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祝福



月にいちどニ時間会う。
これを1年。

トータル24時間の逢瀬。




まやかしの空間に浸る過程で芽生えた感情。ビジネスライクというにはあまりにも心が揺れすぎた。

その輪郭のぼやけたなにかをなんと呼べばいいのか。

それはどうやら恋らしい。
いや、名前なんてつけなくてもいいのかもしれない。

その形の定まらないなにかは、由鶴の感情のひだをこまめに刺激しては身悶えさせた。



それは柑橘の強炭酸が喉を駆け抜けるような刺激。

瞬間的で持続性のない、それでいて後味として爽やかに残るほのかな苦み。そういう刺激。




終盤、スタバと大阪城を舞台に描かれる、切なさの割にさっぱりしている感覚はそういう刺激に似てる気がした。

後ろ髪をひかれない刺激。
締めの刺激。



ひと月二時間、課金分の恋。
サブスクの恋、完パケの恋。


相手の心を買ったのではない。結局、自分の心を買ったのだ。


受け手の想像がすべて。
そんな、まぼろしのような恋。




それでも由鶴は恋をした。
やっぱり由鶴は恋をした。


宇治という名の幻影は由鶴の心にまぼろしを残し、二時間きっかりに消える。

由鶴にうごめくまぼろしは、ことあるごとに顔を出す。


書きながらおもう。
この世に蔓延るどの恋も、まぼろしを追いかけて、現実とともに去ってゆく。果たして、由鶴の恋とどれだけの差異があるというのか。



改めておもう。やっぱり由鶴は恋をしたのだ。

恋は乞い。相手を乞うたらそれは恋。


なんのお話?ヱリさんの『大阪城は5センチ』のおはなし。



感想を書きたい。長く、だらだらと。
まとめもしない。端折りもしない。
読み物として成立させる気もない。

ただ、ぜんぶ、書く。


書きたいことは全部書く。
思いつくまま全部書く。

敬意を込めて全部書く。

ぜんぶ、書く。




冒頭、恋恋恋恋と散々書いといてなんだが、私はこのおはなしを恋愛小説としてはとらえていない。

じゃあ、どんなおはなしとして読んだのか。

つらつらと書く。



主人公の由鶴の視点で描かれる『家』『お金』そして『恋愛』。これらは各々、対応関係になっていたり対比関係になったりしている。

例えば『結婚』には『持ち家』が対応していたり
例えば『風俗』には『サブスク形態の家』が対応していたり。

そして、現実(リアル)と仮想(イメージ)の対比関係。

このように様々なメタ関係を軸に書かれた巧緻な文学は、隙間なくびっしりと締まっていてバラけることなく最後に一気に収斂する。



読んでいて思うのは由鶴はいたって普通の女性だということ。

ただ、由鶴は繊細な感覚で人間をよく観ている。彼女の鋭敏な感覚と思考により紡がれるこの物語の妙味が、そのまま彼女の個性として煌々と輝く。

普通の女性のはずなのに、物語を読み進むにつれてしっかりと浮かび上がる彼女の個性。


そんな由鶴の周りをさらにバラエティ豊かな面々が彩る。

若くしてマンションを買った多部ちゃん。
保育士の夢を捨てて家を手に入れ、家を手に入れたことで恋を失う。夢と金と恋人を代償にして手に入れたマイホーム。多部ちゃん

そしてターバンを巻いていて、やたらでっかい印象のあるマカロニ。マカロニはわたしのイメージではクロマティ高校の『前田の母』

前田の母©️野中英次/講談社『魁!!クロマティ高校』


前田の母©️野中英次/講談社『魁!!クロマティ高校』




そして宇治。いや、氏久。

まごうことなき普通の人。そんなイメージ。セラピストの職につくという外れ値を叩き出しても、トータルするとやっぱり『現代日本の青年はこう』のベルカーブのど真ん中に分布する男性。ベルカーブど真ん中男。

何かが満ち足りていない。そんな感じがする。そして、きっと、多感すぎて不器用。


「宇治を演じている」不器用な氏久からは絶えず氏久がこぼれていたのではないのだろうか。


宇治と氏久。『うじひさ』を半分隠してできる〝うじ〟。同様に氏久から『ウィークポイントを隠し、取り繕って』こうありたいと思う自分。氏久が目一杯背伸びした姿が宇治のような気がしてならない。

宇治は氏久の〝部分集合〟でしかないということ。

そういうふうに出来上がっているのが宇治なのだとすれば不器用な氏久にも案外演じやすかったのかもしれない。

ただ、いずれにせよ『宇治』は氏久の向いているベクトルにはからなずいるということ。

頭に浮かぶまま書き続ける。


由鶴の心はだからこそ揺れたのではないのだろうか。


そして、由鶴はその繊細な感覚で、宇治が自分を見ていないことにも自覚をしていたような気がする。

それでもセラピストという幻想をかろうじてみれた由鶴。淡い期待も抱く。

わたしは読みながら、なんとなく氏久の心の揺れ幅は由鶴の揺れ幅よりも、ずっと小さかったのではないかと感じていた。

もっというと、微動だにしていなかったのではと踏んでいる。

氏久は恋になぞ落ちていない。
わたしはそう思っている。


氏久の現実は、由鶴との空間でも綿々と続いている。

氏久の目線で見える世界にはまぼろしなどない。
あるのは不器用な自分が必死に足掻いている様だけ。由鶴との二時間は取り繕って宇治を演じている哀れな自分をただ眺めるだけの二時間。

氏久は宇治を演じている時も、氏久のままなのだろう。宇治にはなれないのだ。

氏久は由鶴に恋をする余裕もなかったのではないのだろうか。
氏久の前にいるのは、氏久にとっては冴えない客のひとり。
自分を、いや、宇治を好意的にみてくれる、ある種のまやかしをみせてくれる客のひとり。

氏久は自分の内面の評価を低く見積もっていたのではないかと。『宇治』は好きになってもらえても、『氏久』はどうだろう。なんて考えていたのではないのだろうか、なんてことを今、物語を振り返りながら思う。

しかし、それでも氏久は自分の見てくれには少なからず自信があったのではないのか、とも思う。


だが、宇治はしょせん、宇治でしかない。
断片の集合体。その余白を埋める由鶴がいて初めて像を結ぶ存在。氏久の虚しさはそういうところにもあるのかもしれない。

比較的好意的に氏久を解釈してみた。


そうじゃない可能性はぜんぜんある。

「なんかいつもと違う街って感じ。おれ雪だいすき」

大阪城は五センチ《1》より

神社とか寺で、願い事って基本せえへんわ。あそこって、御礼おれいを言うとこちゃうの?

大阪城は五センチ《11》より

宇治のこのセリフを信じたい。

由鶴。
外見に少なからず劣等感を抱いているようなきがする。セラピストがもたらす甘い完パケの世界を買う。財力で劣等感をカバーし、宇治と対等でいられるメンタルにもっていっている。

ただ、内面的な自己評価は決して低くはない感じがした。

外見の自己評価が高く、内面の自己評価が低い氏久と、
外見の自己評価が低く、内面の自己評価が高い由鶴。

対極に位置するふたり。そして、互いに不安定。


自分のベースが不安定という流浪者みたいな焦燥感を抱きながら出会った二人。そんな二人のどこか物哀しいような、現実と断絶しきれなかった、ちょろちょろと地続きな女風の時間。

幻想を生み出し、まやかしの自分を求められて、リアルの自分とのギャップに途方に暮れる氏久。
幻想女風の時間に現実が干渉しても、現実に幻想が干渉することはさせない由鶴。


そんな二人が各々、自分の持つ現実で必死にあがき、自分なりの人生を築いてゆく。
そういう物語として楽しんだ。



ピンクの象は幻覚の象徴だという。
ピンクのマレーバクはピンクの象だったのかもしれない。

おかねも、こいも、
すべて、まぼろし。あまいまぼろし。

あまいまぼろし。








おもいきって頭から気に入った箇所抜き出して書き連ねてみようかな。

ずっしりと垂れるカーテンの割れ目に指を差し入れる。そっと開いて顔を寄せると、朝からなまり色にたわんでいた空の底がとうとう抜けて、いちめんぶちまけられるように白い雪が降っていた。

大阪城は五センチ《1》より

こういうの。読みながら喜ぶ。
なんだかパンパンに張ったシーツを内圧でぶち破ったコットンみたいな牡丹雪を想い描く。積もるやつやなぁ。世間の音を吸収する、静かな風景。


両手にそろいのマグカップを持って宇治がこちらに戻ってくると、寝そべらされていたときよりもよっぽど、体のすみずみまで潤んでいくような心持ちになった。差し出されて手を伸ばし、受け取ったカップにくちびるをつける。猛々たけだけしいアールグレイの湯気が、勢いよく押し寄せる。

大阪城は五センチ《1》より

由鶴の心が宇治との空間で、どのような満たされ方をしているのかがわかった気がして。〝寝そべらされていたときよりもよっぽど、体のすみずみまで潤んでいくような心持ちになった〟由鶴よ、わかるぞ……と、ボディペイントでベッド脇の観葉植物に擬態しながら見守る私がいる。

四十を目前にして、わたしと言う人間にまっとうな自信をあたえてくれるのは、仕事でも家族でも自分自身の個性でもなく、もうすぐで一千万に届きそうな貯金だった。漠然と始めた預金は歳を重ねるごとに拠り所となり、特に宇治に会うようになってからは、分不相応だと 俯きそうになる自分を正当に奮い立たせるために、無くてはならないものとなっている。

大阪城は五センチ《2》より

宇治と自分は分不相応だと感じている由鶴。ここから思い描いたのは単純に宇治の端麗な容姿と、由鶴にとって自信が持てない自身の容姿。きっと分不相応に感じる理由は枚挙に暇がないのだろうが、ここで強く感じたのは容姿のこと。そんなことはどこにも書いてないのにそう想像している。


この貯金が形あるものに変換されてしまったら、例えそれが資産であったとしても、礎を失くした気持ちになりかねない。貯め込んだものは貯め込んだまま、頼もしい七桁の数字の姿として、側にありつづけて欲しいのだ。

つまり、わたしは家を買いたくないと言うより、預金残高を失いたくないねんな。

大阪城は五センチ《2》より

預金残高が目減りするときの物悲しさは私自身、毎日味わっている。ドラクエで毒のゾーンを歩いてるときのHPのようにぐんぐん減っていく。息をするたびに容赦なく。増えたと喜ぶ私を嘲笑うかのように倍の速度で減るという…。ああ自信を与えてくれる預金残高がほしい。


同年代の女性と自分を比べ、あまりに自信を無くした時には生活費の一部を預入れることもある。貯金というより課金と言った方が相応しいのかも知れない。お金を積み立てることはわたしにとって、「わたし」の育成ゲームみたいなものなのだ。

大阪城は五センチ《4》より

現実の自分はどの方面も育成できていない停滞感があるが預金通帳というある種仮想空間の数字を育成することにアイデンティティを見出す由鶴。

育成ゲームという表現。積み立てる行為に安堵はあっても達成感が感じられず、どこか無感動さを感じて由鶴のがらんどうな心を想起させる。


微動だにしない人々から視線をそらし、もう一度目を瞑る。うっかり宇治の顔が浮かんでしまったので、(かみさま。たまたま表示されてしまっただけで、願っているわけではありません)心の中できちんと伝えて、照明を絞るように、まなうらの景色をゆっくりと暗闇に戻す。

大阪城は五センチ《3》より

うっかり浮かんだ宇治の顔。たまたま表示されてしまっただけと釘を刺している。案外これが本音中の本音なのではないかとおもっている。宇治に対する由鶴の心理を考えるにおいて外せない一文だと思っている。



手招かれてキッチンに行くと、シンクでとぐろを巻く林檎の皮と三角に切り落とされた種部分を、多部ちゃんが排水溝にかき集めている。ふたをすると、モーター音がし始めた。水道の水を流し「三十秒です」多部ちゃんが言うので、よくわからないまま頷いて、胸の中で数をかぞえてみる。

二十八、と思ったところで音が止んだ。

水をとめ、ふたを開けると皮と種が消えている。え。思わず声を漏らすと、静かに興奮した顔で、多部ちゃんがわたしを見た。

「ディスポーザーです」 
「すごい」
「生ごみを粉砕して、流してくれるんです。貝殻もいけます」
「へえぇ、すごい」

大阪城は五センチ《3》より

好きなシーン。
私もこんなことよくやってる。スマホでストップウォッチ5秒チャレンジとか。たまにピッタリがくると逆に怖くなるという。


排水溝のふたを閉める。身じろぎもせず、林檎の切り刻まれてゆく音に、ふたりで耳をかたむける。

大阪城は五センチ《3》より

このシーンも好き。私も一緒に耳をかたむけたい。私のときだけ大きなラップ音がなりそう。

「あなたは、耳をかたむける側ではありません。さぁ、はやく頭からディスポーザーに」って感じで。




暗いと思ったことを見透かされた気がして、どきっとしながら顔をあげた。カウンターキッチンの照明を脳天に浴びた多部ちゃんが、四角にくり抜かれた壁向こうから地縛霊みたいな顔色でこちらを見ている。

大阪城は五センチ《4》より


電車が走り出してからもぼんやり正面の窓を眺めていると、トンネルに入ったところでいきなり自分の顔がガラスに映った。頬のうっすらと下がり始めた女の顔に覇気はなく、まるで本物の地縛霊のように見える。

大阪城は五センチ《4》より


男の横、ドアの近くで路線図と車内案内板を見比べる男の子たちは、中国語で表記された路線図を開いていた。背の高いほうの子の後ろ姿がほんの少し宇治に似ているのを見て、来月の予約を入れようと思い立つ。

自分のスマホに目を落とし、指でつついたけれども反応はない。いつの間にか充電が切れていたらしかった。地縛霊、ここにもおるやん。思ったけれど、今度はちっともおかしみが湧いて来ない。暗くなった画面に映る、途方に暮れたような自分の顔と見つめ合う。

大阪城は五センチ《4》より

この地縛霊のやつ。
家そして結婚に囚われた地縛霊の田部ちゃん、宇治に囚われた地縛霊の由鶴。
これも好き。

私も娘という背後霊に取り憑かれて、おんぶションをかまされます。




この人を好き。

青ざめながら思う。

セラピストが連れてくるのはゴールではなく、四方から溶けて足場の刻々失われていく、流氷の上だったのかもしれない。呆然と氷に膝をついて突っ伏して、「この人からも、好きになられたい」打ちのめされたように願った瞬間、ぐらりと頭から海に落ちた。名刺を隠していたカタログを体から離す。

『大阪城は五センチ』のなかで私的にいちばん印象的な文章。



のどかな顔つきで切実に囁ささやかれ、けれどその声の中に、施術の時にだけ聞く焚きつけるような響きも混在していることに立ち眩くらんだ。会場のざわめきとホテルのしずけさが、揚げ物や粉物の入り混じった俗ぞくめいた匂いと熱い紅茶の雅やかな匂いが、服を着ている宇治とパンツだけの宇治が、記憶の中で複雑に絡まり合い一緒くたになっていく。どこでもない世界と、わたしのいる世界が、容赦なくつながって元の形を失い、裏返って放り出され、見たことのない風景だけが広がる場所に立ち尽くす。

現実と幻想の汽水域。あらゆる感覚が麻痺し、思考の軸を見失うような感覚を読みながら味わう。




わたしの名前を、意識して見ないようにしたのだと分かった。
さっきまでは何があっても見られたくなかったものであるのに、いまは見ないようにされたことが悲しくてたまらない。

この心の機微。この瞬間は恋。


ふと黙り込んだ宇治がこちらに寄り、布団ごとやわらかく抱きしめるので何事かと思ったら、二時間が終わっただけだった。

消えていかないものが欲しい。

思いながら、宇治の体に初めて体重を預けてみる。肩越しに見ている偽物の南国の部屋が、少しずつ滲んでいく。

大阪城は五センチ《6》より


〝偽物の南国の部屋が、少しずつ滲んでいく〟
とうとうこの文章で由鶴の感情が私の脳にダイレクトインしてくる。俺の視界もあれ…滲むなぁ…老眼ですねわかります。シンクロ涙でそう。



首をかしげた赤べこみたいな動きで話し続ける女

大阪城は五センチ《7》

この不動産屋の女が横澤夏子で脳内再生。

この不動産屋の女とのやり取りではからずも由鶴は〝わたし〟が消えかかっていることに気づく。

家も金も恋も、そして、自分も消えてゆきそうな由鶴。


二月だと言うのに蝉の鳴くような声がする。見回してみると、高圧洗浄機の音だった。商店街から住宅地につながる細い横路地で、猫背の老人がライフルのようなノズルを構えて、ブロック塀を掃除している。水が相当はね返るのだろう、老人は丈の長いレインコートに長靴をはいて、溶接マスクまでつけている。横路地の入口で足を止め、先に見物していた女たちに混ざって、掃除のようすを見守った。

大阪城は五センチ《7》より

ふやけた焦げをヘラでなぞるように、端然と苔がはがされて行くのを見るのは楽しかった。水が止まり、女たちが拍手をしたのでわたしも盛大に拍手を送ると、高圧洗浄機を大儀そうに持ちあげて、老人はこちらには目もくれず、さっさと家に入って行った。

大阪城は五センチ《7》より

個人的に読んでて楽しいが大爆発する文章。『高圧洗浄機で壁の苔を駆逐する老人』『高圧洗浄機を勧める女』『勧められる女』そして由鶴。買ったらいい、買ったら邪魔くさい、買ったら便利、あのひとは持てるからあんたも、爆噴ノズルで苔を吹き飛ばす老人。

物語の一側面を縮小したようなシーン。

猫背の老人が溶接マスクにレインコート、ライフルのようなノズル構えて水ぶっ放してるんだから長靴はもう軍用ブーツに補正されて脳内再生される。なんだか実演販売の一コマみたい。当然私も一緒になって盛大な拍手。もしその場にいたら財布だしているにちがいない。

盛大な拍手のあと、由鶴の心境に変化がおきる。

【Before由鶴】
ホルモン揺らしながら、もたもたと歩く。
  ↓
壁洗浄を眺めてながら寝袋たちのおしゃべりを聴く
  ↓
【After由鶴】
牛舎から脱走した牛みたいな、すがすがしい気持ちになっていた。よく見たら天気もいい。日もまだ高く、ホルモンもある。どこまでも歩いていけそう

もう、ホルモンにすら表情を感じる。
しょんぼりホルモンがにこにこホルモンに。

おひさまも笑ってる、ホルモンも笑ってる。
由鶴も笑ってる。

俺も笑ってる。


にこにこホルモン振り回している由鶴のスマホの検索画面には 〈家 いらない〉の文字。

このあとのたい焼き屋のくだりがこれまた由鶴の心境がよくわかるシーンで好き。自分の輪郭をたしかめるように最初の一歩を踏み出した感じが、ワクワク感がダイレクトインしてくる。


マカロニさん、齢60。
生家を飛び出して転々と居住地を変え、現在は生家にもどり家を『ネイバーベース』という住居サブスクに登録している。

マカロニさんは世界中をまさに住居サブスクのように転々としてはいたが、詳細はどうあれ、帰る家を物理的に持っていた人、ということになる。

自分の家、且つ、サブスクの家。

『お母さん』になりたくて、ネイバーの家主になってん

大阪城は五センチ《9》より




「どう」
「泥みたいです」
「飲むの下手やな」
「でも甘くて美味しい」
「そうやろ。上澄みだけ飲むねんで」

大阪城は五センチ《9》より

〝どう〟って訊かれて〝泥みたいです〟は勇気の一言。他民族間なら戦火の火種になるやつ。素晴らしいパンチライン。脳がおどろく文章。こういうのがたまんない。




読みながらずっと考えていたことがある。
宇治の顔がうっかり浮かんだ『うっかり宇治』のくだり、
そして古墳の堀にある参拝所にて(願うことが、無いわ)からの〝会いたいなぁ〟
コーヒー占いの際に脳裏に浮かび、消えてゆくもの。二世帯になった家、預金残高の数字、宇治の顔。

未来は自分の手でつくりたい。神の力だのお告げだのに沿って動きたくない。だから由鶴はおみくじや占い、神頼みにも興が沸かないのではないか。自分の手で土台から、ゼロから創り上げていきたいというマインドが由鶴の根底にはあるのではないかと。

すると、次の由鶴の言葉。

ほんまに正直に言うと何も占いたくないです。いまのわたし、何占っても多分、いい結果出るわけがないから。何かを願うのも嫌なんです。叶わへんから。というか、叶わへんことを、受け止める度胸がないから

大阪城は五センチ《9》より

全然違ったw恥ずかしい。

んっ?「願っても叶わない」っていうのは裏を返すとそんなもの、信じていないってことなのかな。ここの受け取り方はやはり繊細になる。

望まずに、ただ流れてくるものを享受するだけの人生を送ってきました、とも取れなくもない。

そんな人生から抜け出したい。由鶴の悩みの源泉をみた気がした。


マカロニさんは由鶴との短い交流で、占う直前まで丁寧に由鶴を観察をしていたのでは、とおもっている。
そして、コーヒー占いの結果は占いのようで、マカロニさんからのアドバイスだと。


由鶴は願っていた。〝消えていかないものが欲しい〟と。


マカロニさんは言う。

創ったものは無くならへんからね。形があってもなくても、じぶんで創りあげたものは消えへんの。

大阪城は五センチ《9》より


そして終盤、由鶴はしっかりと現実を見据え、自分の手で人生を歩み始める。


読了後に慌ててなめネコのがま口をじゃららとばら撒いて、ととくさと積んだ。

ほっそいタワー。銀色と銅色が貧乏臭い。ソロっと建てた貧乏タワーも、娘の指で大倒壊。

お似合いすぎて涙がとまらない。




ヱリさん創作大賞受賞おめでとうございます。

自分ごとのように嬉しいです。
人生で味わったことのない喜びを感じています。じんわりと静かな喜び。

ヱリさんがこの物語を紡ぐのに費やした時間を想います。一文一文がどれもヱリさん特有の味があり、どこを切り取っても味わい深かったです。
おかげで読んでる時間はずっと至福でした。


さいごにもう一度、敬意と祝福を込めて

おめでとう、おめでとう。



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