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人に迷惑をかけるのが悪いのではない

先日の学びでわたしの中にある
自己否定=ジャッジしてる価値観
を見つけた


昭和生まれの人たちは
よそ様に迷惑をかけるな
そう親から言われてきた人が多いのではないか


我が子が他の惑星からきた人のように
生まれた時から不思議さんなのだが
抜けてることこの上ないので
わたしから見ると周りに迷惑ばかりかける

わたしなら自分がイヤで死にたい…

と思うような失敗が数知れず
本人はいつもケロリとしている

***

小学校の頃、図書館で本を借りても
期限までに返さず、いつも返却督促されていた

あまりに頻繁なので図書カードを取り上げ
ルールを守れない人は図書館で本を借りるなと告げた

もう10年以上前なのに子供は自分の様々な無知を
本を読まなかった=図書カードを取り上げた
わたしのせいにしている


これは1つの例に過ぎないけれど

人に迷惑をかけないで

というのだけは一貫して子供に言ってきた

ちなみに勉強しろは言ったことがない

あとはなんだろう?

頭使って考えて!
自分で調べて!
片付けて!元の場所に戻して!

これらは繰り返し言っていた
つまりわたしの中では

自分に制限していること
こうでなきゃいけないと思っていること

ということだ

***

子供が小学1年の時にベテランの担任の先生になった
わたしの親とさほど変わらない

愛でいっぱいで悟りを開いているような先生で
子供は初めて日本で暮らし
わたしは初めて日本で親をやる

という状態でかなりズレた親子だったのだが
いつも温かく、安心をくれる先生だった

子供は日本語も変だったし
日本の集団生活も初
海外でのんびり育ったので
まぁひと言で言えば浮いていた
本人は気にしてないのでいつもご機嫌さん

先生はいつも大らかでそんな我が子を大好きだと言ってくれた
虐められないかとか、空気読まないとか
そういうことを気にするのではなく

まるで昔の昭和の子どものようで
何もかも初めてのことに好奇心いっぱい
目をキラキラさせているこの子が
訓練されて入学した知識いっぱいの他の子達の中で
心が辛くならないか、気を付けてみています
変わらないで欲しいし、この子はこのままでいいの!

と話してくれ、心を打たれた

そして、浮いてる我が子が迷惑を掛けていることを気に病むわたしに

お母さん、人はみんな迷惑を掛け合って生きているの
迷惑を掛けない人なんてどこにも居ないの
だからそんなことを気にすることはないのよ!

そう笑い飛ばしてくれた

日本に帰ってきて1年目にこの先生にお世話になれたことは
本当にわたしたち親子にはラッキーでシアワセだった
いろいろと心が掬われることが多かった

ありのままのその子を受け入れる

という校風の中12年

あの子いつも不思議ね
でもそれがあの子だね

以上、終わり

という環境で育った結果
本当に変わらないまま不思議さんな大学生が
出来上がりました

***

先生からそう話してもらったものの
気を付けていて結果迷惑を掛けてしまうのは致し方ないとしても
迷惑をかけてもいいと開き直ってはいけないという価値観は握りしめたままでいた

でも

迷惑をかけてはいけない世界


ではなくて

迷惑をかけあっても許しあえる世界


へ引越したいと学びを受けて思うようになった

迷惑かけてしまったら→謝る→許してもらう→ありがとうを伝える


これを繰り返すことで謝ることへ抵抗が緩まり自然にお互いさまの優しい世界へ行けるそう

迷惑をかけてはいけない世界の住人は
謝れない人が多いそうだ

えー、このくらいのことで、、とか
あなただって!とか
自分を正当化しがち

耳が痛い  
身に覚えがあり過ぎる
特に身内には強くその傾向がある

謝りたくないから迷惑かけないようにしているのか?
迷惑をかけないように気をつけているからこそ、かけてしまった時に
ものすごい自分責めと自己否定が入る気がする
謝ることで更に打ちのめされる感じがするから謝れないのか?

このあたりはもう少し掘り下げられる気がする

普段の生活において

自分がどれだけ人に迷惑をかけているのか?
そして
自分がどれだけ人のことをやり過ぎ犠牲になっているのか?

それをしばらく意識して自分観察してみようと思う

人は存在しているだけで地球にとって迷惑な存在であること
その一方で誰かしらのメリットになる存在でもあること

それが腹落ちできたら、抵抗なく、自分責めなく謝れるような気がする

自己否定とシアワセは反比例

自分で気付いていない自己否定を1つでも見つけて手放していく先の世界を思うとウキっとする

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