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歌川広重 / メトロポリタン美術館
すべての物はきよい
食べ物のことで神のみわざを
破壊してはならない。
すべての物はきよい。
ただそれを食べて人をつまづかせる
ものには悪となる。
(ロマ書14章20節)
ロマ書のこの部分は仏教からお嫁にきた私にはよくわかる。
結婚した頃、親戚の集まりで伯父から「これからは毎日、聖書を持って一軒一軒回るのか?」と聞かれた。答えに窮したのは、私がそんなにキリスト者の嫁になったことを意識していなかったせいかもしれない。
夫と出会ったとき似たようなことを考えた。でも大学時代の友達とサバ缶一つで飲み明かし、酒の席で同席した女子に粉かけてきた相手と殴り合い、献血6リットルの手帳【表彰の盾もあった】を持っている彼を知れば、おのずといろんな不安や疑問は払拭された。
「キリストは大酒飲みの大工だったんだよ」とお酒を肯定して明るく笑う夫だが、戒律を気にする人たちの前ではきちんとわきまえている。
イスラエルに行ったとき、宗教家達の泊まるホテルに宿泊していた。たまたま昼に配られた日本食のお弁当に豚肉のシュウマイがはいっていたので、ホテルを出て公園で食べたのを思い出す。もちろん血抜きの肉しかないビュッフェでも美味しそうに食べる夫に今も惚れている。
この部分は特に、異邦人に伝道していたパウロの苦労が忍ばれる。あるときは食べ、あるときは食べない。人を躓かせないことが伝道の基本なのだと解釈することもできるが、私にとってこの聖句は「神様は戒律を超えて働く」ということなのだと思っている。
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