宇宙の方向性
規則正しく回転する天体
大きく旋回する星々の動き
宇宙にはまるで何か美しい数字のシステムがあり、それに沿って壮大な力が流動してるかのように感じられます。
今回はヌーソロジーの宇宙観について少し触れてみたいと思います。
ヌーソロジーでは宇宙は6500年毎に「調整期」と「覚醒期」と呼ばれる2つの期間を交互に繰り返しながら26000年周期で進化していくとされます。
覚醒期(6500年)→調整期(6500年)→覚醒期(6500年)→調整期(6500年)と26000年周期で一つの円環状のサイクルとなるのですが、この周期はプラトン年(春分点が地球の歳差運動によって黄道を一周するために要する時間、約26000年)と一致しています。
調整期というのは簡単に言うと物質的なものが力を持つ時代です。それに対して覚醒期というのは霊的ものが力を持つ時代となります。
前回の覚醒期はムーアトランティスの時代になるので、ムーアトランティス時代というのはよくスピリチュアルなどでも言われているように霊的な時代だったということになります。
そして現在の私たちがどの時期にいるのかというと、シュメール文明から続いてきた6500年の調整期が2012年で終わりを迎え、2013年からは覚醒期に入っています。
なので今はちょうど新たな6500年の覚醒期の入口あたりにいることになり、私たちの時代はシュメールからずっと歩んできた調整期の意識を今度は本格的な覚醒期に向けて準備していく時期にあたるということになります。調整期は自我を少しずつ育ててきた期間でもあります。
霊性の高かった前覚醒期の時代と比べて現代の人間の意識というのはずいぶんと頽落してしまったものだと嘆きたくなるところですが、
宇宙的なサイクルで言うと現在の私たちの物質文明というのは偶然性を持ってたまたまこうした方向に流れ着いたという訳ではなく、ある方向性を持った宇宙的な流れによって現れるべくして現れたものであると言えます。
前時代の覚醒期を包括した形で今の私達があるので、ある意味私達は一番進化した存在であるとも言える訳で、調整期には物質的な意識に留まらせる力が無意識側から働きかけているために覚醒期の方向性を知覚できないのは無理のないことです。
調整期があってこそ次の覚醒期が花開き、また覚醒期があることで調整期の文明が花開くので、どちらが良い悪いという事はなく、どちらの期間も宇宙進化にとって必要なものとなります。
三次元世界を生きている私達にしてみれば自然との繋がりを失い、消費につぐ消費で物や情報がもう訳が分からなくなる程に溢れ、唯物的で支配的な社会にもう辟易してしまうのですが、物質文明が極まらないと霊的文明へと移行していけないようなので、まあ仕方がないのだろうなあという氣もします。陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となるというやつですね。
文明が極限まで熟しきって初めて次の次元への扉が開かれるということなのでしょうね。
ヌーソロジーは宇宙を能動的に創造していくヌースの力の方向性を持つものなので、覚醒期に向かう方向性とも言えます。
覚醒期へと向かうには意識を反転させていく必要があるのですが、ヌーソロジーは能動的思考により高次の空間概念を切り開いていくことで自己や宇宙の本当の姿を意識に顕在化させていきます。
よくヌーソロジーで例えられる話にプラトンの洞窟の比喩というのがあるのですが、これは古代ギリシャの哲学者プラトンが提唱したイデア論の中に出てくる比喩で、洞窟の中に閉じ込められた人間達が松明によって洞窟の壁に映し出された影を実物だと思い込み、それを世界だと思い込んでいるというものです。
しかし彼らが見ているのは実物ではなく全て影であり、洞窟の外には明るく美しいイデアの世界が広がっているにも関わらず、彼らが後ろを振り返ることはありません。
ヌーソロジーでは現在の人間もこれと同じように三次元世界を本当の世界だと思い込んでおり、実はこの時空上でみている物質というのはこの洞窟の比喩のように全て宇宙の霊的な精神の影のようなものであるというのが前提となります。
洞窟の世界で振り向くことが出来ればそこにある物の本当の姿というものが分かり、それを理解することで洞窟から抜け出し、本当の世界であるイデアの世界へと開放されるように、
意識を反転させることによって三次元の檻に閉じ込められた意識を本来のイデア世界へと開放する。
ヌーソロジーはそのイデア世界への羅針盤となるものです。
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