池袋店○祝一周年
3/18に池袋パルコ店は一周年を迎えた。
池袋パルコ店は僕が経営するポムダムールトーキョーの4号店となる店です。
それまでの店舗と大きく違うのは【商業施設に入る】ということ。
ここには大きな気持ちの変化と、挑戦があったのです…。
今日はそのお話を一周年のお祝いに。
ポムダムールにマーケット戦略は無い。
例えばバズらせるとか、SNSの戦略的活用とか、広告とか、テレビとか。
そういう『稼ぐ手段』に頭を使ったことは一度もない。
売れるものがいつも正しいとも限らないし、知名度で味が決まることもない。
それよりももっと大事なのは自分達がコレを作る理由と、届ける熱量だ。
経営にとって資金は欠かせないもので、それを「別にそれって手段だけど目的じゃないでしょ。いいよ興味ないし」と言い退ける僕は経営者としては結構アホの部類だと思う。
しかし、僕はやっぱりちょっとアホなのでそのくらい強く決め事をしておかないと"ものづくり"の原則原理を失ってしまうのだ。
そりゃ最初は「売れたらいいな〜」なんて思ってた。お店を作るんだから考えて当然だ。
けど続けていくうちに「これは売ってはいけないものだ!」と気づき始めた。
そんなことで僕は今でも従業員には【売る努力をするくらいなら、売れてしまうものを作る努力をしなさい】と指導している。
一見、理念が矛盾しているように見える池袋進出
先日とある取材で『どうしてりんご飴専門店を作ったのか』と聞かれ「りんご飴専門店は"居場所"を作りたくて作った」と答えました。すると、こう切り返されたのです。
「それをさ、その、大都市に展開していくってのはどうして?居場所はできたわけですよね」
この追加攻撃は核心をついていて、このnoteを読んでいるみなさんもこの質問者の言葉のウエイトを感じ取っていただけると幸いです。
その後はこのように続きます。
僕「いや、だから、そう、それが悩みになるわけですよ。その…あれ(新宿本店)が居場所だったのて最初の一年だけなんです。そこから、上手くいってしまったんですよ。」
取材「うん、うん(笑)」
僕「僕は流行らせたくなんかないし、売ろうとなんか思ってないけど注目されてしまった。りんご飴をマスに向けて表現しようとなんか意識してなかった。だけどウケてしまった。けどどうしてもその波には乗りたくない。なのにどうして大都市に展開しているかというと、それはもう【居場所を作りたい】っていうその、エゴとは外れた考えです。それがさっき言った『お店を作ってから気づいたりんご飴の使命』っていうものに繋がります。」
取材「なるほど!」
僕「目的が違うんで、目的が違えば手段が違うはずなんで(後略)」
新たな使命
先日テレビを観た。
とある家族を追いかけたドキュメンタリーだ。
僕はそれを【立山】という地元産の日本酒を呑みながら観ていた。
結論、その夫婦は離婚し子供たちは実家を離れてそれぞれの道を歩んでいる。
母親が離婚について語っていた。
「あの人(元夫)は子供たちが大好きだし、愛が深いから囲おうとする。私は子供たちには羽を広げてどこまででも好きに行ってほしい。それを見ていたい。そういう、考え方の根っこがずれていた」(記憶で文字起こししたので実際の言葉とは異なります)
僕は立山を一口呑み、「深いな…」という浅い感想を持った。
これはどっちの主張も身に沁みる。
僕の居場所の考え方やりんご飴の愛し方はちょっと男性的なのかもしれない。悪くいうと支配、独占だ。
お店を作って僕もりんご飴もいろんな経験をした。
今までにはなかった経験だ。僕が百貨店で物をクリエイトするなんてことは人生には想定されていなかったし、りんご飴がテレビで特集されるなんてこともりんご飴は初めて経験したはずだ。
僕は僕自身の力で成長したし、りんご飴はりんご飴自身の力で大きく育った。
りんご飴はどう思っているのだろうか?こんな看板も付いてない小さな店で終わる人生(飴生)でいいのだろうか?
僕はそう思ったのです。
パルコとの商談
コロナ禍で百貨店をはじめ、商業施設は大打撃を受けた。
そんな中でどの企業も同じようなタイミングで【食品】に活路を見出したようだった。
ここでは言わないが、けっこういろんなヤカタから出店の相談があった。
(りんご飴が流行るかも、という考えだけのキナ臭い話もあったよ)
僕はそのほとんどをメール一本でお断りしていた。
(僕が断った案件に違うりんご飴屋が使われてたりすると「ほらね」となったわけだ。)
そして池袋パルコから【池袋パルコご出店に関するご相談】という件名のメールがきた。
なんとなく、ただなんとなく、この手は掴むやつな気がした。
人生には空があって、空から手が降りてくる時がある。
掴んでも良いし、無視しても良い。
その手はあまり悩んでいると空の中に戻っていってしまう。
その多くの降り注ぐ手には掴んじゃいけない手もある。
ここで判断が試されるのがこれまでの経験や考え方なんだと思う。
これが僕なりの「日頃の行いだね」と「苦労は買ってでもしろ」の納得のいく説明だ。
空の向こうに興味がないなら日頃の行いも買ってする苦労も余計なお世話だ。しなくていい。
時代を切り、裂く!
そんなことで実際にお会いして話しましょうということになった。
一人で行くのはちょっと怖いのでひとりの従業員を連れていくことにした。
その従業員こそが今の池袋パルコ店の店長だ。
僕は会社案内や業績、実績、計算書などの資料も(一応)用意した。
さすがパルコ、使わなかったけど(笑)
僕も出す気なかったけど(笑)
僕が言いたかったことは二つでした。
①僕たち、ぜんぜん売る気ないけどいいの?
②他のりんご飴屋じゃなくていいの?
単刀直入に二つのことをぶつけるとTさんが答えてくれました。
(Tさんは池袋パルコのすごい人。渋谷パルコ、心斎橋パルコなど多くのパルコの仕掛け人でもあります)
TさんはTシャツ。笑いながら「ごめんね、僕はスーツ着ないんだ」と切り出したのが印象的だった。僕もジャケットを椅子に掛けて楽にすることにした。
(同席したあぶーは緊張していただろうな…)
(今このnoteを読んでいる関係者各位はクスッときてるんだろうな)
Tさん「パルコのパーパスをご存知ですか。」
始まった。
パーパスというのは企業理念ともちょっと違う【存在意義、目的】みたいなものだ。
例えばポムダムールだと
企業理念【美学に従って、ロマンチックに】
パーパス【もし世界からりんご飴がなくなる日がくるとしたら、最後のりんご飴を作るのは僕たちでありたい】
みたいなことだ。今適当に考えたけど結構良い!
Tさん「パルコのパーパスは"感性で世界を切り裂く"です」
このときにTさんは目の前のアクリル板越しに身を乗り出すように
切り(がばっ!)
裂く(しゅっ!)
と右上から左斜め下に左手を振り下ろした。
僕はここで納得した。
Tさんは僕を一撃で仕留めたのだ。
確かに、文化は時代と共に切り開かれていくがそのためには最初に切り裂く人が必要だ。
僕は「なんだ、一緒じゃん」って思った。
切り裂くのは僕たち、切り開こうとするのは後続だ。
二つ目の質問、他のりんご飴屋じゃなくていいのか?についてはポムダムールの出店を担当したAさんが答えてくれた。
Aさん「僕はポムダムールトーキョーを見つけたからポムダムールトーキョーしか知らない」
これまた一撃だ。
やっぱり商談でスーツ着ない族は話が早い。
りんご飴はどう思う?
自分の子供が自分の手から離れるような気持ちだ。
大きく成長した。もうりんご飴の生き方はりんご飴が決めても良いのかもしれない。
いつまでも秘密基地に閉じ込めて、偽物が人気者になって、それでいいのだろうか。
いや、よくない。もっと大きな世界で輝けるはずだ。
ファンはどう思う?
お店が大きくなることをどう思うだろうか。
寂しく思うか?悲しく思うか?
いや、やり方さえ間違わなければ何をしてもついてきてくれるはずだ。
ファンだから。
出店条件
僕は出店するにあたり二つ、条件を出した。
条件というより【お願い】のようなものだ。
①看板や店名などの主張は最小限にしたい(サイン計画の廃止)
②売上やノルマなどで従業員を圧迫することのないようにしたい。
①に関して、池袋店(名古屋店もだが)の店構えは看板がすごく小さい。
何も知らない人は店名を見つけて覚えることはできないだろう。
腰下に店名の表記などはなく、天井近くに壁と同色で浮き加工で書いてある。これはポムダムールの「商売はマーケティングじゃねえんだよ」という理念の表明と、アピールしなくたってわかる人にはわかるよね、というファンの気持ちにお応えした形だ。
②に関して、やはり僕たちは良い物を作り続けたい。
良い物を作る上で予算の設定などは無意味だ。
オープン初日にTさんがウキウキしながら「今日の(売上)目標は?」と聞いてきた。僕は「1個です」と答えた。
1個しか売れなかろうが、1000個も売れようが、あなたに届く1個は同じ1個だ。
Tさんは笑ってくれた。意図を汲んでくれた。
あの日、あのメールに返信したのは正解だった。
あの日から一年。
おめでとう、池袋のりんご飴。