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All You Need Is Love
『カーマ・スートラ』
古代インドのSEXハウツー本というイメージだろうか。
これは間違いではない、しかしその一面だけに偏ると本来の意図から大きく外れてしまうのだ。
カーマ・スートラとはなにか
著者ヴァーツヤーヤナはこう記している。
-単に欲望を満足させる為の道具としてのみ利用してはならない。
ダルマ(秩序)、アルタ(財)、カーマ(快楽)の習得を怠らずに修めよ。
性愛の科学に精通する知性のある者は、
情欲の奴隷にならずに何をやっても成功をおさめる者になる-
要は
立派な人間になるには社会活動に貢献して秩序を保ってね、SEXに溺れてはダメ。
快楽についてちゃんと学ぼうね。
そうすれば、大概上手くいくって!
ということ。
禁欲の修行者であるヴァーツヤーヤナが
冷静な観察者の目線で綴るカーマ・スートラは
性行為の分類/64技法/性結合に至る男女関係、これらを分析して人間の存在を論じている。
快楽、オーガズム、エクスタシーとは何なのか。
人間は他の動物と違い発情期がない。
子孫繁栄以外の生殖行為、つまり快楽の為の性行為をする生き物だ。
子を産み育て遺伝子を受け継いでいくことが生き物としての本能だとしたら、なぜ人間は快楽に魅せられるのか。
愛と名のつくものに人生を彩り謳歌する者もいれば
、心を失い狂わされる者もいる。
ふいに突き動かされるとてつもないエネルギーということはわかる。
カーマ・スートラの語源は
①カーマ=死、愛、欲する
②スートラ=糸、テキスト、経
カーマは愛の神(エロス、キューピッド)であり、
後にブッダが瞑想している時に現れた魔羅(マーラ)、悪魔である。
カーマ(愛)は『存在したい』という純粋な欲求。
『〇〇したい』は生きる燃料だが、執着を生み出してはカルマ(業)となり生と死を繰り返す。
生物的本能である生殖行為と『〇〇したい』という欲求から生ずる性行為は完全には切り離せないし、
欲求を区別するのは難しい。
ともかくこの世に留まる理由になってしまうので解脱とは相性が悪い。
ブッダは輪廻のサイクルを離れ解脱を目指していた為、マーラの誘惑を無視することで克服した。
ブッダは息子がいるけれど、ラーフラ(障害、束縛)って名前をつけるくらいだから、、、愛は障害なんですね。
あくまでも出家した人にとってはですが。
愛神と悪魔は同一であり立場によって見え方が異なる。
仏教よりも遥か昔からその土地にあった女神信仰が色濃く反映されているカーマ・スートラはというと解脱を大きなテーマにしていない。
快楽を否定せずむしろ積極的に享受する。
快楽に溺れず、しかし欲求は否定しない。
というスタンスが成り立っているのは
著者ヴァーツヤーヤナが禁欲の修行僧であるということが大きいように思う。
この世で生と死を繰り返し愛を燃やし続ける人の為の経典が『カーマ・スートラ』
そして、わたしが考える快楽とは
『生と死を繰り返すこと』である。
性行為には必ず小さな死の気配が漂う。
今、生きているこの身体は
心臓がリズムを刻み
血液や体液がドクドクが流れるグルーヴで
細胞はめいっぱい『愛こそ全て』と歌い
毎日生きながら死んでいる。