今さらながらに勉強を続けるということ。
30代になって、資格関係の勉強を始めようとすると「今さら?」と周りのギャラリーに余計な一言を言われることも多い。
独身でのんびり暮らしているような状況だとなおさらである。うっせえよ。
かくいう私も法律の勉強を再開するときに散々言われた。
今さら勉強してどうするんだ、と。
うちの母は幸いドライな性格で「結婚しろ」と騒ぐタイプではなかったのだが、それでも「旅行したり、いろいろ人生楽しんだ方がいいよ」とは言われた。
私としても、まあ思うところはないわけではない。
ここ2年あまり、仕事するか勉強するかでほぼ365日が過ぎていっているようなので。私の人生なんだっけ、と思うことはある。
が、ある日突然、私は気づいた。気づいてしまった。
……そうだ、今コロナじゃん!!
もともと臆病な性格ということもあって、私はこれまで比較的真面目に自粛生活を送ってきた。誰かとの会食なんてとんでもないし、旅行も美術館めぐりも控えているし、外食もあまりしないようにしている。
家族以外の人間と会ってオフラインで喋るなんて、もう何年もしていない。定期的に会っていた親友とも、もう2年以上会えていない。
こんな状況で、現在可処分時間の大半を突っ込んでいる試験勉強がなくなってしまったら、私はどうすればいいんだろう。
私にとってものすごくワクワクするようなこと、「新しく誰かに会って、自分の世界を広げていくようなこと」は多分できない(自分の場合、オンラインでできることは、もうすでにやり尽くしている)。
たぶん仕事して、あとはダラダラ動画配信やネット見て過ごす、みたいなダラけた未来しか見えなかった。
ちぇっ。私は心の中で舌打ちした。
まったく、つまらん。
***
多分、今「勉強をしている」私はそこそこに幸せなんだろうと思う。
信頼できるお師匠に出会えたし、一緒に勉強してくれる愉快な仲間たちもたくさんできた。
フリーランスとしても人とのご縁にはたくさん恵まれたけど、「仕事」という共通点でつながっている以上、属性がどうしても偏ってしまう。
ライターである自分にとって、「多角的な視点を持つこと」「常に変化を続けること」は死活問題だ。
常に泳ぎ続けるマグロみたいなもので、ハングリーさとしなやかさを失ったら死んでしまう。
仕事とはまったく関係ない場所で異業種で働く人とのつながりができたことで、フリーランスとしての自分もちょっと救われたところがあるのだと思う。
そして、何よりお勉強は1人で淡々と進められる作業なので、ステイホームとの相性はとってもいい。しかも「終わり」がないため、1日8時間とか余裕で時間を潰せる。
何より時間の使い方として、なんかものすごく「有意義っぽい」のがいい。
ぶっちゃけたことを言うと、勉強は苦しい。
ただ楽器演奏や創作活動をやったことがある方なら共感いただけると思うが、そもそも本気の趣味に、多少の苦痛はつきものである。
苦痛のない趣味はただ娯楽だ。そして、娯楽と趣味では、最後に得られるリターンの質がちょっと違う。
そういう意味で、私にとって勉強は「本気の趣味」に近いんだと思う。
もがき苦しんだ先になんらかのリターンがあるだろう、というのは知っているし、そこに至るまでの過程が大変なのは最初から分かりきっている。だからこそ「しんどいなあ」とブーブー言いつつ、やっぱりなんやかんやで続けちゃうのだ。
趣味が勉強。……はたから見たら、ものすごくつまらない人生に見えるかもしれない。
でも、このパンデミックの時期にあって、コロナの影響をほぼ受けずに済み、しかもその気になれば何時間でも打ち込める作業があるというのは、それだけで幸せなことなんじゃないかと思った。
そんなようなことをぐだぐだしゃべっていたら、それを聞いていた母親が「コロナがおさまるまでねえ……じゃ、あと3年は勉強できるんじゃない?」と言った。
3年か。それも悪くないな、と私は思った。