13.悟りの境地に達する
※「悟りの境地」の意味・概念・定義などについては、ご自身でお調べ下さい。
私は、「悟りを完全に開ききった」状態になることは、生きている間では不可能である(開いてはいけない)と考えていますが、
「悟りの境地に達する」という状態になることは、生きている間でも可能である、と考えています。
また、人は、歳とともに、肉体的な能力はどうしても衰えていくものですが、
この「悟りの境地に達する」という目標であれば、肉体的な能力も、財産も、社会的な地位も関係ありませんので、
これを「生涯の目標」のひとつとすることで、生きていく意味を失わずに済むのではないか、と考えています。
では早速、
どうすれば「悟りの境地に達する」ことが出来るか?
という話ですが、
他人が、あなたの事を「悟りの境地に達している」と感じたとき、
あなたは、その人との関係において、悟りの境地に達しています。
自分で「達した」ということを決めるのではなく、他人が決めるのです。
あなた自身は、自分で自分のことを、勝手に評価してはいけません。
悟りを開いていくことも、悟りの境地に達することも、どちらにも言えることですが、
「達成した」「やりきった」「頂点にたどりついた」と思い込んでしまうと、
どうしても、「驕(おご)り」「慢心」「傲慢(ごうまん)」といった感情が芽生えてしまいます。
それらの感情は、自分から、「謙虚さ」を失わせます。
過去に生きたすばらしい天才・偉人の方であっても、何人かの方は、この部分で小さな失敗を犯し、
その小さな過去の言動が、別の人物の悪意によって部分的に切り抜かれ、今の世の「争い」の火種となっています。
「悟りの境地に達する」という目標を果たす上でも、また、世界で起きる争いを少しでも減らしていく為にも、
「自分は、いつまでも未熟である。」
「自分には、まだ学ぶべきことがある。」
「自分が頂点にたどり着いていいのは、死ぬ瞬間だけだ」
と、常に念じて、死ぬまでずっと「謙虚さ」を失わないことが、真なる「悟りの境地に達する」方法であると、私は考えます。
と、いいますか、
一番高い山を登るのなら、登り切った瞬間を「死の瞬間」にするのが、一番気持ちよくなれると思いませんか?
私はそう思います。
そして、もうひとつ、
他人は、あなたのことを、24時間365日、ずっと見張っているわけではありません。
他人なのですから、あなたの日々の行動の中の、ほんの一瞬だけを切り取って、勝手に判断します。
ですから、その他人となる方が、自分から遠い存在であるほど、「悟りの境地に達している」と感じる可能性が高くなり、
逆に、親しい人であるほど、可能性は低く、難しくなります。
この事は、ぜひ頭の中に入れておいてください。
ちなみに、一番手ごわい相手は、
あなたが生まれた時から今に至るまで、24時間365日監視し続けている、
あなたの信じる「神」です。
次回の予定は未定です。気長にお待ちください。↓
※注意事項↓
私の文章を読んでいただいて、ありがとうございます。