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無価値の傷からの気づき①

昨日は楽しみにしていたADKM理論の学びの日

先日のわたしの予想

結果、予想どおりでした

【無価値の傷】


ポジかネガかはこれからの学びで深めていくのでこれから

学びの後にものすごく腹落ちしたことが2つある
2回に分けて書いてみよう

***

7月から上司が変わった

元GMの降格に伴い、半年前に着任した社長が我が部署のGM兼務となり1ヶ月


すべてのメールにおいて冒頭にまず感謝、しかも具体的な感謝

ちゃんと見てくれているのがよくわかる適切なアドバイス

そして何よりよく褒める



これまでのGMは全面的に任せているというテイのいい言葉を使いつつ部下の我々のことは放置
まず褒めない、労わない、連絡がある時は叱責

部下の業務に興味もなければ、実務を知ろうとする姿勢もなく「ccに入れないでくれ」という有様なので、業務内容はもちろん把握していない
こんな調子なので評価もきちんとされるわけがなくそれが通常運転で8年ほど

潔いほどネグレクトだったので、この部署は各自が業務委託されているのだ、GMはいないのだと長年思い込み仕事してきた

無価値の傷のわたしの原動力となる評価とか労いとか感謝なんかはとっくに諦めた

一方でそもそもコントロールされるのが無理&個人プレー向きのわたしには放置プレーも悪いことばかりではないと考えてきた

GMはわたしの実務が分からないので指示を出さないため、すべて自分のやり方とペースで進められるのは良かったのだ

先月に上司が変わり感嘆の嵐


判断と行動がとにかく早い

課題の道筋をリードしてくれる

隔週で面談を設け細かくフォローしてくれる

無価値の傷を持つわたしの原動力

人の役に立つこと

感謝されること

褒められること



新GMはそこを完璧に抑えている
無価値の傷の人=わたしを操るテクを完璧に持っている!


長年放置プレイだった反動で率直にとても嬉しく


ヤル気スイッチが猛烈に入ったわけである

且つ合理主義、実力主義なのか、元上司を降格させた以外にもプロジェクトを外される人もいたり結構ぶった斬っている

そうなるとわたしの心理的な変化としてあるのが

期待に応えたい

ぶった斬られない側にいたい

出来ない人と思われたくない

認められたい

ということだ

元GMの時にはすべてなかった思いばかり

このひと月、大きな課題を出されたわけでも失敗をしたわけでも無い
高圧的とは真逆のオープンでフレンドリー
むしろ元GMの10年分は褒めてもらった

その結果…

嫌な要素は1つもないのに疲れ切ってしまい、ウキウキ出来なくなってしまっていた


そしてその原因がよくわからないでいたのだが昨日の学びで浮かび上がってきた



元GMは全く評価をしてくれなかったので、ある意味ありのままのわたしでいられたのが、新GMになり

無価値の傷がぶり返したのだ



アンテナの張りすぎ頑張りすぎで疲労困憊
次から次に思考を巡らせ先回りし、気が利く人、役に立つ人を徹底してやったわけである

マイペースの箱→勝ち負けの箱に引越したから疲れ果てたのだ


そうだ、ありのままのわたしでいいのだった

元GMが全く見てくれなくても、やるべきことをマイペースに粛々とやってきたことが、今のGMになって評価されたではないか


評価されたいと思ってやったことではない仕事で十分成果を出してきたではないか

わたしはそのままで大丈夫

気が利かなくても大丈夫

頑張らなくて大丈夫



ゆんさんも無価値の人は頑張りすぎないことと話していた

新GMにも働きすぎないでねと言われた


わたしが頑張りすぎると現実世界がおかしなことになるのが常


ライオンズゲートの箱根の旅と夏休みでマイペースな頑張らないわたしを取り戻してこよう


役に立ちたいと思ってない人たちにどう思われているかはまた次回…

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