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底辺ライター、大学院への逃走

 モノカキとして生きるのがつらくなったので、界隈から逃亡することにした。たまたま上京が決まった年、運試しのつもりで受験した大学院に運よく合格できたため、そのまま進学することにしたのだ。

牢獄への逃避

 職業、自称・ライター。書き手としては鳴かず飛ばずの中途半端野郎のくせに、キャリアの長さだけは来年で10年目という中堅どころ。「大学院生」という手堅い身分を手に入れた今は絶賛モラトリアムの真っ最中である。

 規則正しく寝起きし、のんびり学校に行って好きな研究をし、学校の図書館や国会図書館に通って資料を漁り、だらだら散歩して喫茶店で読書をして、たまにバイト感覚でライターの仕事をして、という生活だ。

 フリーランスになってから、まさか自分にこんな優雅な生活が待っているとは思わなかった。

……。

 嘘である。そんなわけがない。むしろ、あってたまるか。わたしが選んだ逃亡先は法曹養成機関、口さがない一部の学生が「懲役2年(or3年)、罰金300万円」とブラックジョークを飛ばす牢スクール、もといロースクールであった。

 テストに次ぐテスト、土曜・祝日・夏休みにも容赦なく放り込まれる授業、さらには留年・退学の危機と常に隣合わせ。しかも〆にはシホウシケンという名のラスボスが控えている。毎日が綱渡りすぎて、世間一般の人がイメージする楽しい学生生活とはほど遠い。

 その実態を知っている人ほど(そういう人はだいたい自身がローのOBだったり、司法試験の内情に詳しい元受験生だったりする)、「ああ……」とどこかビターな含みのある笑顔を浮かべて、わたしに言うのだ。

「(俺自身はあの時代には二度と戻りたくないけど)頑張ってね!」

 もはや自分が逃亡しているのか、より業の深い人生に向かっているのかわからない。今の進学先のことは大好きだけど。

「天職」からの逃走

 わたしは昔から文章を書くのが好きな子どもだった。だから、周囲の人間はわたしがライターになったことに誰も驚かなかったし、我ながらライター業は「天職」だとも思う。

 一方、わたしの中には、「真面目に、誠実に仕事をしなさい。そうすれば、お金は自然についてくる」という祖父から受け継いだ職業観が息づいている。

 亡くなった祖父は弁護士だった。

 愛想はなかったが腕はよく、「圧倒的に高い勝率」を自慢にしていた。

 小さな田舎町のマチベンだったから、基本は何でも屋さん。ドロドロの相続事件でウン億円もぎ取ったりもしたし、しょーもない刑事事件の被告人の弁護もやった(当然のことながら冤罪事件じゃない)。

 祖父は、みんなが想像するような分かりやすい「正義のヒーロー」ではなかった。でも、社会のために絶対に必要とされる仕事をきちっとやっていた。何より「依頼者の利益のためにベストを尽くす」「誠実に仕事をこなす」というスタンス、弁護士としての正義は徹底していたように思う。

 祖父の勝率が高かったのは、負けそうな事件は受けなかったからだ。「あなたは勝った、勝ったって自慢しているけど、負ける事件を受けなかったからじゃないの」と祖母が呆れたように言ったことがある。すると、祖父は間髪入れずに吠えた。

「それが腕だ!!」

 祖父は負けそうな事件は「負ける」とハッキリ依頼人に告げる人だった。「それでもやりますか?」と訊いて、「それでもいい」という人の依頼だけを受けたそうな。

 実は弁護士は依頼を受けた時点で、まとまった金額の着手金をもらえる。このお金はいわば事務処理手数料なので、裁判で負けても返さなくていい。カネのことだけ考えれば、負け筋の事件でもテキトーに調子のいいことを言って事件を受けた方が得なのである。少なくとも短期的には。

 しかし祖父は、目の前にぶら下がった10万円、20万円ではなくて、弁護士としての誠実さを取った。

 祖父の「真面目に、誠実に仕事を」というモットーの背後には、たしかに職業的な正義と倫理があったのだ。

 しかし……ライターとしての仕事に、わたしが祖父の仕事に見出したような「正義と倫理」はあったのだろうか……?

 ライターは言葉の力を操り、クライアントやメディアにカネをもたらす仕事である。

 特にSEO記事やセールスライティングの本質は広告だから、商品の宣伝・売上に貢献してクライアントに利益をもたらすのが仕事だ。

 ライターとしての「正義と倫理」の本質は、目の前の仕事に誠実に向き合って、筆の力でクライアントのビジネスに貢献することにあると思う。

 それは職業人として、ひとつの素晴らしい価値観であって、わたしはそれを否定するものではない。ないが、それは多分、わたしが欲しかったやつじゃない。

 たとえ必要悪であったとしても間違いなく社会に必要とされて、今目の前で困っている誰かの役にも立てて、結果的に自分もメシを食えること。それが、わたしが求める職業人としての「正義と倫理」で、それはどうしようもなく、自分の中に根付いたものだった。

 ライターは確かにわたしにとっては天職だったけど、書いたものそれ自体に「正義と倫理」を求める書き手としての本質、そして職業人としての価値観を考えると、本来自分は報道や社会派のノンフィクションに行くべき人間だったと思う。もっとも田舎の片隅に引きこもり、底辺Webライターとしてキャリアを積み始めたわたしにとって、それは難しかった。

 だから、わたしのライターとしての主戦場は、法律ジャンルになった。世の中に確実に必要とされる知識を届ける仕事であって、しかも法曹界はビジネスとしての在り方と社会貢献度のバランスが比較的取れている業界だったからだ。

 自分に合ったジャンルを見つけたことで、今はライターとしても自分の望む仕事ができている。ただ、結局この分野の仕事を極めるためには、わたし自身が法曹界の一員になる必要があって、ここでまた祖父の話に戻る。

 わたしの職業観を形作ったのは法曹たる祖父である。わたし自身、実は大学時代、司法試験を受けようと思った時期もあった。諸事情により、ろくに勉強もできないまま断念して数年。あれから人生一周回って、今また遠い祖父の背中を追う。

 そういえば、報道系の仕事に携わる人間の中には職業人生の途中で法曹にキャリアチェンジする人がしばしばいる。社会の暗部に目を向けているうちに、直接的に誰かに手を差し伸べる仕事がしたくなるのかもしれない。

 今、自分が生きている場所を、社会を、ほんのちょこっとだけマシなものにする手伝いをすること。おそらく、真っ当な報道の仕事と法曹は、職業人としての「正義と倫理」のあり方が似ているのだ。そして、わたし自身のそれにも。

逃げた先の帰還と達観

 ふと、ローなんて行かずに「フリーの専業ライター」を続けていた人生のことを考える。そろそろキャリア的には紙媒体も狙える時期で、それなりに充実して楽しかっただろうと思う。

 同業者と飲み会やイベントに行ったり、SNSで交流したり、好きな本を読んでNe○flixを見て、仕事に打ち込んで、ワーケーションして、まっとうな人間らしい暮らしをする。

 が、なぜだろう。あまりのストレスで酷い口内炎ができても、疲労で食事が喉が通らなくなっても、試験の緊張で夜眠れなくなっても、あのまま普通にライター業を続けているより今の地獄のような生活のほうが何倍もマシに思えるのである。

 その心境に至った理由はいくつかあって、ひとつは「今の環境、めっちゃ落ち着く!!」である。三つ子の魂百までというか、原点回帰的な部分は否定できず、実家に帰ってきた感が強いのだ。

 そして、もうひとつ。実は、毎年予備試験・司法試験の試験日や合格発表日に、SNS全体を覆う張り詰めた空気と高揚感。あの感じがわたしは好きだ。

 何よりあの場に集う人たちの「顔」が大好きだ。真剣な勝負師の顔をしていて、みんなアスリートのように引き締まっている。

 わたしはあの顔が本当に好きで、自分もまた、あの顔になりたいと願った。

 本質的に、ライターは人間の営みに興味がないとできない仕事だと思うけれども、この界隈は集まっている人たちの「顔」が面白い。特に社会人出身者。

 人生を全ベットしてギャンブルができる人々である。それだけに、いい意味で頭のネジが吹っ飛んでいる人たちが多く、バックグラウンドも多様。そんな人がうじゃうじゃいる環境は書き手としての自分にとっても至福である。

 こんなに面白くてスリリングな環境めったにない。司法試験が終わったら、書きたい話がたくさんある。わたしは骨の髄までライターで、やっぱり書く仕事もどこまでいっても「天職」なのだ。

 おそらく、進学という選択肢に逃げたことで、職業人としてのわたしはもちろんのこと、ライターとしてのわたしも確実に救われたのだった。

 でも、最後にひとことだけ言ってもいいですか。いろいろカッコつけてはみたけど、やっぱりローつらい。

                                    おわり

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