無価値の傷からの気付き②
さて、前回の続き
ADKM理論で無価値の傷と判明したわたし
【無価値の傷を持つわたしの原動力】
人の役に立つこと
感謝されること
認められること
褒められること
学びのあと、この話をオットにしたところ全然同意しない
え、キミが??
人の役に立ちたい人?
気が利く人?
むしろ逆じゃない?
と言われて、確かに!と思った
学びの中でゆんさんが話していた
評価が得られない相手には一切役に立とうとはしません
ウケる
評価が得られない代表=オット、だ
***
もう20年も前の話
気心知れた友達もいる前でオットが
家事をしてくれと頼んだことはない
家事はキミが好きでやってる趣味でしょう?
と言い放ち、全員から大ブーイング
『こんなヤツに何にもやってやらなくていい!』
と友達はオットに言ってくれた
その時にわたしは
家事はわたしの趣味じゃないので辞めます!
と思ったのだ
デフォルトとして役に立ちたいわたしだけれど、そこに感謝もないどころか、頼んでない、キミの趣味と言い放つ相手には役に立つことをスッパリ辞めるのだ
それが出来るのは無価値の傷の特徴だそう
愛されないの傷の人たちは尽くすのをやめられないそうだから違いって面白い
家事を辞める件について、実際にはその後数年間は子供も生まれたばかりだったので家事は続けたけれど、そのうちにオットの洗濯もご飯作りもやめた
子供とわたしの分はやっていたけれど、子供が大学生になってからは子供の家事もやめた
掃除は分担制、その他は各自やるが基本
洗濯洗剤も各自好きなものを買う
食器洗いは食洗機でまとめて
テレワークになったこの1年半ほどはオットとご飯は共にする
それでもわたしが作る前提ではなく作りたい方、時間がある方が作るという感じ
今日のごはんは何?
と聞かれたらイラっとする
わたしが作る前提の尋ね方だからだ
オットはそのあたりはトリセツに書いてあるらしく
今日のご飯はどうする?
という尋ね方をする
***
話が逸れたが、上の話を明確に憶えているので
オットの役に立つ人でいようというのは20年前に辞めたのだ
だからオットはわたしを役に立たない、気が利かない人だと思っている
でも気が利くヨメを特に望んでいない
わたしはわたしで、役に立ちたくなくなったオットにどう思われても一向に構わない
役に立たないヨメでいい
つまり、家族の前ではありのままのわたしでいるということ
意外だったのは、自分の意見も言える割に無価値の傷は自分軸ではなく他人軸優位とのこと
人に評価されることを目的とし行動するからだ
行動する時に自問自答
それ、ほんとにやりたい?
特にわたしはボイスチェックでも社会軸優位なので、みんなの望むことを自然と選択しがち
だからやっぱり
それ、ほんとにやりたい?
と意識的に自分に尋ねることをクセにする
自分優先するということで8月も引き続き