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一枚のマスク
"忘れてしまうこと"がたくさんある。
"忘れたいこと"もたくさんあるかな。
忘れたくないのに、忘れてしまうこと、
忘れたいのに、忘れられないこと。
そんなふうに日々の記憶を更新している。
そもそも僕はあんまり【記憶】ということが得意じゃない。
指の間からするすると溢れて色褪せていくこともあれば、
銀塩写真のように記憶が脳裏に感光するようなこともある。
僕は一枚のマスクのことを忘れられない。
これは、忘れたくないし、忘れてしまいたくない、という感じ。
とっても大切な思い出なのです。
コロナが出始めた頃、世界が未知のウイルスに混乱し、店も休業を余儀なくされた。2020年の4月とかそのくらい。
そこで通販サイトを立ち上げ、窮地を(とりあえずは)脱したという経緯は知ってる人もいるだろう。
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銀座からは人が消え、電車は回送のような運行になったあの日。
僕は未知の(その時の感覚としては即時的に命に関わるかもしれない)ウイルスに怯えながら外に出て、店舗に行き、通販業務を行っていた。
このとき僕は従業員に出勤停止命令を出していたので一人で作業をしていた。
出勤停止だろうが従業員の生活は守らなくてはいけない。
これは法律がどうとかいう話じゃなくて、僕のポリシーだ。
まあ、この話は関係ないからやめておく。
とりあえず、そんな日々だった。
コロナがどれだけ慣れたものになろうと、あの頃の痛みを忘れることはないだろう。
一人でお店にいると不思議と楽しかった。
コロナで大変な状況なのに楽しかったとは少々不謹慎ではあるが、楽しかった。
コロナ前はどうかしてた。SNS、映え、行列のできる、満席、◯時間待ち、ポイ捨て、恫喝、申し訳ございません、申し訳ございません、思い出すだけでもうんざりだ。
そんな早送りのビデオテープのような慌ただしい日々、それも完全に停止して映像が変なポーズで沈黙した。
誰もいない店内、気晴らしのFMラジオとダンボールを組み立てる音。
従業員の生活、自分の健康、会社の運命、いろいろ追い詰められる状況だったが、静かなお店と二人きりになれたのは不思議と心地が良かった。
たまにお客さんもきた。
あれは【コロナなんてカンケーないぜ】の人たちだったのだろうか…。
僕はその人たちにりんご飴を販売することはなかった。
せっかく来てくれたのに手ぶらで返すのは本当に申し訳なかった。
けどここで販売してしまっては通販でがんばっても買えていないお客さんに見せる顔がない。
あの時はみんなが必死だった。
僕はお客さんにとってフェアな立場である以上、心を鬼にしてドアのノックを無視した。
外からは「せっかく来たのに休みだって、どこもだめだね」と落胆の声。
気持ちは痛いほどわかる。けど…守れない約束は、したくない。
また音がした。誰かが階段を上がってくる。
コン…、トトト、コン…トトト、コン…
いつもと違った音だったのでベランダから階段を覗き込んだ。
松葉杖の音。
足の不自由なお客さんだった。
その時のことを鮮明に覚えている。
どうするべきか悩んだ。
いつだって答えは自分で出さなければいけない。
店には僕しかいない。相談できる従業員もいない。
右を立てれば左が立たない。
どうすることがより多くの人を救うことができるのだろう。
このお客さんを優遇すると、さっき帰したお客さんを決定的に裏切ってしまうことになる。
お店に迷惑をかけたくないと気を遣って通販を何度もチャレンジしてくれてるファンの気持ちを置いてきぼりにしてしまう。
集荷の時間が刻々と迫ってくる作業の途中でのイレギュラーな対応は想定外の大きな事故を起こしかねない。
どうしよう。どうしよう。
悩んで、僕は扉を開けた。
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「こんにちは。駅から歩いてこられたんですか?」
店内は配送資材などで大変なことになっている。
それを見たお客さんは
「急にどうしても食べたくなったから…お店やってるかもしれないと思って来たけど、難しそうね…ごめんなさいね」
とのことだった。
よく聞いてみると神奈川から来られたようだ。
テレビをつけても不安になるばかり。
そんな時にポムダムールのことをふと思い出したのかもしれない。
8年もこんな風変わりなお店をやってるといろいろなお客さんがいる。
身体の事情、心の事情、家庭の事情、諸般の事情。
どれかだけを優先することなんかできない。
僕はこのお客さんにお店として対応することはできない。
お店として出来ることは何もないと皆と約束してしまっている。
でも僕はこのお客さんを手ぶらで帰すことはできなかった。
僕は「僕が個人的な都合であなたのために作るから、この件はくれぐれも僕個人が対応するということで理解してほしい」とお願いした。
お客さんを疑うようで申し訳ないが「ポムダムール行ったら買えたよ!」とSNSなどで言われたら困る、というのもある。
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その時は通販の全ての注文に本来であれば4月の限定味だった【さくら小町】というりんご飴をオマケで同梱していた。
この同梱というのは完全なサプライズで、見方を変えると【暴力的に勝手に送りつけた】と言った方がしっくりくる。
話題にしたくて配ったわけじゃない。本心でお客さんを応援したかった。
その日そのお客さんに何を渡したかはもう覚えていない。
この【さくら小町】は通販と同じようにお渡ししたような気がする。
そこでお礼と応援の意でいただいたのが、一枚のマスク。
当時のことを少し思い出してほしい。
マスクとアルコールが絶望的に手に入らなかったあの頃。
お客さんもこの布マスクをやっとの思いで手に入れたはずだ。
390円というシールも貼られたまま。
どれだけの意味がこもった390円だっただろう。
僕はこれは受け取れないと言った。
お客さんはどうしても受け取ってほしいと仰った。
帯を締め直す思いで、僕はこのマスクを受け取ることにした。
今このマスクは僕のお守りになっている。
いまでも忘れられない、忘れたくない思い出です。
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最近入ってきたアルバイトの子に「ブログ書いてくれぇ〜」と言われたので何を書こうかと思い、執筆。
本当は僕とお客さんと二人だけの思い出で終わらせるつもりだったんだけど、独り占めするのはなんだか贅沢だなって。
それに、もう2年も経つので時効だろう。
僕が例外として対応したのはこの方だけです。
あの時はみんながお店のことを応援してくれました。
このマスクは松葉杖のお客さんだけではなく、その頃のみなさんのこと、あの空気感を大切に思い出させてくれます。
この時の僕の行動に異論はあると思います。
けれど僕は一回限りの例外を認めたこと、一枚のマスクを受け取ったことは間違っていなかったと、今もふと思うのです。