イズディヤード
幸せになるのが怖い人種というのは、実際に存在する。
かくいう私もそのひとりで、目の前にあるおおよそ幸せとしか形容できない現実を受け止めきれないでいた。
地を這うような思いをしながら通っていた学校を一昨日卒業し、4月からはやっと見つけた夢を叶えるため新天地へ赴く。そう、私は確かに「幸せ」なはすだった。
なのに何故か、何が不満なのかわからないが、漠然とした不安と恐怖が脳裏にこびりついて剥がれない。
「怖い」
何が? 私はこれから幸せになるのに。今までの地獄のような日々を棄てて、新しい「私」を手に入れるのに。
それでも、鏡の中の少女は呟くのをやめない。怖い。怖い、怖い、怖い……。半ば狂気じみて見える。鏡の中の少女を見て、私とは切り離されたひとりの狂人になってしまったようだ、と冷静に俯瞰している自分が居た。
「幸せに、なるのが、怖いの」
零れた言葉に、自分で驚く。
そうだ。私は、私の存在を「不幸」
であるという、ただそれだけで許してきた。
せっかく幸せになれる機会をあたえてもらっても、足踏みしてしまう。祝福を素直に喜べない。
だって、不幸ではない私は、私の知っている私じゃないから。
知らず知らずのうちに、自分でも驚くほど強固な「自分」の概念を作り出していたらしい。みじめで、不幸で、必要とされない、可哀想な「私」。アイデンティティを不幸に頼っていた。頼らざるを得なかった。
だから、幸せになるのが怖い。逃げ出したいし壊したくなる。不幸という記号がなくなったら、私を私たらしめるものはどこにもない。私の知っている「私」が消えてなくなってしまうようで、それが怖いから、階段の前でいつまでたっても足踏みしてしまうのだ。
「大丈夫」
鏡の中の少女に向かって語りかける。
「幸せになっても、私は私」
この幸せは、私自身が自らの手で掴んだもの。
「みじめで不幸で、自己憐憫に浸ることだけで命を繋いできたけど」
言いながら唇を噛む。鉄の味が滲む。それでも言わないと、私は私を許せない。
「そうやって生きてきた結果、幸せがあって、祝福されたんじゃないの。あなたが__私が、私の人生が、今まで生きてきたことが、間違いじゃなかったって証明されたんだよ」
そう、証明。いつだって自分の価値を他人に頼って決めてきた。それはまだやめられない。ずっとそうやって生きてきた。でも、だからこそ。幸せになれたということが、それを祝福して貰えるということが、誰より怖くて、そして嬉しかった。自分の存在価値を、世界が証明してくれたようで。
鏡の中の少女はいつの間にか消えていた。そこにはいつも通り代わり映えしない私が映っているだけ。
私は、私を許そうと思う。今はまだ、難しくても、たとえどれだけ時間がかかっても。私は、私を見つけて、階段をのぼって、そして開かれた世界に、出ていく。