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わたしの中の「虎に翼」を

 4月1日、弊学では開講式なるイベントがあった。といっても、たいしたものではない。公式の華々しいイベントである入学式なんて多分誰も出ないし(正確には出るヒマがない。みんな忙しいのだ)、そもそも翌日から授業がゴリゴリ始まってしまうので、我々新入生向けの簡素な式典をガイダンスと一緒にやってしまおうという話である。

「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます」

 挨拶のため、マイクの前に立った弊学のえらい教授(※裁判官出身)が切り出した。

「えー、本日から朝ドラ『虎に翼』が始まりました。現実はドラマのようにはいかないかもしれませんが、皆さんもどうかヒロインのように、幾多の困難を乗り越え……」

 ロースクール初日は、まさかの朝ドラ受けとともに始まった。

はじめまして、不肖の後輩です。

 なんでも「法曹界が朝ドラのテーマになるのは数10年ぶりなんだよ」とのこと。「いやあ、前回の松嶋菜々子さんのときは司法研修所も全面協力してねえ」などと教授もテンション高め、とても嬉しそうであった。

 とはいえ、わたしも人様のことは言えない。朝ドラなんてしばらく見ていなかったけど、今回ばかりは正座待機である。当然のことながら、弊学の開講式にも朝ドラ1話を視聴した後で参加した。

 なんと言っても今回の朝ドラヒロイン・トラちゃんのモデルは、女性法曹第1号の一人・三淵嘉子先生なのだ。わたしたちにとっては偉大なる先達、大、大、大先輩である。

 が、ここで正直に白状しよう。恥ずかしながら、このドラマが始まるまで、わたしは三淵先生の存在を知らなかった。

 「女性法曹育成といえば明治」(※明律大学のモデル)という話は亡くなった母方の祖父から聞いていたけれど、その具体的な出身者についてはあまり考えてこなかったのである。わたしが物心ついたときは、すでに女性も司法試験を受けるのが当たり前になっていたからかもしれない。

 わたしの母親は本人自身は普通の主婦であったものの、「女性は妊娠や子育てもあるから、手に職をつけるべきだ。そしてバリバリ働け!」という考えの持ち主である。

 ヒロインの母・はるさんのように「法律なんて勉強したら、嫁の貰い手がなくなる」と嘆くことはまったくなく、自宅の本棚には「家栽の人」や「研修医ななこ」といった「お仕事マンガ」がさりげなく並んでいた。

 裁判官に医者……。今考えると、かなり露骨なラインナップだ。もはや「洗脳」といってもいい。

 特に、母方の祖父は裁判官出身の弁護士だったから、法曹は非常に我々一族にとって身近な職業であり、性別に関係なく「目指せるものなら目指すべき」と一族全員が考えていたようなところがある。

 ただ、思えば、これもすべて三淵先生たち偉大な先輩方が道なき道を体を張って切り拓いてくれたからであった。

 正直、今でも法曹の世界は完全に男女平等とはいえない。産休育休や年収格差の問題をはじめ、解決しきれていない問題もあって、個人的にちょっと思うことがないわけではない。

 でも、今通っているローの同期は半分が女性だし、女性の勉強仲間もたくさんいる。そして、何より女性司法修習生に対して「女性が司法試験に受かるなんて親不孝だ。さっさと結婚して家庭に入った方がいい」なんて言い放つクソ野郎は最早いない。

 先輩方が未来の後輩たちのために声を上げ、先陣を切って戦ってくれたからである。

 不肖の後輩である自分は、今まさに先輩方が切り拓き、舗装してくれた道の上を安穏と歩いているわけで、先輩方の偉大な事績を知るにつれ、「『これまで当たり前と考えていたこと』が当たり前でなかったこと、そして声を上げてくれた人々の尊さ」を思う。

ドラマとごく私的な記憶の話

 『虎に翼』のヒロイン・トラちゃんは戦前、戦中、戦後を法学徒として、そして法曹として駆け抜けたわけだけど、それとほぼ同じ時代に法曹として生きた人間がわたしの身近にいる。

 先ほどからちょいちょい話に出てきている、我が祖父である。トラちゃんのモデルとなった三淵先生たちが我ら後輩のために道を作ってくれた人であるならば、祖父はわたしが法曹を目指す直接のきっかけとなった人だ。

 祖父は年回りでいえば、トラちゃんの10歳ほど年下にあたるから、世代は若干違うかもしれない。とはいえ、トラちゃんの母校・明律大学のお隣(?)の大学の出身で、なおかつ最後の高等文官試験世代だったため、トラちゃんの青春はニアリーイコール祖父の青春でもあった。

 学生服と学帽をまとった戦前の大学生たち、戦火で焼き尽くされる前の御茶ノ水の街並み、高等文官試験をめざして猛勉強に励む日々、そして試験当日の会場の様子……。

 今はもう失われて、二度と戻らない記憶。わたしにとって、このドラマは祖父の青年時代を追体験するものでもあった。

 序盤でトラちゃんがはるさんに、六法全書を買ってもらった本屋、あのモデルとなった書店に彼も行ったことがあるのではないか。

 また、食いしん坊の祖父だったから、フラリと足を伸ばして、『竹むら』(『竹もと』のモデル)にも行ったかもしれない。もっとも、ちょうど戦争が激しくなった時に学生生活を送っていたから、そんなに甘いものは食べられなかったかもしれないが。

 祖父と三淵先生が任官したのはちょうど同じくらいの時期で(もしかしたら彼の方が裁判官としては1、2年先輩かもしれない)、もしかしたら三淵先生ご本人とも面識があったのかもしれない。

 『虎に翼』はスーパー(で欠陥アリのくせつよ)ヒロイン・トラちゃんの単なる一代記ではなく、戦後の憲法判例史・司法史を描いたドラマでもある。そして祖父はそれらの歴史が作られるのをリアルタイムで見ていた、いわば『名もなきエキストラ』だった。

 花岡さんのモデルになった山口判事が餓死した事件も、駆け出しの裁判官として見ていたはずだ。おそらく彼自身もヤミ絡みの刑事裁判を経験したのではないか。

 祖父はどちらかといえば「死んだら終わりだ」と現実的に物事を考える人間だったから、上手く割り切って仕事をしていたのだと推察する。が、それでも思うことはあったのだろう。祖父の本棚には山口判事の評伝(『われ判事の職にあり』)が置いてあった。

 そう、ドラマ内で起きた様々な出来事は、わたしにとっては単なる物語ではない。祖父母世代ファミリーヒストリーの一部であり、わたし自身のルーツに関わる物語である。

 実際、ドラマのさりげない描写がきっかけで、「ああ…! だから、あの人は、あんなことを言っていたのか」と膝を打ったことが結構ある。

 その一方で、「今もまだ、祖父が生きていてくれたら……」と思うことが、このドラマの放映期間中、何度もあった。

 もし彼が生きていたら、きっと熱心にこのドラマを見ただろうし、いろいろなことを教えてくれただろう。

 祖父が今存命であったならば、100歳を超える。当時を知る人は令和の今、ほとんど残っていないはずだ。トラちゃんや祖父が生きた時代を知る人たちの証言は失われ、文字としてのみ残る歴史になってしまった。

 わたしは孫たちの中では祖父の思い出話をしっかり聞いて育った方ではあると思うけど、それでも悔いが残る。

さようなら、またいつかどこかで会いましょう。

 長かった夏の終わりを感じながら、ようやく通い慣れた通学路を行く。

 何の因果か、祖父の過ごした戦前〜戦後の法曹界を切り取ったドラマが始まったこの年に、わたしはロースクールに進むことになった。

 このまま順調に行けば、トラちゃんが女性法曹第1号になって約90年後にあたる年に、法曹として社会に出る予定である。

 ローへの入学とドラマの放映時期が被ったのはまったくの偶然で、運命というにはおこがましい。

 しかし、わたしの学生生活のはじまりは、たしかに『虎に翼』とともにあった。激流のようなロー生活の中で、何度このドラマに勇気づけられたかわからない。

 生きる時代は違えども、我らは皆地獄への道を選んだ者たちである。明律大学女子部のみんなも、轟くんも、そして祖父も、わたしにとっては地獄を往く同志であり、偉大なる法曹の先輩方であり、将来の姿である。

 ドラマとしての『虎に翼』はこれで終わるけれど、わたしの道はこれからも続く。さらに、司法の歴史も。

 実は、このドラマの放映期間中に、何個か重要な最高裁判例が出た。近い将来、それこそドラマで描かれていたような問題についても、最高裁の新しい判断が出される日が来るかもしれない。

 法律も判例も生き物である。声を上げる人がいれば大きな岩も動くのである。

 奇しくも最終回前日、静岡地裁で行われた袴田事件の再審事件で無罪判決が出た。これも、「おかしい」と声を上げた人たちがいたからこそ。

 そう、『虎に翼』はまだ終わっていない。これは現在も続いている物語なのだ。今回ドラマで描かれなかった「その先」に、あなたやわたしが登場人物として参加する未来もあるかもしれない。

 だから、「ドラマが終わって寂しい」とか、そんな野暮なことは言わないのである。

 さよーなら。また、いつか。どこかで会えるその日まで。

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