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来た道を振り返る の話。

『ゆっくり休む』

この意味、これがどのようなことか、お分かりになりますか?

今の自分にはこのことが大事なのに…自分には、わかりませんでした。
「ゆっくり休む」ってどうやるの?って、リアルにGoogle先生に聞きました。

なぜ、わからなかったのか(わからないのか)…と、考えた時、
今まで自分が辿ってきた過去というか、過程というか…その時々で実感してきた諸々に少なからず原因があるのかな〜と思いました。

今回の記事は自分自身のことについて記してみようと思います。
見る人が見れば「ん?どこかで会ったことあるかな?」と思われたりして身バレしそうな気もしますが…。

読んでいただくにあたり、お願いしたいことがあります。
言いたいのは、自分自身の自慢でもなく、同情してもらいたいからでもなく、承認欲求を満たすのでもありません。ただの思い出話です。「へぇ〜、いろんな子がいるのね」って気持ちで読んでください。

しいて言うなら、
自分自身が『保育士』を志した時、自分の境遇と合致するような情報や経験談がほぼ皆無でした。だから、もし今、そんな状況に不安を抱いている人がいたら、「そんな人もいるから、大丈夫か〜」と思ってもらえたらいいなと思っています。(※そんな方いらっしゃったらコメントください)

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​これでも一応 平成生まれ。

保育園時代(1歳児クラス〜)
・母曰く、1歳児クラスの時に給食のハンバーグを無理やり口に突っ込まれて、泣いて吐いた。(食べることが嫌いな子だったため、何度もこの話を擦られました)
・年中の時の担任だった先生が「お米一粒一粒には神様がいて、お百姓さん(平成の世でこの言い方 笑)が一生懸命作ってくれたものだから、ちゃんと集めて食べるんだよ』と言っていた。

小学生時代
・小1から武道の習い事を始める。習い事で一緒だった乳児のオムツ替えを普通にさせられていた。
・小4から塾に通い、中学受験。結果、第一志望には不合格、第二志望の学校に合格し入学。
姉は第一志望校に合格していたため、劣等感(?)を抱く。

中学高校生時代
・幸か不幸か、いわゆる「進学校」だった。
周りの子達は賢い子ばかり。その中で生き残っていくには…勉強しかないんじゃ?!…と思い、定期試験の勉強はすごく頑張っていた。
・中2で完全なる中だるみ。自分でもあまりの酷さに落ち込む。
・部活では、小学校時代からの習い事の運動部を選択。”経験者”ということで先輩たちから重宝されたことにホヤホヤしていた。
練習は厳しいし、怪我が絶えないし、仲良しだと思っていた部員(友達、後輩)と大モメしたことで人間不信に。もう本当に苦しかったけど、結局中高6年間継続。
・範囲の決まった定期考査だけは頑張る勉強スタイルは高校でも継続。予備校主催の実力模試等は壊滅状態。
・推薦ではなく一般受験で!と、大学受験をしたのにも関わらず、志望校には落ちまくり、結果推薦でも行けたはずの大学に進学。(試験はちゃんと受かってました)

大学時代
・社会科(地歴)の教員を目指し、歴史学科に進学。
・「4月からはいよいよ大学生だ〜!」と意気込んでいた3月、東日本大震災が起こる。入学式は無く、授業も大幅に開始が遅れる。
・それに伴い、アルバイトがなかなか決まらず。
ある日、母が自治体の広報紙を見せて、「こんなバイトあるみたいだけど」と、公立園の保育補助のアルバイトを知る。そして始める。(子どもと遊ぶのは好きだからという理由だけ)
・教員採用試験の狭き門を目指すほどの意欲も気力もなく、かと言ってどんな企業に行きたいのかもわからずにただ焦っていた大学2〜3年。
・3年の時に「せっかく向いているんだから、受けてみたら」と母に背中を押され、2年計画で保育士試験の勉強を始める。(たしか学科試験7科目くらい受かった)
・4年生の時。6月に教育実習(ここで教員には向いていないと実感)、7月に保育士試験(残りの学科)、8月は卒論合宿、10月は保育士試験の2次試験、〜12月まで卒論執筆と怒涛の日々を過ごす。(保育士試験に落ちたら、保育士の養成校に通おうと思っていた。)
この時には、『保育士として働くこと』を決意。卒業時には教員免許保育士資格を取得。

社会人になってしばらくは、AM非常勤職員と延長保育補助アルバイト、2つの保育所で掛け持ちで働いてました。
働きたい保育所が決まっていたので、そこに入るために、また試験勉強

晴れて希望の保育所に入ることができ、働き始めた矢先、この先、幼稚園教諭免許が必要になるかもしれないという新たな不安材料勃発。
「保育士として実働3年」の条件を満たした頃に、通信大学で幼稚園教諭免許を取得。(なんとか特例?をたしか使った)
結果、不安に思っていたことは私の考えすぎだった。(無くても全然平気だった)

去年は昇進試験に初チャレンジ。なんだかありがたいことに昇進(合格)できた。

そして、今。  

事情により、お休み中。。。


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…と、まぁ、ぐわぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜と記してきました。
そして「で、何が言いたいの?」と思われるかと思いますが、


言いたいこと↓

・専門的な学校で学んでいなくても、国家試験で合格すれば保育士にはなれる。
・「試験で保育士になって、実習してないから…」と不安に思われるかもしれないけれど、実際現場に出てしまえば、ほぼ全く関係ない。(むしろ「試験でなったの?!スゴ!頭いいね!!!」と言われる)保育士になった後に自己研鑽が大事なのは誰にも言えること。
・(職場にもよるけれど)幼教は絶対に必要なものではない取らなくてはいけない場合もなんとかなる。
・基本的には周り(同僚)には、学生時代から保育の道を目指してきた人が多いが、別にそれはそれって感じ。(職場の雰囲気的に)
・保育の仕事を志すならば、一度、実際の現場を見たほうが良い。出来れば、アルバイトやパートという、「実習生」「ボランティア」というものでない立場で。(実習生は絶対に対等、またはそれに近い形では扱われないし、ボランティアはあくまでボランティアで、お客様的扱いになりがちな気がします)
保育の現場は、基本的にいつだって人手を求めている気がします。


参考になれば良いのですが…。



と、同時に。 自分の過去を振り返った時に思ったこと↓

・頑張ってきたことが誇りでもあるし、自信でもある。
その一方で、頑張らねば認めてもらえないのではないかという恐怖。焦り。
頑張っても報われなかった(希望が通らなかった)ときの挫折感が付きまとっていた。
・いつも何かに追われてきた(追ってきた)感じ。「頑張って何かを追っている自分にだけ存在価値がある」と思っていた。(もはや呪縛)
➡︎「ゆっくり休む」がわからない。「何もしない」ことが悪のように思ってしまう。


今までずっと何かを目的に、目標に、自分なりにがむしゃらにやってきました。「頑張れる力がある」というのは、自分で自分を褒めてあげられると思える一方で、何かに追われて走り続けてきたことにより、ON/OFFの切り替えがすごく下手くそで。
ダメだったら、うまくいかなかったら「終わりだ」ってすごく思ってしまう。その思考のクセはそんな簡単になくなるものではありません。


でも、終わらない。

終わらないから、大丈夫。

なんとかなるから、大丈夫。


そう、少しずつ思えるように、考えられるようになってきました。

何をしてても、自分で自分を守って、認めてあげることは絶対的に大切なことですよね。


そんでもって、自信を持って言えるのは、「この道を歩いてきたからこそ、大切にしたい人々に出逢えた。私はツイテる!ラッキー!」と。

希望が叶わなくて、時に廻り道もしたけれど、その時々に、自分にとって必要なタイミングに必要な人たちと出会うことができた、繋がることができたと、そこだけは胸を張って言えます。

自分の好きなコラムニストさんが言っていたことですが、

「自分で自分の選んだことを正解にしていくしかない」


自分で自分に◎!!!!!

(〆が雑 〆が軽薄)

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