自己肯定感が低い僕らの生態
前に書いた通り僕の自己肯定感は地底を這いずり回っています。低すぎて何かと不便だし自分で驚きます。
書きやすいので「自己肯定感が低い人」の代名詞として「僕」を使います。例をあげてると思ってください。たぶん他の自己肯定感が低い人たちもそれなりに一致するところがあると思うので。
僕には自己肯定感が高い(もしかしたら普通レベル)の友達と僕と同じくどうしたらそうなる、みたいなありえん自己肯定感の低さの友達がいます。
僕らという種類の人間は主に物事を見る時に「できなかったこと」を数える傾向にあります。周りの人もできなかったことを指摘してくることが大半だったのでそれが普通だと思っていました。
ところが自己肯定感が高い友達に出会って、彼女は「自分ができたこと」を数えていることに気が付きました。
自己肯定感が低いとそもそも自分で自分のできたこと、努力を認められていないので後からどんなに他者に褒めてもらえてもどこかで「そんなわけない」と思ってしまっているので素直に喜べないのです。
承認欲求だけは人一倍あるのにいくら褒められても入ってこない。厄介ですね。
自己肯定感が低いと下手をすると暴走して承認欲求モンスターになりがちだと僕は思います。自分でせっかく築けた人間関係を片っ端からぶっ壊すような真似をし出すので皆さんこうはならないように。姫草との約束です(何様)。
また、僕らは理不尽に八つ当たりを受けても「自分に非がある」と考え込んだり、何かをゴリ押しで押し付けられても断れなかったりします。
なぜなら
「こんな自分だから怒られても仕方ない」
「こんな自分を頼ってくれているのだから出来なかったら失望されてしまう」
……といった類の考えを抱いているからです。もはや考えというより妄執に近い何かを抱いています。
その「こんな自分」という概念が自分の中に存在するせいでなかなか自己主張ができない人も多いです。
僕の場合「言いたい放題言ってる」と思われがちですが言いたい事の2割言えてたらいい方です。法律とかコンプラとか規約とかそういうのに引っかからないように自主規制してるのもありますが、6割くらいはそういう卑屈な心から言葉を押さえ込んでいます。
これは余談ですが、僕が言葉選びに過剰なまでに神経を使ったり「言いたい事の2割も言えない」のは、僕のコンプレックスはすべて他人の言葉によって発生したものだからです。自分が加害者側になるのはやっぱり恐ろしいので。
あと最後に、僕らの価値基準、評価基準は外部にある場合がほとんどなので、「あの子はできてるのになんで僕は」となります。しょっちゅうなってます。他人と比べられることを嫌うのに自分で比べて地雷踏んでます。
まとまらない文章でしたが僕ら自己肯定感が低い人間の生態を知っていただけたら幸いです。