自分の人生を考える。
考え方は変わっていく
大好きな苫野一徳先生の「勉強するのは何のため?」の中にある、「自由の相互承認」の考え方と、それに至った経緯を知ると、私は、教員として「自由の相互承認の感度を高める」教育ができていなかったという反省をするようになった。
そうすると、考え方も一変してきた。
「ツーブロック論争」に関しても、以前の私なら
「決まり事を守ることを教えるために、ルールを作ってそのルールを守る感覚を養うので、ルールは何だってよいから、つべこべ言わずに守ることを考える」
という考え方だったと思う。
今は、
「ルールなんてなんでもよくて、それでかかわる人たちが何か不都合があるのなら、折り合いをつけるところで落としたらいいのではないか。それを身をもって体験するのが学校で、ルールを決めることは悪いことではないが、不都合があれば変えていけることを学ぶのも大切だよね。その中で、自分たちが納得のいくルールだったら自分たちが得するから守っていけるよね。」
という考え方になった。
もちろん、賛否はあるが考え方が変わったのは明らかだ。
「世の中には理不尽があるから、今はその理不尽なことに耐えうる精神を養いう」
という考え方は、以前から私の考えではなかったが、
「世の中には理不尽はある。その理不尽なことを、理不尽だから正しくみんなが過ごしやすく変えていこうといえる人になってもらいたい」
という考え方が濃くなってきた。
自分の考えを発信している人に憧れる
今の学校現場では理不尽は多い。
私も休職中だが、コロナの消毒や、夏休みの短縮、土曜授業、部活動、給特法やブラックな働き方で滅入っている先生方が日に日に増えてきているように思える。
Twitterなどで発信している先生方を見ると、憧れる人が多い。新しいことを発信したり、しんどいということを素直に発信したりする方。両方ともにあこがれる。
なぜかというと、同じ考え方を広めようとすると、とても時間がかかる。それでもコツコツと発信をし続けて広めていこうとしているからだ。インフルエンサーになる方がいるということだ。
新しい考えや、今までの普通とは違うこを発信すると、「普通」ということを変えなければ考え方は浸透しない。
それでも、発信しつづけることで「普通」が変わってくる。
例えば、
「けテぶれ」の葛原祥太先生は明らかに、浸透しだしてきているし、「全ばか」の坂本良晶先生も、先生方の助けになっている。
「普通」を変えるには
私自身も、今までの「普通」に疑問を持ち、変えていきたいと考えることはよくある。
しかし、なかなかうまくいかない。
それは、「待てない」からだ。
「今変えたい」「今居心地が悪い」という自分本位になり、
「なんで今までの普通を信じているの?」というようなことを、周りの考え方を無視して発信してきたことは多々ある。
反省だ。
「普通」を変えるには、変わった後の考えが「普通」になる必要がある。
そうでなければ、まだまだ「新しい考え方」だ。
そして、普通を変えるには、2割以上の人が同じ考え方になれば後の6割は考え方は傾いてくるといわれている。
その2割を獲得するのが難しい。
そのためには、我慢しながらも発信続けるのも必要なのかもしれない。
というか、我慢して発信しなければいけないことは本当に自分の考えなのかという疑問も残る。
自分が本気で考えていることは、発信することに躊躇はなく、周りが何を言おうがそれを信じて発信し続けるのではないだろうか。
最後に
読んでいただいてありがとうございます。
この文章のように、私の考えはいま、ブレブレです。
私が分からなくなってきています。
考え方には一貫性が出てきた気がするが、自分が本当にしたいこと、自分が考えていることは自分の本心なのかという問いをずっと考えていて、少し疲れております。正直しんどいです。
「今、自分は本当に何がしたいのか」
「今、自分は何ができるのか」
人生の意味を考え始めた。
人生にミッションを持たなければ。(坂本先生の本を読んで)
ん?「持たなければ」も合っているのか?
他の人はどう考えて人生を生きているのだろうか。
そこまで考えていない人がほとんどだったら安心?
それでも自分はどうしたい?
本気でやりたいことって何?
見てのとおり、ごちゃごちゃしている。