すんどめも信じた道をいく(3)緑園にて、岩を抱く
多宝塔が天高く飛んでいくのを見送った後、すぐそばにある宝篋印塔2基を肉眼で確認する。
宝篋印塔
亀谷禅尼供養塔(左) 源頼朝供養塔(右)
こうも何度も宝篋印塔を見ていると、宝篋印塔にも親しみというものが出てくる。「おっ、宝篋印じゃん」「でた、宝篋印!」「ダブル宝篋印キターー!!」覚えたての単語を嬉しそうに略す。新しい口の動きが、新鮮な記憶となって脳に刻まれる。
こういうささやかな〝お遊び〟が私の人生を豊かにしてくれると信じている。
2基の塔をマジマジとみながら「宝篋印」って苗字、なんかカッコいいんじゃない?なんて思い、架空の名前を考える。下にどんな名前がきてもいけそうな気がする。宝篋印のぶお……ダメじゃん。のぶおは苗字ブレイカーだな却下。名前もやっぱりカッコよくないとダメか…そして、あれはどうだこれはどうだと考えているうちに、だんだん「宝篋印」という苗字もさしてカッコよくないのではないかと考え直す。
全国のノブオに土下座して謝った方がいい中年男の脳みそは無駄な事しか考えない。さらに脳は続ける。
漢字三つの苗字ってカッコイイやつ多い気がする。ジョジョに出てくる「花京院」とか、「鬼龍院」とか。とかく院系は雅。華族感がハンパない。姉小路、綾小路、などの小路系も同様に雅オーラを放っていてカッコイイ…あと「十文字」「東久世」とか…。
逆に、漢字三つでカッコ悪い苗字作れないものか…「恥乱淫」「尿ヶ崎」「下痢林」…なるほど、これは先祖を怨むレベル。三文字=かっこいいではないということか。またひとつ賢くなったとケツを掻く。
「院」がつくとだいたいカッコよくなるけど、この院を台無しにするような字面ってなんだろう…貪欲な探究心が止まらない。「屁」あたり入れるとどうだろう。
屁京院、鬼屁院、屁龍院…台無し…じゃない気もする。屁が尼に似てるからだろうか。そしてやはり院パワーが為せることなのか…院パワー…恐るべし!
「尿」はどうだろう…って……どうだっていいか。
花尿院、血尿院、尿道院、快尿院……なんだろう…「尿観音」とか「大日尿来」とかがいそうな寺院みたい。
尿のお悩みに御利益があり〼。
尿を制す者、人生を制す。
腎の道は仁の道、仁の道は人の道。
《尿観音ゆかりのお寺 快尿院》
夜尿症なら秒で治りそう。ただ、雅さを打ち消す力は並いる漢字の中ではトップクラス。「尿」「屁」「淫」の字義が持つ破壊力に驚く。
平日の真っ昼間からごにょごにょと一人、喋りながら宝篋印塔の前。
ようやく立て札に目をやり、ビッグネームに声をあげる。
「おお、武衛(源頼朝)の供養塔じゃん!!」
頼朝ってさんざん石山寺に寄進してるし、そりゃ供養塔の一つや二つ…と納得する。
ただ、重文なのはそのお隣さんの亀谷禅尼供養塔の方。この亀谷禅尼は頼朝の娘の乳母。石山寺の再興を頼朝に働きかけている。のちに出家して石山寺に入る。なるほど、供養塔も建つ。
どうやら亀谷禅尼の方が鎌倉後期〜南北朝時代で頼朝はそれより少し時代が下るらしい。
直感に反した事実に驚きながらも、そういう風に下されている重文判定の厳密さを感じて、「むふぅ…」と感嘆の吐息が漏れる。
宝篋印塔からちょっとだけ離れたところに馬鹿でかい石塔が見える。
『めかくし岩』とある。
めかくし岩(六十六部経塚)
立て札の説明書きを読む。
ねがいが……かなう…だと……。
目隠しをして抱くだけで?
なにこのチンして拭くだけみたいな手軽さ…
昔行ったことのある、地主神社の『恋占いの石』って離れたところから目を閉じて歩いたし……。
本当に目隠しして抱くだけでいいの?
不安が走り出す。
手軽過ぎて不安。
手軽過ぎる手軽過ぎる手軽過ぎる…
手軽過ぎて、不安。
遠くでケェーーっと山鳥が啼いた。
「離れたほうがいい気がする」「どうせならしっかり離れないと」「ズルはしませんぞ」めかくし岩からだいぶ距離をとる。「ハンデもつけなきゃ」とぎゅっと目を閉じて、その場で10回ほどぐるぐるまわりだす。
い〜ち、にぃ〜い、さぁ〜ん、しぃ〜い……
……キュ〜う、じゅっ(呪)!!
完全に世界を見失う。
岩の場所のアタリもつけなれない……これは…難儀っ!!!!
常闇の世界にそろ〜っと踏み出す。重心がとれず、膝が惑う。
崩れそうな体をクッと踏ん張る。なんで……なんでまわったんだろう…おれの……ばかばかばか……。
ひたすら前をまさぐる両腕はたしかな基準を見失い、うつろな指先を頼りなく伸ばす。勝手に課した枷により、バランスが取れなくて足取りもおぼつかない。
元気よくまわった回転の余韻が体を捻じろうとする。まっすぐ歩くってむずかしいね……。
離れて見ていた老夫婦のアツい視線を背中にビンビン感じながらも、ブンブンとクワガタのように両手を動かして岩を探索する。
三半規管は狂い、目をつむっていてもぐわんぐわん世界が揺れる。上半身はヘソを軸に、倒れかけのコマのようにふらふらとぐらつき、見えない恐怖で歩幅は小刻み。歩く速度は秒速5センチメートル。
どこだろ…どこ……。
ざわっ… ざわっ…。
どこだろう……。
ざわ… ざわ……
ざわざわ…。
えっと…お……おれ…どこ歩い いる ん だ
て ろ
う。
目を開 けた ら異
次 か
元 と い や
だ
な
あ。
ざわざわ…。 ざわ……
ざわざわ…。
あんちゃん、石なら真逆やで!そっち柵やで!!
嗄れた声がカットインしてきた。
えっ?…マギャク…ソッチサク???今、私に誰か話しかけましたか……お姿は見えませんが…もしかして……神様!?
神様の御声のままに180度ヨタヨタと軌道修正する。神様…これでいいのですかね……もう…何もわからない…フラフラと体を揺らしながら、ゆっくりと進む。
もうそろそろのはず…もうそろそろ……!!!!?
おろおろ伸ばした指先に、冷たい石の感触を感じる。
「とった!!!!」
両腕を、鞭のようにしならせて、手に触れたものを抱きしめる。敏捷なること、小銭を拾う守銭奴の如し。
願いを込めてぎゅっと抱く。
(頭が良くなりますように)
すんどめ…あなた、いったいなにを抱いているの…それ……
ゴーストが囁く。
それ、ほんとうにめかくし岩なの?
急に怖くなる。
恐る恐る目を開ける。
うお、まぶしっ!!
輝く緑が眩し過ぎる。目を細めつつ、じんわりと光あふれる世界に戻る。
ハレイションでおぼろだった輪郭が徐々に顕になる。顔をうずめて、しっかりとめかくし岩を抱きしめている私がそこにはいた。
水気を帯びた苔の匂いが風に乗って鼻を抜ける。
冷たい石の感触が、不思議と優しい。
そんな私の様子をにこにこしながら遠巻きに見ていた老夫婦。
たぶん、神様。
私が岩から離れると間髪入れずに、おばあさんが無邪気にヒョイッと目を閉じて岩を抱いた。
「えっ!?」
ですよね…ですよね…ですよね…ですよね…
それでいいんですよね〜!
老夫婦はそんな私を横目に変わりばんこで、岩に抱きつき、スタスタと坂を登っていった。
岩を抱きしめた喜びを胸に、立て札を意味もなく何度も読む。
どこにも離れてなんて書いてはない。
それはわかっていたんだけど、なんとなくそうしたかった。
そっちの方がおもしろそうだったから。
私は、順路通りに歩きだした老夫婦の後ろを、ちょっぴり間隔を開けてふらふらと続く。
そして今開催されている『石山寺と紫式部展 紫式部をめぐる人々』を観覧するため、豊浄殿へと足を運ぶ。
続く。
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