しまれながら。
2017年に仕事のことで大きな失敗があり、他人から痛めつけられ、自分を責め、夫は運転して職場に行くことが出来なくなった。それからほぼ7年半、気がつくとわたしは毎日、朝と晩に職場への送迎をしていた。
普通に教会の行事や、子ども達のことや、単純な買い物などではどこまでも運転する夫だけど、本当に辛い日々が続いていて、仕事に行きたくなかったのだと思う。
それが一昨日で終わった。
そして人生の壮年から老年期、ほぼすべての日々を費やした職場に別れを告げたにもかかわらず、また似たような仕事について、フルタイムで昨日から働いている夫に、わたしは言いたい。少し休んだらいいのに、行きたいことろに行き、やりたいことにお金をつかったらいいのに。ギターを買うとかじゃ無くて、もっと自分に大きなご褒美あげたらいいのにと。
それとも何ですかい?自分のシャツ一枚買うのをためらう夫の家族愛が、すでに独立した子ども達でなく、わたしが独り占めしている?とでも……
いやいや違う。
何でもかんでも背負い込む体質だから、わたしという大きな重荷を背負いながら、子育てに協力し、教会のこともなんとかこなして、さらに頭を下げながら象牙の塔の中で我慢して我慢して過ごしてきたことで、知らないうちにがんばって働いてしまうのがもう普通になってしまっているんじゃないかな?
わたしの父も生涯現役を通した。仕事を辞めたあと数ヶ月後、大動脈解離で上から下まで血管が裂けて手術、そこから回復して、家を売って札幌に出てきてこれからというときに、扁平上皮癌が見つかって余命三ヶ月。82歳で大往生といえばそうだが、激しい痛みに愚痴一つこぼさず亡くなっていったのを見ていたわたしとしては、それでお父さんの人生は良かったのかなといつも考えている。
だから夫に働いてもらうのは、おんぶにだっこの生活となったわたしには、本当にありがたいのだけど、複雑な気持ちなのだ。とにかくこれからも心と体の健康だけを祈る日々になりそうな予感がする……。
あなた、がんばりすぎないでね。だ・か・ら
シュリンクのヨワイ先生の言葉を最後に書いておこう。
「理解できたからといって、心が平気なわけではありませんよ」
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