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それが“みたい”と願ったこと。
現実の私たちが心配しなくても、
これからは“生き易くなっていく。”ことを
前回の日記で書きました。
これは、『自分がそう見た。』
つまり、
無意識にも、これまでの息苦しさの中で
変化を遂げたいと願った人。
なぜだか人生が生きづらくて、
生き易さや安心を求めた人たちが、
独りでにそのような流れに向かってしまう。
ということが付け加えられます。
なぜかというと、
特別何かをしなくても、
ただシンプルに、
自分が“みたい”と願ったことは
現実でみることになる。
この法則があるからです。
どんな人にも、
緩やかなねがいごとなら、
幾らでもあると思いますが、
社長になりたいとか、成功する。などの
大きな願いごとというよりは、
パートナーを見つける。
結婚をする。子供を持つ。
趣味を楽しむ。楽しい職場環境。
家族との仲。素敵な家に住む…など。
ただ漠然とありきたりの幸せを求めたり、
日常の笑顔が大切だと感じていたり。
って人も大勢いると思います。
かくいう私もこのタイプで、
特に何を。というのはありません。
ですがこれもれっきとした願いごとなので、
そう感じているだけで、もう叶っています。
『それが、わたしの“見たい”と願ったこと。』
このことは、全ての現象に当てはまるので、
些細なことから大きなこと。
今目の前に見える全て。
自分が見たいと願ったことです。
もしも、『それは違う』と感じるのなら、
順序の問題で自我が思い違いをして、
叶っていない。を
見てしまっていただけのことなので、
今度は、本当に見たいと感じる方を、
☆これまでの順序とは逆に、
もうあること前提だから(今は無くても)
後にここにも見えてくる。と知る。だけです。
真理、法則として、
そうしたい、と感じれることは、
基盤で既に叶っている。と知っていると、
何をするにも自我の安心が土台にあるので、
自分の選んでしまった
本意では見たくない現象を受け取っても、
揺らがないで居られますし、
そのお陰で、現実も円滑になっていきます。🌟